九杯目 ひたすらいっぱい飲みたい

 絵描きは体力勝負とはよくいったものだ。

 さおりは、冷蔵庫の前まで這いつくばって移動した。文字通り、心も体もからからだ。

自分のなかにある絵を形にする、たったそれだけで精神的にも肉体的にも疲労困憊になる。

 どうしてイラストレーターなんて仕事を選んだんだろう。

 自分でも疑問に思える。

 普通に働くことだってさおりは出来る。もともと一般事務をしていた、けれど絵という表現にたまたま出会った。

 それまでいくつもの表現の表現に出会った。

 アクセサリー、ドールハウス、編み物……とにかくなんでもやってみた。十代のときは何をどうしたいのかわかってなかったのもある。

 全部楽しかったが、どれも飽きてやめてしまった。

 何かを表現したいという心はいつも、自分のしっくりとするものを求めて駆けだしていた。

 そうして絵というものに出会った。どうしてそれに行きつくまでこんなにも時間がかかったのだろうと疑問に思うほど、はまった。

 まずは手書き、そのあとデジタルでいろんな色をものを作って、飽きることもなく夢中になった。

 すとんと落ち着くところに収まった、そんなかんじだ。

 さおりはそれから絵を描き続けてきた。そうしていると仕事にできる程度になったが、そのころから自分の絵は万人向けではないということも理解した。さおりが好むのは蟲で、それをよりリアルかつ幻想的に作り出す。ただそういうのは受けがよくない。仕事にするとなるとマーティングが必要で、万人に受けやすい絵を描くようにもした。うさぎが仕事をしているシリーズものはヒットしていろんなものとコラボした。そのあと企業の求めに合わせてデザインを学んだ。出し過ぎてもいけないし、控えめ過ぎてもいけない。ただわかる人にはわかる遊び心をいれる。そういうこともしてきた。ひたすらに仕事として向き合う傍らで自分用の絵も描いた。これはきっと売れないだろうなと思ったが個展を開くときはそういうものも一緒に出して、一年に一度の割合で売れる。それがさおりの心を繋ぎ止めてくれた。

 ようやく、最近は文句を言われないようになってきた。

 今日は朝から晩までコンビニスイーツとのコラボのイラストにつききりになっていた。あと一点、いちごショートケーキのイラストを仕上げる予定。いつものうさぎシリーズなんだが、どうもいちごとうさぎがマッチしない。八時間以上の労働はクソだ。さおりはふらふらしたまま死屍累々状態で冷蔵庫のドアを開ける。まずビールを一つ手に取る。塩こんぶ。しゃぶってビールを煽る。うまいんだよなぁ、これが。そのあとちりめん、ピーマンがある。よし、焼いて醤油、そしてちりめんだ。次は日本酒。おいしい。にしんの缶詰をぱかり。ワインがあった。白ワイン。ああ、芳醇。この冷蔵庫はイラストの仕事をはじめたときに買ったものだ。はじめて賞をとったイラストは飲みながら書いた。資料を集めたり、ラフは素面でもいいがいざ色をつけるときは勢いがいる。心をむき出しにするための大切な儀式だ。飲まなくても描けるけれど、こうして壁にぶつかると飲む。ひたすらに飲む。油揚げにチーズをのっけてレンジでチン。かりっと焼けたのをはふはふはふ。ビールを再び。あ、苦い。チーズ、チーズはつまみにちょうどいい。それにはちみつをたらり。甘くて、濃厚。ワインを飲む。ふっはー。心が満たされておなかが満たされていく。まだ仕事をするから空腹をわざと残す。そしてふらふらとパソコンの前で色をつける。ぱっと華が咲く。冷蔵庫を開けたときみたいに、いくつも色が出てくる。ああ、あの冷蔵庫は私の作ったパレット。けど冷蔵庫に描かせてもらってるから、実は私が育てられたのかも。

「出来たお祝いにお酒を飲むぞ!」

 ふらふらと立ち上がると、まだ朝の四時だ。このあと一寝入りしたら、玉子酒、余っている鮭フレークでおかゆを作ってちびちびと食べよう。

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