六杯目 ビールと生姜焼き

 この程度なら、俺だって出来る。

 宏がその写真を初めて見たとき、本気でそう思った。

 まだ高校一年の生意気盛りだった。写真をとったのが女だからとか、青い空に鳥が一羽飛んでいる、それだけのものだったから――理由はない。

 ただそうやって安易に将来を決めてしまったせいで、自分の才能のなさにいつも軽く死にたくなる。


 カメラを志すだけなら簡単だった。

 専門学校なんかに入る方法はあるが、残念なことにそんな金はない。

 バイトしてもたかだか知れている。

 弟子入りの道を選んだ。近所のカメラ屋さんに父のツテでバイトからはじめた。

 受付業務、撮影のスケジュール調整と助手。

 カメラ屋は、宏の住む町では数件あるもの――あとは大手のカメラ屋で、そういうところからの下請けもしていた。おかげで小さいくせに暇がない。

 店主のおやじに

「貧乏人に暇はねーんだよ、ばか」

 と言われた。まったくもってそうだ。

 おかげさまでバイト一年にして必要な業務は覚えたし、顧客には顔を覚えられた、かわいいねといわれてまんじゅうを貰うこともあった。俺もう二十歳なんだけど。

 店主のはからいで高級なカメラやその他の必要な道具については安く買ったり、借りれたりしているので休みの日はひたすらに写真をとった。

 はじめは風景、そのあと建築物、人物、といろんなものをとった。

 そのどれもはじめてカメラマンを目指した青い空の写真に追いつけない。むしろ、やればやるほどに自分には才能がないとわかる。思わされるから高校一年の自分を殴りつけてやりたい。

 こんな程度自分にもできる。

 そういう写真こそ撮るのが難しい。

 最近はデジタルでみんなうまい写真をとる。

 こだわりはないつもりだが、やっぱりちゃんとフィルムを使うほうが好きだ。おかげで金は馬鹿みたいに飛んでいく。

 それでも撮ることを辞めれないのは意地だ。

 このくらいならできる。

 そう思った反骨精神。

 仕事をはやくあがってもいいと言われて、まだ夕方だったのに何かを撮ろうと考え、帰ろうと鞄を漁って構えた。

 なにしてんだろう。

 ふと頭のなかに過る。

 美しいものをとりたい、つよいものをとりたい、心に残るもの……いくつも浮かんでは消えた。

 最近は家族写真や七五三の写真――小さな町のカメラ屋の収入源を任せられている。お客からの反応は概ね好評だし、今月には賞にも応募するつもりだ。

 青い空をとりたい。

 あんな写真をとりたい。

 いつも飢えるように思う。

 写真が好きだとか、才能があるはずだとかそういうのではない。あの目に飛び込んできた青空への気持ちや衝動を自分もほしい。

 異国の地でなにか恐ろしいものや美しいものを撮りたいという欲はない。

 青空と同じくらい身近で、それで

 ぐぅ。

 やべ、今日何も喰ってねぇや。

 撮り損ねた気持ちのままカメラを降ろしていると、鼻孔にたれの焼ける匂いがした。見ると、いつも前を通るが入ったことのない店があいていた。飲み屋ぽいのに迷ったがはいった。

「いらっしゃい」

 元気のよい看板娘らしい女性に出迎えられてカウンターに腰かけて、見ると、一品料理以外にもいくつもの取り揃えがある。腹のすきっぷりからいってごはんがほしい。

「生姜焼き一つ」

「はぁーい」

 元気な声だ。

 カウンターを見ると、頑固そうな親父が料理をしている。

 飲み屋兼食堂といったかんじのそこには流れるように人が入ってくる。仕事帰りらしいサラリーマン、作業着の男、女性で一人、というのもある。ビールと自分と同じで定食を頼んでいい食いっぷりだ。

 手が届きそうだ。

 反射的に思った。このすべてに手が届きそうで、届かない。

 うずいた気持ちをどうしようかと思っていると生姜焼き定食がきた。

 しゃきしゃきのキャベツに、たれのついた生姜焼き、輝いたお米、味噌汁に漬物。

 あ、これだ。

「あと、ビール」

「はぁい」

 すぐにグラスと瓶ビールが出てきた。

「すいません、写真とってもいいですか」

 看板娘らしい女性がきょとんとした顔をしたあと、笑って

「おいしくとってね」

 ちょっと、いや、かなり、かわいい。


 冷えたらだめだと思って急いでカメラを取り出してシャッターを押した。一枚撮れた。ポラロイドカメラだから、すぐに出てきた。

「おいしそうですね、これ。さすがうちの店。けど、お客さんもいい腕してますね」

 横から顔を出した看板娘の言葉はお世辞ではないらしい。嬉しそうで、いいですかっていうと、写真をカウンターの奥にいる店長に見せた。ふん、と声が帰ってきた。

「照れてるのよ、あれ、こういうのメニューに載せたらいいかも。お客さん、出来ます?」

 と言われて、ははっ、できますよと笑って応じたあと、宏はキャベツを生姜焼きで巻いて大口を開けて食べた。

ああ、たれがしみてよく合う。それにぐっとビール――キリンの一番搾り。すっきりとして後味が爽やかだ。

 くそ、うまい。

 手が届きそうで届かない。

 空より、ずっと間近なものが自分にはあってる。

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