海辺のカフェ

彼はあらゆる悲しみを食べ物にしてくれる。


 化け物殺しのメリュジーヌ。――人魚を殺しの末裔だ。彼は海の近くでカフェを営み、珈琲とケーキを出すのだが、そのとき、そのときで味に変化を与えてくれる。心を食らう洋菓子を与えてくれるのだ。逆に心のないものには、こころを与える。

 心のない異様たちは彼を恐れながらも――殺されてはたまらない! ――心がほしくて食べさせてくれとやってくる。

 彼は人魚を妻にした。

 カフェには常に和やかな潮騒の香りがする。



「夫を亡くしたのです」

 彼の客は口にする。

 幸い、その日は一人だけだった異様の客は――彼らは午後三時に決まった時間にやってくる。

 濡れたぼそった客はカウンターの席に座り、珈琲を頼むとぽつぽつと話し始めた。

 味わいたい心を欲して。

「長く一緒にいた人でした。けれど寿命で死んでしまったんです」

「それはお悔やみ申し上げます」

「そう、みな、口にするのですが、私にはわからないのです。どうしてお悔やみを口にする、の? 死んで魂は自由に飛び回り、祝福されるべきなのに。どうして残された私にみんな、そんなことを言うのでしょうか」

「……」

「わからないのです。わからないから、あなたの作るお菓子を食べさせてください」

「畏まりました」


 甘く、濃密なチョコの香りが広がっていく。焼く熱の温度は客の濡れた肌を刺激した。

 ああ、もうすぐできる。

「未亡人の憂鬱を」

 彼が差し出したケーキは黒かった。その上にクリームがのっている。なんだろう。これ。

 海では見たことがない。

 人の世に出てきてもあまり見たことがない。


 丸くふっくらとしたチョコケーキの上には白いクリームが葉っぱのようについている。それにフォークを差し込む。

 どろりとなかから濃厚なチョコがあふれ出す。

「どうぞ」

 彼はすすめる。

「人魚、あなたは夫である王子を失った。その悲しみを知りたいなら食べるといい」



「おいしい」

 人魚は口にしながらぽろぽろと瞳からいくつもの涙を溢れさせる。

「私は、傷ついていたのね」

 言い聞かせるように。

「独りぼっちになってしまったね」

 確認するように。

「もうあの人に会えない。自由になってしまったから、もっともっと一緒にいたかったのね。王子様、あなたと過ごしたお城での毎日、とても幸せだったわ

 私を泡に変えないでくれて、ありがとう。王子様」

「奥様」

 人魚は泣きながらケーキを食べつくす。

 お皿の上が真っ白になる。なにも残らない。

「ありがとう。ようやく悲しいがわかったわ。また悲しいを知りたいとき食べに来てもいい?」

「喜んで、あなたの傷が癒えるまで、何度でも」



 化け物殺しのメリュジーヌ。

 彼は心がないものたちにこころを与えてしまう。こころを得たものはもうその頃には戻れない。

 ゆえに化け物殺しのメリュジーヌ。

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