"一歩"

愛空ゆづ

"一歩"



つま先から踵、足首へと徐々に冷たくなっていくのを感じる。

一体どれだけの時間が経ったのだろうか、5分? 10分?

長く感じているだけで、実は1分にも満たないのかもしれない。

結局、一歩が踏み出せず、時間だけがゆっくりと流れていく。

既に腰あたりまで冷たい感覚が上がってきている。

これが頭まで来た時が最後なのだろう。

指先からも徐々に冷たさが登ってきており、動かす力もなくなっている。

身体がどんどん重く寒くなってくる。もう、あまり時間も残っていない。

自ら選んだ道ではあるが、恐怖は残っているようだ。

まだ自分にもこんな感情があったのかと、少し可笑しくなる。

何も考えずにヘラヘラと過ごし、周りに流されては、いいように使われて捨てられる生き方もこれで終わりだ。

最後に自分で自分の道を決めることが出来た。

何もかもが終わると考えると随分と気が楽になる。

残してきた物に多少の罪悪感を覚えるが、今となってはもうどうでもよい。

首下まで凍り付いたように動かない身体を引きずり、一歩踏み出す。

そもそも命以外失うものなどない自分が何故ためらっているのだろう。

わざわざこんな地まで飛ぶ為に来たのだ。こんなところでビビっている場合ではない。

今までの辛い経験を今一度、思い出す。

頭痛と眩暈から吐き気を催す。


そうだ、自分はそのために来た。

現実から逃げたい、ただそれだけだ。


ついに私の足が空を踏む。

徐々に徐々に加速しながら落ちていく感覚。時間が引き延ばされ、深く深く落ちていく。

顔に当たる風により頭まで凍っていく。それもむしろ爽快にも感じられてくる。

恐怖を上回るそれに助けられた。

無限に続くようにも感じられた浮遊感は突然終わりを迎え、衝撃を感じると、急に全身が重くなる。

これが終わりというものか。

恐怖と爽快感が混じり合う感情と動かない身体。




そうして、初めてのバンジージャンプ体験は幕を閉じた。


緊張が一気に解けたからか、多少の浮遊感と吐き気がして身体に力が入らない。

飛ぶのを長時間躊躇い風に晒されたせいで身体も冷たくなっている。

恐怖心から解放されたのだ。これよりも怖い経験などないだろう。

僕はもう、次々と来る明日におびえなくて済むのだ。





翌日、男は再び空へと踏み出した。

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"一歩" 愛空ゆづ @Aqua_yudu

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