ある魔女の特別な日
魔法が効きにくい体質の子というのがいる。
神の愛だかなんだかしらないけれど、それに守られて私の魔法が効きやしない。
『忘却』も『笑顔』も『憤怒』も『快楽』も。
私の心を操る魔法のどれを使っても、顔色一つも変えはしない。
私にとって数少ない心を操れない存在。
まだ二十になったばかりだけれど、読み書きがしっかりできる。
いつも釣り目で、私が何か悪いことをしないか逐一観察している。
あと、紅茶と甘いものに弱い。
よく叱りはするけれど、私がしょげると励ましてくる。
清廉で真面目なシスター……って、ことで通ってるけれど、実はそこそこずぼらなとこがある。
そうして、今日も私の話をずっと書き記し続けている。
そんなのが、私付きの調査官、リオンという人だった。
※
……ねえ、リオン。少し想像して欲しいんだ。
例えば、君の目の前にすごく怒った顔をした人がいたとするね。
怖いかな? 気持ち悪いかな? 逆に君も怒るかな?
どれにせよきっと嫌な気分になるよね。
私は……逃げ出したいって想うかな。
じゃあ、その人の目の前で、試しに指をパチンと鳴らしてみよう。
そしたらね、その瞬間に怒った人は何故だか笑顔になるんだよ。
さっきまで、私に向けていた怒りがみるみるうちになくなって、終いに私に好意を持ち出すんだ。
これが、私が見つけた最初の魔法。『笑顔の魔法』だよ。
まだ、魔女としての自覚もない、それくらい小さな頃の話だね。
素晴らしい魔法だと思うかな。……え、別に思わない? あはは、そっか。でもね、子どもの頃の私はすごい魔法だと想ったんだ。
だってみんな笑顔になるんだよ、怒ってる人も、悲しんでる人も、嫌そうな人も、怖がってる人も。誰も彼も、指を鳴らしただけで私に笑顔を向けてくれるんだよ。
小さな頃の私は喜んで、それこそ馬鹿みたいに指を鳴らし続けたさ。
誰も彼もを笑顔にして、誰も彼もに愛されたよ。
でもね、ある時ふと気づいてしまったんだ。
ふと周り見まわしたら、みんなが同じような笑顔を私に向ける。
みんなが同じような言葉を私に向ける。
そう、私の周りにいるのは笑顔の魔法にかかった人ばかりになっていた。
『すごいね』『すばらしい』『君といると楽しい』『愛してる』
私が望んで、創って、彼らの心に貼り付けた、そんな言葉たち。
それが酷く気味悪くて、……でもそれなのに、私はその魔法を使うことが止められなかった。
だって……耐えられなかったんだよ。
誰かの顔が私を見て歪むことが、私に怒りに染まった顔を向けることが、不快そうに私をねめつけることが。そういった何もかも嫌だったんだ。
気づいたら、5人の魔女なんて呼ばれるようになったけど。
今でもそれは変わってないんだ。
笑顔の魔法を使って相手の顔を見るたび、本当は気味が悪くて仕方ないのに。
それでも相手の顔が歪むたび、気付けば私は指を鳴らしてる。
時々、私の魔法で創られた関係が鬱陶しくて煩わしくなった。人の心に残るのが嫌で、魔法が解けた後、どう思われているか想像するのも嫌で嫌でたまらなかった。
忘却の魔法は、そんな時に創ったんだ。
みんなから私のことを忘れさせた。私のことを人の中から消し続けた。そうすれば、どう想われるかなんて悩まなくて済むだろう?
……気づけば使いすぎて、知らないうちに人から記憶を消すようにまでなってしまったけどね。
……あとついでにもう一個弱点を晒しておくとね。実は、いつもかけているこれは『真実の眼鏡』というんだ。
これを通すと人の心の内がそのまま見える。私が人付き合いをする上での必需品でさ。これがないと、まともに誰かと喋ることもできないんだ。だって、人は喋っているとことと心の内は意外と違うものだからね。
だけどね、リオン。これをかけても君の心の内は見えないんだ。
どれだけ指を鳴らしても、君は笑顔にならないんだ。
発情死するくらいの媚薬を頼んで創ってもらったのに、君は少し顔が赤くなるくらいだった。……あはは、怒らないでよ。……反省してる。
君の心は私の魔法じゃどうにもできない。
だからね、時々君が死ぬほど怖くなるんだよ。
君にどう想われているのかって、考えるだけで夜も眠れないんだ。君の言葉が真実なのか嘘なのか、それすら私にはわからないんだ。
ねえ、リオン。
君は今、何を考えているの?
呆れてる? 怒ってる? 困ってる?
ねえ、リオン。がっかりした?
これが、こんなのが。
教会が恐れる5人の魔女。
人知れず心を操る『翡翠の魔女』の正体なんだ。
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