第56話 結果発表

「どうしよう、すごい緊張してきた」


 莉緒はわなわなと震えている。


「今さら緊張したって結果は変わらないんだからさ」


 私が諭すようにそう言うと、横から愛生も口をはさむ。


「そうだぞ、やれるだけのことはやったんだ。大丈夫、絶対選ばれてるって」


「う、うん」


 私達の言葉は気休めにもなっていないかもしれない。それでも莉緒はこわごわと笑った。


「しっ! 始まるみたいだぞ」


 すると、朔空が口元に人差し指を立ててそう言った。


 そう、いよいよ待ちに待った結果発表の日が来たのである。




「えー、これより卒業論文表彰式を執り行います。まずはじめに開会の挨拶を―─」


「うわー、そんなのどうでもいいから早く発表してくれぇ!」


 司会の先生が淡々と原稿を読み上げる中、愛生が不満を口にする。


 先程は莉緒の手前、余裕のある様子を演出していたようだが、やはり結果は気になるのだろう。


 もちろん、それは私も同じだ。


 先生の話というのはそれだけでも長く感じるものだが、今日は特にそう感じる。


「えー、それでは続きまして、審査員長でもあります校長先生より―─」


「いや、まだあるんかい!」


 やっと開会の挨拶とやからが終わったと思ったら、今度は校長先生の登場だ。


「そんなの受賞者発表の後でいいだろ?」


 ブツブツ文句を言う愛生。これ以上おあずけをくらったら発狂しかねない。緊張のし過ぎで莉緒の顔色も真っ青だ。


「発表した後だとみんな真面目に聞かないからじゃないか?」


 それに比べて朔空は冷静にそんな分析を口にする。この精神の強さは剣道部主将というのも関係しているのだろうか。


「えー、校長先生、ありがとうございました。続いて受賞者の発表に移ります」




 私達がヤキモキしていようといなかろうと、時間は平等に進む。ついに待ち望んだ言葉に、私達は緊張の色を強くした。


「今年は金賞一つ、銀賞二つ、審査員特別賞一つが選出されました」


 それは私達の予想通りだった。この時点で、総取りの目標は繋がったと言える。


「受賞者は名前を呼ばれたら舞台袖までお越しください」


「う〜、早く早く」


 そわそわと貧乏ゆすりを始める愛生のせいで、私まで緊張してしまう。しかし、気持ちはみんな同じだろう。私は逸る心を少しでも落ち着かせるため、深呼吸を繰り返した。


「それではまず、銀賞から発表します」


 その瞬間、それまでヒソヒソと小さな会話が漏れ聞こえていた場内が、水を打ったように静まり返った。


 まるでその緊張した空気が重圧となって伸し掛かってくるようだ。


「論文タイトル」


 私達は祈るような気持ちで、いや、確かに神に祈りを捧げながら次の言葉を待つ。


「『源氏物語の現代語訳からみる時代変化』。三年C組、丸山梓まるやまあずさ


 その瞬間、私達ですべての賞を総取りするという目標は、もう叶わないことが分かった。


 それは間違いなくショックだったけれど、私たちは健闘を讃える拍手を送る。


 特に面識はないけれど、丸山さんと思しき人物が舞台袖に移動していくのが見えた。


「続けて銀賞を発表します」


 落胆する気持ちは簡単には割り切れない。それでも次の発表に期待を込めて、意識を集中する。


「えー、論文タイトル」


 私はゴクリと喉を鳴らす。


「『触媒による有機化合物の電解速度の違い』。三年A組、桃原昴」


 ザワッ


 その瞬間、拍手の合間を縫うように、場内にヒソヒソと会話が再燃する。


「え、桃原さんが銀賞?」


「化学部のエースでしょ? 絶対金賞だと思ってた」


 桃原さんの耳にもその声が届いているのだろうか。舞台袖へと向かうその横顔は、なんとなく悔しそうに見えた。


 銀賞を二つとも逃したことがショックでないと言えば噓になる。それでも、銀賞の段階で桃原さんの名前が呼ばれた。桃原さんには申し訳ないけれど、私達の期待は高まる。


「えー、それではこれより、今回の最優秀賞、金賞の発表に移ります」


 その瞬間、またしても場内が静まり返る。


 本当は、みんなですべての賞を総取りしたかった。色は違っても、みんなそれぞれ賞をもらって、ドヤ顔でミライさんにそれらを見せたかった。


 それはもう叶わないけれど、せめて金賞が取れれば、私たちのこれまでの努力は報われる気がした。


 ギュッ


 気づけば両手をそれぞれ莉緒と愛生に握られていた。そこから二人の鼓動と体温が伝わってきて、私たちの想いは一つだということがわかる。


「えー、論文タイトル」


 先生が次の言葉を紡ぐまでの数秒が、永遠にすら感じられた。


 私じゃなくていい。だけどどうか、私達四人の誰かであってください。


「『化学物質への耐性に起因する薬効の変動メカニズムの考察』。三年A組、関口葵せきぐちあおい


「あ……」


 『おめでとう!』とか『やったな!』とか、そんな声がどこかから聞こえる。


 そんな誰かにとっての歓喜の渦は、私達にとっての絶望を意味した。




「うっ……うっうっ」


 莉緒に握られた手の上に、パラパラと水滴が降り注ぐのを感じた。


 今、莉緒の方を見れば、私もつられて泣いてしまうだろう。


 総取りより何より、たった一つでいい、金が欲しかった。


 今年一番凄かったのは、私達のクィア研究だったよ、と。ミライさんが体を張って道を作ってくれたから、この結果があるんだよ、と。


 そう、伝えたかった。


 関口さんが泣きながら舞台袖へと向かう。


 関口さんも、きっとこの結果をつかみ取るまで大変な努力をして、色々な葛藤があって、それでここまできたのだろう。


 それでも、関口さんの喜びより、私達の悔しさが、悲しさが、不甲斐なさが、何倍も、何百倍も、何万倍も強いに決まってる。


 比べても仕方のないことだと分かっていても、そう思わずにはいられない。


 だって、今までの人生で、これほど悔しかったことがあっただろうか。心がめちゃくちゃに掻き乱されるような悲しさが、身体を震わせるほどの不甲斐なさが、今まであっただろうか。


 私は、知らなかった。

 自分のすべてをかけて臨んたことが望んた結果を生まなかった時。


 世界から、すべての色が消えてしまうんだ。




「では、最後に審査員特別賞を発表します」


 その瞬間、愛生に握られた手に、更にギュッと力が込められる。


 それで我に返って愛生の方を見ると、愛生はただ真っ直ぐ舞台だけを見つめていた。


 俺たちには、まだ希望がある。


 そう、言われた気がした。

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