第39話 不純な理由

「じゃあ、俺は先に帰ります」


 朔空はそう言うと、早々に相談室を後にした。


「あの、この本読み終わってしまったのですが、まだ借りていてもいいですか?」


「もちろん。良ければもう一冊借りていく? オススメはこれかな」


 ミライさんと莉緒は課題図書の話をしている。


 ひとまず終わりはしたけれど、愛生の朔空に対する態度は決して褒められたものじゃなかった。それこそ、グランドルールの『仲間を大事にする』に違反している気がする。


 朔空の真意はどうあれ、ルールはルールだ。ここは愛生に一言言っておいた方がいいだろう。


「愛生、ちょっと」


「……何?」


 愛生は警戒心をあらわにする。愛生は勘が鋭いし、何より私が『クレームを言いに来ました』というのを隠しもしないから、この反応は当然といえる。


「さっきのことだけど――」


「そうだ! 愛生ももう何冊か借りていったら?」


 するとミライさんの無遠慮な声が私の声をかき消した。


「あれ? ごめん、なんか邪魔した?」


 全然悪びれもせずにミライさんがそう言った。


「あ、えっと」


 それにどう答えようかと私に視線を送る愛生。私は小さく息をつくと、そんな愛生の代わりに返答する。


「大丈夫です。大したことじゃないので、そっちを優先してください」


 そんな私の返答を受け、愛生はミライさんのところへ向かった。


 なんとなくだけど、ミライさんが私の話を遮ったのはわざとだったような気がする。


「華恋、一緒に帰らない?」


 すると、本を数冊持って帰ってきた莉緒が声をかけてくれた。


「……うん、そうしよう」


 ミライさんの真意はわからなかったけれど、愛生のことはミライさんに任せて私たちは相談室を後にした。


 ◇ ◇ ◇


「すっごい充実してたね」


 私は軽く伸びをする。


「うん……。なんか、どうなるんだろうって不安だったけど、面白かった」


 莉緒はそう言って、満足げに笑った。


「結局本は何冊借りたの?」


「えっと、今日読んだ本も含めて三冊かな」


 莉緒はなんて事のないようにそう言った。


「すごいね。一週間でそんなに読めるんだ」


 私が感心したように言うと、莉緒は照れたように笑う。


「まあ、私は本の虫だからね。それに全部読み切れるかどうかはわからないよ。一冊は法律とか制度の本だから、読むのに苦労しそう」


 その答えに私も大きくうなずく。


「私も。こっちは一冊だけだけど、それがザ・学術書って感じ。面白いけど肩がこるというか」


 私がグルグルと肩を回しながらそう言うと、莉緒はクスクスと笑った。


「そうだね。小説ならスルスル読めちゃうんだけどね」


「いやいや、それでも十分凄いと思う。私は挿絵のない本はどっちにしても苦手だよ」


 そんな当たり障りのない話をしていると、莉緒が少し緊張した面持ちになる。


「あの、華恋……。今日のことだけど」


「ん?」


 私は首をかしげる。


「華恋はどう思った?」


 チラチラとこちらの様子を伺いなら尋ねているのは、もちろん愛生と朔空のことだろう。


「あー……。良くないよね、あの二人」


「うん」


「朔空も朔空だけど、愛生も愛生というかさ」


「うん」


「なんで朔空は『不純な理由』なんて言ったのかなぁ?」


「え?」


 先ほどから静かに相づちを打っていた莉緒が、そこで初めて別の反応を返す。


「え? どうかした?」


 反応が変わった莉緒に問いかけると、莉緒は顔に困惑の表情を浮かべたまま口を開く。


「え……っと、華恋はあの二人のやり取りをどういう風に解釈してるの?」


「どういう風に?」


 質問の意図がわからず尋ねるも、莉緒は黙ってうなずくだけだった。私はひとまずそのままの意味と捉えて回答する。


「朔空が『不純な理由』とか言うから、真面目にやりたい愛生が怒ったってことじゃなくて?」


 そう言うと、莉緒は何とも言えない顔をした。困惑、驚愕、色々な感情が混ざっているようだ。


「……それだけ?」


 確かめるようにそう言われ、段々不安になってくる。


「……それだけ……じゃ、ない、の?」


 すると莉緒の目が泳ぐ。どう答えたらよいのかを思案しているようだ。


「えーっと、朔空の『不純な理由』に心当たりはないの?」


 そう聞かれて、改めて考える。朔空の『不純な理由』とは。確かに朔空にクィア研究の話をしたのは私だ。その時何か言っていただろうか。


「う~ん……はっ!」


「思いついた⁉」


 期待のまなざしを向ける莉緒に、私は頭に浮かんだことをそのまま伝える。


「ひょっとして、愛生を連れ戻すため?」


「へ?」


 しかし、私が必死に考えだした結論に対して、莉緒は肩透かしを食らったような表情を浮かべる。


「連れ戻すって何?」


「愛生、この研究のために部活を辞めたみたいなんだよね。朔空はそれがちょっと納得できなかったみたいで……。だから、連れ戻すためかなって」


 そう言うと、莉緒は残念なものを見るような目で私を見た。


「華恋……」


「え? 違う? 莉緒は何か心当たりがあるの?」


 朔空とはそれほど面識のないはずの莉緒がどうしてわかるのだろうか。


「……もう一度よく考えてみて。少なくともなぜ愛生が怒ったのかは察してあげて」


 莉緒が憂いを帯びた表情で私に懇願する。


「う~ん……」


 私は改めて脳内回路が焼き切れそうなほど考えた。しかし、なかなか代わりの答えは出てこない。


「……あの、これは私の勝手な予想だけどね」


 そんな私についに莉緒の方が折れた。


「はい」


「『不純な理由』って、華恋のことじゃないかな」


「……はい?」


 それは私にとって、全く予想だにしない答えだった。

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