第5話 クィア研究のすゝめ
「で、ちょっと話が前後したけど、卒論についても聞いていい?」
まさにたった今、晴れて恋人関係になったとは思えないほど色気のない話だけれど、色々と話をする中で俄然興味が沸いてしまったので致し方ない。
茂木は茂木で、待ってましたと言わんばかりだ。
「もちろん! むしろそれがメインと言えなくもないからな」
その発言には引っ掛かりを覚えつつ、しかしそれは捨て置いて、私は話を促した。
「性の多様性を勉強する学問、クィア研究、だっけ。つまり茂木は性の多様性をテーマに卒論を書くの?」
すると茂木は大きくうなづいた。
「うん。リスロマンティック疑惑で色々調べるうちに、結構面白い分野だと思ったんだ。性のことを意識したことのない人間なんて、多分この世にいないだろ? 過去、現在、未来を含めてありとあらゆる人間が向き合い続けるテーマだ」
熱く語っている茂木には悪いけれど、抽象的なことを言われてもよくわからない。
「それはそうかもしれないけど、具体的にどんな学問なの?」
「そうだなぁ……」
私の問いに、茂木はどう答えようかとしばし考えこんだ後、おもむろに口を開いた。
「例えば性別って聞かれて何を思い浮かべる?」
「え。う~ん、そうだな。パッと思い浮かぶのは男と女かな」
私がそう言うと、茂木はうんうんとうなづく。
「大体の人はそう答えると思うんだけど、そもそも性には色々な要素があってさ。SOGIESCって言って、SO、Sexual Orientation、性的指向。GI、Gender Identity、性自認。E、Gender Expression、性表現。C、Sex Characteristics、身体的性のことを指してるんだけど。性的指向はどの性別を好きになるかならないか、性自認は自分の性をどう捉えているか、性表現は服装とか髪型とか性をどう表現しているか、身体的性は外性器とか性染色体とか身体的特徴の性のこと」
よくそんな説明をそらで言えるなと感心してしまうが、茂木の顔は真剣そのものだ。
「リスロマンティックとかアロマンティックはこのうちの性的指向の一つだ。異性愛と同性愛は割と認知度が高いと思うけど、性的指向にもたくさんの種類がある。これに加えて性自認、性表現、身体的性にもたくさんの種類があって、性の在り方っていうのは本当に多様なんだ。そういうのを体系的に理論立てて学ぶのがクィア研究だよ」
懇切丁寧に説明してくれた茂木には悪いけれど、やはり話が抽象的過ぎてわからない。私が微妙な顔をしていたからなのか、茂木はもう一度深く考え込むと、私の反応を伺いながら話を再開する。
「同性婚って聞いたことある?」
「あ、それなら」
私がそう言うと、茂木はほっとしたようだった。
「今の日本は戸籍上女性と戸籍上男性しか結婚できないんだけど、それはおかしいよねって、そういう、性に関する当たり前をクィアの視点から疑って考え直す学問だよ」
先ほどよりはイメージしやすい説明に、私は考えながらも応答する。
「ふ~ん。人が人を好きになるのは当たり前とか、好きになったら相手からも好きと思ってほしいのが当たり前とか、そういうのを疑って考え直すってことかな」
私がさらっとそう言うと、茂木は明らかに目を輝かせた。
「そう、まさにそういうことだよ!」
先ほど学んだばかりのことを言っただけだけれど、茂木が嬉しそうに笑ったので、私もちょっと胸がほっこりした。
「じゃあ、茂木はどういう性の当たり前を疑う卒論を書くの?」
一口に性といってもたくさんの要素があるということだから、ある程度対象を絞らなければ手に負えないだろう。
すると茂木はよくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに身を乗り出した。
「俺たちと同じようにさ、自覚がないだけで潜在的にクィアだって人は、実は結構いるんじゃないかと思うんだよ」
「確かに」
私はまだきちんと認めたわけではないからグレーではあるけれど、説明を聞いてしっくり来たのは事実。
もしかしたら、ちょっと人とは違うのかもしれないと思いつつも、自分がクィアだと思っていない人はいるかもしれない。
「だから、多数派は本当に多数派なのかっていうのを卒論のテーマにしようかと思ってるんだよね」
難しい話を聞いていたときはあまり興味を持てなかったけれど、そのテーマは面白そうだと思った。
「へぇ、いいじゃん」
すると茂木はとても満足そうに笑った。
「だろ? 比嘉もさ、せっかくクィアについて知ったんだから、それをテーマにするのはどうかなと思ったんだよ。基礎的なところの調査は手分けしたほうが楽だしさ」
結局は茂木の思惑通りに進められていることに若干面白くない気持ちもあるけれど、それ以上に興味をそそられ始めていた。
「分野としては面白そうだけど、結局対象をどうするかだよね」
すると、茂木はとても楽しそうに笑った。
「俺としては、やっぱり比嘉は〝恋愛〟をテーマにすべきだと思うね」
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