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「戦前のことで、その詳細はこちらでも把握しきれておりません」


鉻田が海苔巻きを食べているのに構わずに、弾山は話し始めた。


「当時の情報機関が情報の伝播速度を計測するためにとある怪談をでっち上げ、鹿児島の小学生に聞かせたそうです。先生もご存知でしょう、トイレに少女の姿をしたお化けが出てくるというアレです。結果として、それが北海道の小学生の間でまことしやかに語られるようになるまで一年とかからなかったのだそうです。それも、ネットが大衆に普及するずっと前のことです。先生は、なぜここまで速く広まっていったのだとお考えですか?」


そう聞かれて鉻田は、海苔巻きを急いで咀嚼した。弾山は鉻田を急かすことなく、落ち着いて答えを待っていた。


「たとえそれが事実だとしても、一つの実例だけで正しい答えを導くことは困難です。しかし、あえてその理由を推測するとしたら、それはその怪談を構成する聖と俗の構造が、われわれが古くから続けてきた信仰のそれとピッタリ一致したからでしょう」


それを聞いた弾山は深く頷いていた。鉻田は、首を縦に振るだけで口をつぐんだままの弾山を見て、さらに続けろと言われているように思った。


「確かにそのストーリーに出てくるアイテムは非常に近代的です。学校のトイレ、スカートなんかは、比較的新しいものです。しかし、その構造はそれ以前に信仰されていた厠神と類似しています。さらにそれは、もっと古くからこの国の人々に共有されていた排泄物やトイレに対する聖俗観を有していることがわかります。つまりこの怪談は非常に古くからこの国で語られてきた伝承が、場面設定だけを時代に合わせてアップデートしただけのものにすぎないのでしょう。我々が古くから持っていた聖俗観と一致したら、真実味が増したように錯覚し、多くの人々に受け入れられ、素早く伝播していったのでしょう」

「なるほど、お見事です。先生の仰る通り、その怪談が、我々が先祖から引き継いできた聖俗観という根本の価値観を保っていたのでしょう。しかし興味深いことに、それは子供たちに学校のトイレが怖いという新しい観念を与えたことも我々は確認しています」


弾山はそう言うと、満足したような笑みを浮かべた。冷蔵庫を開けて、二本の海苔巻きを取り出すと、一本を鉻田の方に差し出した。自動車の後部座席に座った二人は、海苔巻きの外装のビニールをペリペリと剥がしていた。


「第七課でそこまでわかっているのなら、どのような文化を活用するか迄決めているのではありませんか」


鉻田は二本目の海苔巻きを食べながらそう言った。


「ええ、仰る通りです。我々は来訪神信仰を流用できればと考えています。戦前、来訪神に関する儀礼は全国的に行われてきました。ですから、国民も受容しやすいのではと考えています」


弾山は自信ありげにそう言った。


鉻田は、来訪神信仰が全国的な分布を見せていると言う弾山の意見には同意できた。どこか遠くにある所からカミがやってくるという観念は確かにこの国の人々に広く受け入れられてきた。ナマハゲのような祭りが全国的に存在していることがその証左の一つである。さらに、盂蘭盆に先祖が、どこかにあるというあの世から家に戻ってくるという考えも、七福神が描かれるとき決まって彼らが船に乗っていることも、この観念に基づいていると言われていた。盂蘭盆や七福神などは非常に多くの人々に受け入れられていた。


だが、鉻田はこのような来訪神信仰を活用して新しい文化を受容させることが難しいとも考えていた。


「確かに、来訪神信仰は全国に広まっている文化の一つです。しかし、この観念は一枚岩ではない可能性があります」

「どういうことですか」


弾山は、海苔巻きを口に持っていこうとしていた手を止めて、身を鉻田の方へ向けた。


「伝承ではナマハゲは漢から男鹿へやってきたと言われています。ニライカナイも海のはるか向こうにあると信じられています。これらは、異界がこの世と同じ水平に存在しているという、水平他界観に基づいています。しかし、盂蘭盆を例にとってみれば、それは天上のあの世からやってくると信じられていることがある。また、ナマハゲも普段は集落を見下ろす山にいると言います。これらは、異界がこの世と垂直方向に離れた場所にあるという垂直他界観に支配されています。異界のある場所が異なるのであれば、その深層にある文化が違ってくる可能性があります。異界の位置のねじれを無視して、来訪神信仰を一括りにして扱うのは慎重になった方が良いと思います」

「なるほど、それには気が付きませんでした。カーゴ・カルトを例にとってみるとどうでしょうか」


弾山の言ったカーゴ・カルトは、メラネシアで起こった、文明の利器に接していなかった人々による、文明の利器による信仰だった。


「カーゴ・カルトですか」

「ええ、カーゴ・カルトが広まったメラネシアでは水平他界観の一種、海上他界観の存在が報告されていました。しかし、彼らが信仰する飛行機は空を飛びます。彼らは飛行機が上空から物資を落としたことから、飛行機などを信仰し始めたということです。つまり異界の方向は関係ないのではないでしょうか」

「カーゴ・カルトを利用することを考えているのですか」

「はい」

「カーゴ・カルトは単純な来訪神信仰とは異なるのではないですか。あれは来訪神の概念と聖書的終末思想が混合してできたもので、クエーカー運動や太平天国の乱に近いものではないでしょうか。信仰の拡大は、あなた方が企図したものと異なる結果を引き起こしかねません」

「と、言いますと?」

「千年王国説に基づいた救済運動は酷い形で頓挫するというのが歴史的経験則から導かれています。指導者たちの腐敗です。今回の場合革命とは異なりますが、意図しない結末を迎える恐れが非常に高いと考えます」


鉻田がそう言ったのち、弾山は口をつぐんでいた。鉻田が見ると、弾山はうなだれていた。計画が否定されて、残念がっているかのようだった。


「文化が平和を維持する機能を果たすことが不可能とは考えていません。私はあなた方の平和的社会を実現させる意志とその手法には賛同します。適切な文化の考案には際して、私の知見を活用していただきたいと思ってします」

「鉻田先生、我々に協力してくださるのですね」


弾山は素早く首をもたげて鉻田の方を向いた。


「ええ。協力させてください」


鉻田は静かにそう言った。弾山はその言葉を耳にすると、運転手に目配せをした。自動車は進行方向を変えて、公安部県支部の方へ向かって走り出した。 

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