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元来た廊下を戻って、エレベータに乗ると、鉻田は一階へ戻っていた。弾山が出口の方へ向かったので、鉻田も彼についてその方向へ行った。鉻田は、建物の前の通りに、見覚えのある公用車が停まっているのに気付いた。公用車は同じものもあると知っていたが、以前乗ったときに見た設備の充実具合から見て、相当高級な車だと知っており、それが何台も県支部にあるとは思えなかった。まさかという思いが鉻田の中にあった。


「適当に回してくれ」


乗車するや否や、弾山が運転手にそう言ったのを鉻田は聞いていた。燃料代もただではない。たかが自分と話すためだけに、行く当てもなく自動車を走らせる余裕があることに彼は驚いていた。限られた予算を燃料代に浪費できる権限がある弾山は何者なのか、聞いたことがなかったのに気が付いた。


「まず一つ聞いておきたいことがあります」


一度経験しているため、すぐに柔らかいクッションに腰を落ち着けることが出来た鉻田は、早速そう切り出した。


「先日あなたは文化を国民に選択させると仰っていましたね。果たしてその文化が社会の維持という機能を果たしうるのでしょうか」


「無造作に選択した文化を、国民全員が受け入れたとしたら、その文化が暴力的な行動を助長する機能を果たす可能性はあります。ですから、我々は平和的な行動を選択させる機能を果たす文化を新たに作り上げていきたいと考えています」


「ということは、私はその文化を作ることに協力すればいいわけですね」

「ええ」

「しかし、仮に意図した機能を果たす文化ができたとしても、それを人々が受け入れない可能性もありませんか」


鉻田はそう言って、弾山の方を見た。弾山は背もたれに体重を預けていた。その様子は鉻田の目にくつろいでいるようにも、ただ時間が過ぎるのを待っているようにも見えた。ただ、鉻田との議論に積極的なようには見えなかった。


「終末戦争のさらに前の戦争で、わが国では配給制を取り入れましたが、国民はこれを受け入れず、制度は形骸化したという記録があります。それは生産量などの数値の向上を重んじるという価値観が浸透していなかったからであると言われています。新たに文化を作り上げることは、それを受容させることも考えていかなければなりません。機能と受容をどうやって両立させるおつもりですか」


鉻田はさらにそう続けたが、弾山は興味なさげに車窓を眺めていた。


「やはり、あなた方は民衆に首輪をつけて従わせる気ですか」


鉻田は声を荒げた。だが、弾山は鉻田の問いに答えることなく、すました顔で車窓の景色を眺め続けていた。時折、思い出したように、右手首に巻いた腕時計を眺めたりする動作は、軽くあしらわれているように映り、鉻田の血をさらに沸かす役割を果たしていた。


「申し訳ないが、ここで降ろしてもらえませんか」


堪えかねた鉻田は、そう言うと、拳をドアに叩きつけた。結構な音が鳴り、振動が車内を揺さぶった。だが、運転手は車を走らせ続け、弾山は激情する鉻田を無視するかのように、車窓を眺め続けていた。少しして、ようやく弾山が窓の方に向けていた顔を動かし、鉻田の方を向いた。


「降りるのは少し待ってもらえませんか」


弾山は穏やかな口調でそう言った。そして、ゆっくりとした動作で、手首に視線を落とした。


「ラジオをつけてくれ。チャンネルは四番で」


弾山は運転席の方に身を倒してそう言った。運転手は視線を前に保ちながら、慣れた手付きでカーラジオの電源を入れた。


「……うです。お聞きください」


スピーカーから、発音のはっきりとしたパーソナリティの声が、ノイズの少ない波に乗って流れてきた。鉻田は、もう役人たちに付き合う気がなかった。だが、運転手が自動車を停車させない以上、降りることはできず、仕方なくラジオに耳を傾けた。


ラジオでは、何かしらの管楽器が重低音を奏でていた。アナウンサーが曲名を読み上げるところを聞き逃したため、鉻田は何の曲が流れているのかわからなかった。そして、弾山がなぜ彼にこれを聞かせたいのか、その意図をくみ取れずにいた。ラジオは相当上等なものを使っているようで、ノイズは一切入らなかった。我々の税金を、こんなところに投入していると知って、鉻田は憤りを感じた。結局彼らは、民衆を自動で動く人形のようにしか思っておらず、いつも人形から出来るだけ長く、出来るだけ大量の金を搾り取れるかしか考えていないのだろうと鉻田は思った。


急に聞き覚えのある旋律が、スピーカーから鉻田の耳に届けられた。鉻田は歌い始める直前のトランペットの独特な旋律を聞いてようやく『折れた金門橋』だと気づいた。全国的な大ヒットとなったこの曲は、どこの土地へ行っても、必ず耳にするほど流行していた。


鉻田の頭の中に、一つの考えが芽生えだした。弾山が何を言いたいのか、そのありえそうな答えが一つ浮かび上がった。だが、鉻田はそれを確信してはいなかった。


「お腹は空いていませんか?」


弾山はラジオから『折れた金門橋』が流れたということを鉻田に知らしめただけで満足したのか、サビに入る前にそう言った。そう言われた鉻田は、自分が空腹だということに気が付いた。時計の針は二本とも文字盤のてっぺん辺りにいた。


「何か出るんですか?」


食事で彼らになびかないという意思表示のために、鉻田はわざとぶっきらぼうにそう言った。鉻田の答えに満足したのか、弾山は笑顔をこらえたような滑稽な表情を浮かべた。そして彼は運転席の背もたれの後ろの面に触れた。背もたれは観音開きの扉がついていて、その奥には冷蔵庫が置いてあった。冷蔵庫の存在を気付かせないように、自動車の内装に気を配ってあるのに加えて、冷蔵庫の品質が高く、静かにしていたため鉻田は背もたれの中に冷蔵庫が嵌っているのを見てとても驚いた。上質なクッションのついた座席や、高品質のラジオや冷蔵庫までついているこの自動車は公用車というよりも、接待用の車のようだと彼は思った。


「時期は外れていますが、戦前に流行っていた恵方巻です」


そう言うと、弾山は冷蔵庫から片手で一周分を握りきれるくらいの直径で、十センチ強の円筒形の物を取り出して、鉻田に差し出した。ビニールの外装の中には、海苔巻きがあった。鉻田は、その海苔の香りに誘われて、早速一口頬張った。


「戦前のことで、その詳細はこちらでも把握しきれておりません」


鉻田が海苔巻きを食べているのに構わずに、弾山は話し始めた。

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