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一連の儀礼が終わったようだった。と言っても、神官がシロモノの前で祓串を振って祝詞を唱えるくらいしかなかったようだった。神官がシロモノに向かって一礼をしてそこからはけると、集まっていた人々の間でささやき声が湧き出し始めた。鉻田は彼らが振舞われる酒に浮足立っていることを感じた。


「先生も一杯、いかがですか」


 すでに引っ掛けて、顔を真っ赤にした挟箸バラムツが鉻田に言った。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」


鉻田はそう言うと、バラムツからコップを受け取って中身を口に含んだ。それは予想以上に甘かった。嚥下するとアルコール分よりもその甘さによって、鉻田の喉は焼けるように痛み出した。予想外の味に鉻田は思わずむせてしまった。


「これは何の酒ですか」

「メロンリキュールですよ」


鉻田の問いに対して、バラムツは呂律の回らない口でどうにかそう答えた。


挟箸家も左前家同様に漁業依存からの脱却を目指していたが、工業化ではなく農業分野への進出によってそれを果たそうと考えていた。彼らはシラフナ南部に広がる広大な砂丘でスイカやメロンの栽培を試験的に行っていた。その日の大漁の祝宴会で振舞われたメロンリキュールは、挟箸家の畑で獲れたメロンを利用して作られたものだった。


「アルコールはどうやって手に入れたんですか」

「うちでですね、トロロ酒を造っていましてですね」


バラムツはどうにかそれだけ言うと、鉻田の前からどこかへフラフラと立ち去ってしまった。鉻田は振舞われた酒を興味深そうに眺めてから、残りを一息で飲み干した。甘さで頭が痛くなりそうだったが、酒それ自体は悪いものではなく、久しぶりに気持ちよく酔えそうだと鉻田は期待していた。


カミに酒を捧げることは、この国でもずっと昔から行われてきた。だが、ある時期を境にして神酒は米から作ったものに限定されるようになった。米はこの国では特に重要視されてきた作物であったと鉻田は考えてきた。カミに対しては米そのものや、米から作った酒、そして米を搗いた餅を備え、農民はある時期まで為政者に対して税を米で収めていた。


しかし、シラフナで米に対する絶対的な神聖視が崩れているのを目の当たりにして、鉻田は驚いていた。古くは、この地方の古い方言で稲作不適地を意味する言葉で呼ばれていたシラフナの地では、文明の発達が最高潮に達した終末戦争直前でさえも稲作が行われることがなかった。終末戦争により流通が滞るとシラフナに米が届かなくなったシラフナの地では、この土地でもどうにか栽培できるナガイモから作った酒を代わりにカミに備えるようになっていた。


鉻田は、シラフナの人々が清酒を手に入れられなくなった際、その信仰を捨てるのではなく、清酒に対する絶対的観念を捨てて、どうにか信仰を続けていたということに興味を抱いた。


しばらく上等なリキュールを楽しんでいた鉻田だった。彼と同様に振る舞い酒を飲む老漁師の緑色の目を見て、吹き出しそうになるくらい、リキュールは彼を上機嫌にしていた。


しかしルグサの下の道に停めてあるリクシャーを見て、酔ってはっきりと物事を考えるのが難しくなった鉻田の頭を申し訳なさが占めるようになった。どれくらい飲んでいたのかわからないが、陽の傾きを見ると結構な時間が経っていることが鉻田にもわかった。その間、ウメサクはリクシャーの脇に立ってじっと鉻田を待っていたようだった。


その日、ウメサクの兄について無遠慮に触れたことも重なって、鉻田は彼に合わせる顔がないと思ったが、ここでうじうじとしていても、ウメサクを待たせるだけだった。鉻田はルグサの脇にある手水舎に寄って、すこし塩気がある水を飲み、多少は酔いを醒ますと急いでリクシャーの方へ向かった。


「待たせっちゃって、本当にごめんね」


鉻田は自分の呂律が回っているか心配だった。ウメサクは待たされたことを気にしていないのか、愛想のいい笑顔を浮かべて鉻田をリクシャーに迎え入れた。上等な酒の誘惑に負け、調査から外れて飲酒をした鉻田に嫌な顔一つせず付き従うウメサクが、余計に鉻田の胸を締め付けた。


リキュールによって諸々の感覚に布が被せられたような鉻田の頭には、いつもは不快に思う簡易樹脂エンジンの激しい振動が心地よく感じられた。彼はウメサクに対する非礼を詫びる気持ちも忘れかけていた。


「ウメサクくんの郷は何て言ったっけ?」


先ほど不覚にもウメサクの次兄について触れてしまったことを顧みずに、鉻田は再度ウメサクの故郷について尋ねた。


「ヒエマタです」

「ヒエマタに神社はあったの?」

「一つだけありました。ヤマミズ神社と言って小さな神社ですが、お祭りのときは村中の人が集まって賑やかになるんです」

「ヤマミズ神社でお酒は供えてた?」

「ええ」

「清酒?」

「いえ。ヒエマタは戦争に入ってから、稲作をやめて稗を育てるようになりました。米より収量は落ちましたが、稲作に必要な化学肥料の供給が途絶えたので」


ウメサクの運転するリクシャーは海沿いの道を走っていた。横を向けば鉻田も海岸の景色を見ることが出来た。終末戦争での従軍経験を機に鉻田は海が怖くなった。乗っていた戦艦が沈んで溺死しかけたからだ。鉻田は彼が海を見た時、感じることは終末戦争を境に変わったが、その目に映る景色は変わらないと思っていた。しかし実際のところ、終末戦争を経て、海はそれ以前とは比べ物にならないくらいに汚されていた。海水は人間に、より鋭い牙をむくようになっていることを鉻田は忘れていた。

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