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「鉻田先生じゃないですか」
どうにかルグサの奥を見ようとつま先立ちをしていた鉻田は、防毒マスクをかぶった人物に声を掛けられた。その人が来ていた長靴と一体になったゴム製の青いつなぎは、この町だけでなく、おそらく全国の漁師が着ているもので、鉻田は目の前にいるのが誰なのかさっぱり見当がつかなかった。どこかで聞いたことがある声だとは思ったが、マスクを通した声はくぐもっていて、それ以上のことはやっぱり思い出せなかった。鉻田は適当に挨拶を済ませると、またつま先立ちで人々の頭の上からその先を見ようと試みた。
「やっぱりお祭りには興味がありますよね」
鉻田がルグサの奥の方に興味を示している様子を見た、ゴムつなぎの防毒マスクはまた声を掛けた。
「鉻田先生、ついてきてください。奥へ案内しますから」
そう言って、ゴムつなぎは防毒マスクを外した。それでようやく、鉻田は声を掛けてきたのが、挟箸家の長男の挟箸バラムツだとわかった。
シラフナの漁師特有の文化として、子供に毒があるなどして扱いが難しいの名前を付けることがあった。鉻田がその理由を聞いても満足に答えられる者はいなかった。彼は、シラフナの漁師たちが漁の際に溺れて亡くなるのは海に引き寄せられたからだととらえていることから、毒のある危険な魚なら海も引き寄せることはないだろうと考えてこのような名付け方にしているのではないかと予想していた。
ルグサの奥には、地元の住民が「シロモノ」と呼ぶ、二米ほどの高さの片方の端がすぼんだ円筒形の物体が立てて置かれていた。その前には、この日の挟箸家の船で獲れた獲物の内最も立派なオニカブトブリといくつかの酒樽が供えてあった。鉻田に尋ねられたバラムツは、この儀式を漁の成果の一部を海のカミへお供えしてその日の大漁への感謝と今後の漁の安全と成功を祈るのだと言った。
「ルグサ」という言葉は「龍宮社」の転訛だと考えられるということは、鉻田より先にシラフナの調査をした者が報告していた。ルグサで執り行われる儀式を観察した鉻田は、前任者のこの意見には賛成だった。だが、前任者がシロモノを男性の象徴だと断定したことにはうなずけなかった。ルグサに配されたシロモノが戦艦の砲弾であることは、先の戦争で海軍に召集された鉻田の目には明らかだった。
バラムツは、戦時中の、今日みたいにたくさんの魚が取れた日に、一緒にシロモノが網に掛かったのだと言っていた。それ以来、シロモノは町の漁の守り神のような存在としてルグサに安置されるようになったのだという。
鉻田の知る限り、シロモノの由来譚に類似する話はこの国の海沿いの町で頻繁に存在していた。漁の際に網に掛かったり、砂浜に流れ着いていたりした何かをご神体として祀る例は良く知られていた。だが、それらの多くは何世紀も前の出来事として語り継がれていたし、ご神体も人工物だとしてもせいぜい仏像がやっとだった。金属製の砲弾をご神体として崇める例は、シラフナが初めてだった。
しかし、鉻田は漂着物に何かしらのありがたみを感じるという点では、砲弾だろうが仏像だろうがあまり変わりはないだろうと考えていた。そこで重要なのは、外から来たものを尊ぶという精神性であると考えていた。
唐や天竺と言った当時の実在した先進国から、龍宮や補陀落、ニライカナイなどと言う伝説の楽園まで、この国には海の向こうに物質的または精神的に豊かなトコヨがあると信じられてきた。このような観念から、外から来たものを尊ぶという精神性が生み出されたのではないかと鉻田は考えていた。
このトコヨ信仰ともいうべきものの内、漁業や海に特化したものはエビス信仰に分化していったと考えられていた。海の向こうや海底にあるとされた龍宮が海の魚の量を司るという思想が根底にあった。漁に関する儀礼が「ルグサ」つまり「龍宮社」で行われていることから、シラフナの漁師たちの間でも、少なくとも古くはその観念があったことは明確だった。浜に打ち上げられたクジラなどの大型水生生物の死骸や、水死体を、龍宮からの贈り物「エビス」と捉えて、漁業の神として祀るという信仰形態は海沿いの各地に存在していた。
鉻田はエビスに供物を捧げることが龍宮への貢献となり、将来の豊漁につながるという観念は感染の原理に基づくと考えていた。ある人物の一部もしくうは身に着けていたものに対する作為が、その人物へも伝わって及ぼされるというのが感染の原理である。以前龍宮に属していた「エビス」を祀ることの延長線上に龍宮を崇めることが存在すると鉻田は考えていた。
だが、鉻田はシナフナでの例がそれらの単なるエビス信仰とは異なる可能性があるという点も認めていた。それは崇める対象が兵器であるということではない。シラフナの西に位置するコノヒトという港町では、古代の亡命王族が漁師の間で崇められている例があるのだから、兵器を崇拝することを鉻田は問題にしていなかった。
「いやらしい話だけどね」
以前、鉻田の聞き取りに、シラフナの東側で魚屋を営む女主人が、声を潜めてそう切り出した。彼女はいつも三ブロック先まで聞こえるダミ声で集客するので、その当時シラフナに来たばかりだった鉻田にも印象深い人物だった。そんな彼女が急に周りを気にするように声をしぼめたので、話を聞く前に内容がとても扱いにくいものだということが予想できた。
「前の戦争の時、近海で戦艦とかが沈んで数か月すると、目に見えて漁獲量が増えるのよね。そんな時に取れた魚の腹の中からは決まって骨とか髪の毛とかが出てきたのよ。私も食べてきたし、認めたくはないけどさ、それで戦中ひもじい思いをしないで済んだと思うとなんだかね」
そこまで言うと彼女は、ちょうど店に来た客の応対を始めた。それ以降彼女がその話をすることはなかった。今でも鉻田がその魚屋の近所を通りがかると、彼女のダミ声がはっきりと聞こえてくる。鉻田はその声を聞くと、彼女がその話を深刻に受け止めていたことがわかるようだった。
彼女のようにはっきりと、水死者と漁獲量の相関を鉻田の前で話すものはいなかったが、戦争と大漁との関係を語中に含ませる人に、鉻田は何人も会ってきた。彼に文化調査を依頼した左前家がそうだった。諸々の物が不足してなし崩し的に終末戦争が終結を迎えると、彼はこれからの漁業がそれまでのように簡単にはいかないことを悟り、シラフナの戦争ありきの漁業依存体制を変えるために、工業化が必要だと考え始めた。
いくら豊かな生活や肉体的苦役からの解放と言った合理的な理由を唱えてみたところで、人々がそれまで守ってきた生活様式や文化を捻じ曲げてまでした工業化の多くは失敗に終わっていた。それは工業化以外についても戦前からわかっていたことだった。トラクターが作業できるようにと圃場整備を奨励したが、農場の所有を続けていくことを重要視していた文化の下では思うように整備が進まなかったという話は有名だった。左前家の当主、ゴンズイは鉻田が復活政府の統治体制整備のために行っているシラフナの文化調査のレポートを、工業化の際に指針に使用しようと考えていた。
シラフナの大人たちが砲弾を知らないはずはなかった。恐らく彼らの中には、シロモノが砲弾であることをわかったうえで、それが海に大量の栄養を供給する起爆剤となることを認めて漁を司るカミとして崇めている者もいるのではないだろうかと鉻田は考えていた。
シラフナにおけるシロモノ信仰は、根は他のエビス信仰と同じではあるが、終末戦争を経て独特な変質を遂げたものであると鉻田は捉えていた。
だから鉻田は前任者が唱えていたような、シロモノと男性の象徴の類似性に関する直接的な関係はないと考えていた。一方で彼は、無意識化で男性の象徴と生産能力との間に強い結びつきがあったため、シラフナの人々が数ある漂流物の中から形状が似ていた砲弾を崇拝対象に選んだ可能性もあると考えていた。しかし彼が属する学派はユングやフロイトが言うような無意識化のイメージが文化や信仰に影響するという姿勢を取っていなかったため、彼はその可能性について深く論じられる自信はなかった。
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