孤独な蝶は、異国へ。
私って、なんて恩知らずな人間なんだろう。私は真っ黒な心の中でそう思った。
菊さんたちはあれからずっと良くしてくれた。月夜様は私が欲しかった言葉を何個もくれた。水蓮様は私の知らない場所に連れて行ってくれた。
燈火さんは、私に帰る場所をくれた。
そんな人たちを、私は裏切ったんだ。私は、恩を仇で返すような人間なのだ。
苦しい。痛い。悲しい。辛い。
リュカ様について行けば私は救われるかもと思った。いや、救われなくてもいい。何か遠い所へ行きたかった。
でも、なんで私の心はこんなにも締めつけられているのだろう。
私は結局、意思の弱いやつなだけだったんだ。ただ自分が傷つくのが怖くて、簡単に恩ある人たちを裏切れる、最低な人間だった。
居場所が欲しい。愛して欲しい。私を見て欲しい。必要として欲しい。そんなワガママな人間なのだ。
誰かに縋って、自分を正当化して。ただの自分の考えだけでこうやって飛び出して来た。
私なんて、この世にいない方が良かったのかもしれない。居場所がないなら、もういる必要がないじゃないか。
そんな渦巻く心の中で私は独り、彷徨っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私は皇国の執事。私が専属で仕えているのは皇族であるリュカ王子。
今は桜華国へ訪問していた王子と共に皇国へ戻っているところなのだが。一つ大きな問題が発生した。
「よく寝てるねぇ」
王子は図々しくも王子の前で寝ている得体のしれない女性の頬をつついているのだ。
この人は一体誰なのだろう。王子の婚約者はこんな容姿ではないし、まさか、愛人……?
だとしたら大変だ。ましてや次の皇王でもあろう人が愛人なんていたら大問題だ。
「リュ、リュカ様。そちらの女性は、一体?」
「……あぁ、この子は俺が拾ったの」
「ひ、拾った!?」
私は気持ちを落ち着かせるために額を押さえた。
これは非常にまずい。愛人ならまだしも、まさかの拾った人間。ということは会って間もない人間ということだろう。
そんなやつを国に入れるわけにはいかない。
この際、今は好きにさせて王子が寝た後、そっとボートにでも乗せて帰ってもらうか。
「この子はねぇ、絶対連れて帰らないといけないんだぁ」
「え……?」
私は耳を疑った。当の本人は頬をつつきながら幸せそうな顔で微笑んでいる。
この娘は、一体王子にとってどんな人間なのだろうか。少なくとも王子に幼少期より仕え続けていた私は会ったことがない。
「失礼を承知でお伺いしますが、そちらは王子にとってどんなお方なのですか? お答え次第ではお帰り頂くこともありますからね」
私がそう尋ねると、王子はその笑みを消して私の顔を見据えた。その視線に私の背中に冷や汗が流れる。
「星蘭を追い出したら……お前の首をオブジェにするからねぇ」
また王子はニヤリ、と笑った。
この人は本当に何を考えているのだろう。長いこと仕えている私ですら、その思考回路を理解することはできてない。
リュカ・アルヴァリート。アルヴァリート皇国の第一王子として産まれ、次期皇王という称号を手に入れた男。
王子は小さな頃から周りとは違っていた。周りが気味悪がるような下手物を好み、年頃の子供が興味を持たないことに興味を持っていた。
とにかくこの人は周りが避けることを率先として行うような、知識欲に飢えている人だった。
そんな異質な王子ではあるのだが、実は誰よりも
城では好奇心旺盛な少年のように振る舞っていたかと思えば、一歩外に出ると威厳ある次期皇王と相応しい人間になる。
二重人格と呼ぶのだろうが、そう呼ぶには何かが違うような気がしていた。この人は、いかなる時も瞳の奥に何かが潜んでいた。
そして賢いだけでなく、強かった。騎士団最強と謳われる第一騎士団長でさえも、王子には勝てなかったのだ。
国民は、王子に多大な期待を寄せている。皇族に対する支持率は今までで一番高いだろう。
そんな王子がこの女性に執着する理由はなんだろうか。
「面白そうな予感がするねぇ」
「は、はぁ……」
「あ、そうだ。婚約破棄したんだぁ」
「は?」
ああ、終わった。どうしようか。今からでも桜華国に戻ってもまだ間に合うかもしれない。せめて皇国に着く前に何とかせねば。
「俺あの子あんま好きじゃねぇもん。というかあの精霊がいるんだしさぁ。今更結婚なんてする必要ないよねぇ」
「ルミラータ様ですか? 確かにあの方によって桜華国と我が国はより結びつきが強くなりましたけど……。でも、結婚することでお互いはお互いを簡単に攻め込むことはできなくなる。それに何かあった時は協力できるのです。賢い王子なら、分かるはずでしょう?」
少し、昔の話をさせてもらう。王子について。
桜華国は
だからこそ他国は何としてでも桜華国を味方にしたかった。仮に桜華国が攻めてきた時に、きっと勝てる国はそう多くないから。
そんな中、どの国よりも早く桜華国を味方にしたのはこのアルヴァリート皇国だった。まあ、ほぼ王子のおかげなのだが。
王子は誰よりも早く桜華国に目をつけていた。
皇国はこの世界でもかなり力の持った有数の国。近隣の国の様子もよく耳に入っていた。
そんなある日、桜華国についての情報が入った。
“桜華国に産まれた男児が白い髪と白い瞳を持っている”
それはまだ王子が五歳の頃だった。それなのにかかわらず、王子はその情報に喜んだ。きっとその王子が桜華国を変えるのだろう、と。たった五歳の子供が、そんなことで大喜びした。
それから王子はなぜか森へ通い、毒草や毒花を見つけていた。王子はいつも、必ずいつかこれが役に立つ時が来ると言った。我々には何が何だか分からなかったが、またこれは別の話。
話を戻して、まず精霊について話すことにしよう。
この皇国には
下級、中級。この辺りは人々により近い存在で、小さく影響力のない精霊。
上級。限られた精霊のみが上級となることを許されており、人々が目にすることはほとんどない。人間程のサイズで、影響力のある存在だ。
そして精霊王。唯一無二の存在で、全ての精霊の頂点に立つ精霊。人々は目にしてはならないとされている程、高貴な存在。その大きさは皇国全体を覆い尽くせるという。
そんな精霊の中でも上級精霊の一人である、光の精霊ルミラータ様に王子は毒草の管理を任せた。ルミラータ様は上級精霊の中でも稀な光属性の精霊。そんなお方を桜華国へある毒草を輸入する際、一緒に送り届けたのだ。
光属性の精霊には、“守護者”なんていう風に言われることもある。そんな意味も含めてルミラータ様に毒草の守護を任せるとして桜華国へ送ったのだ。
ルミラータ様の目的はただ一つ。桜華国を味方にする上で、絶対に桜華国が皇国を敵に回さないようにすること。
つまり、桜華国の天才研究者の大事にする毒草を必ず守り続ける。これができなければ、桜華国が皇国を味方にするメリットがなくなる。今の桜華国は、皇国など簡単に支配できる力を持っているのだから。
最初はすぐに帰る、といじけていたルミラータ様だったが、あれから一度も皇国に顔を見せに来ていない。あちらで上手くやっている証拠だ。
しかし、それだけではやはり結びつきが脆すぎた。
そこで皇王が思いついたのが両国の王子と姫の結婚だった。幸いにも歳の近い王子と姫が両国にいた。今回は嫁入り、という形であちらの姫が皇国に来てもらうことになっていた。
それなのに、王子は婚姻を破棄してしまった。恐らく、いや絶対本当のことだろう。
桜華国には何のダメージはない。だが、皇国には直接的なダメージはないものの、いつかこれが原因となって傷を作ることがあるかもしれない。
どう皇王様に説明すれば良いのか、私は必死になって考えていた。なのに王子は考えるどころか、考える素振りも見せずにその女性を見ている。
賢いと思っていたのに、こんなことをやらかすなんて。最悪だ。私のこの苦労も感じ取って欲しい。
「お前はさぁ、黒蝶って知ってる?」
「黒蝶、ですか? もちろん存じ上げておりますが……。確か桜華国に伝わる伝説ですよね」
「そう。可哀想な、黒い蝶のお話。それ、この子」
「は? ……王子、一旦寝ましょう。その女性を追い出したりしませんから寝てください。頭を休ませましょう」
私は嫌がる王子を無理やりベッドに放り投げた。暴れる王子を抑え込むようにしながら薄い布をかける。
「あっはは。焦ってる。何をそんなに焦ってんの?」
「いいから。はい、おねんねしてくださーい」
私がそう王子の胸をトントンと高速で叩く。王子はヘラヘラと笑ったままだ。
焦ってなんかいない。ただ、王子があまりにも変なことを言い出すから早く寝て欲しいだけだ。熱があったら寝るのが一番だから。
そうだ。王子の戯れなんだ。私を困らせることが好きな王子のことだ。今回のこともこうやって私を困らせたいだけなのかもしれない。
だから、この女性がこの世界を
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