孤独な蝶は、別れを。
日が傾き、肌寒さが増してきた。
何も考えずに飛び出して来てしまったから持ってる物は何もない。私は自分の手で腕を擦りながら森の奥に入っていった。
そういえば、ここは希少な動植物が住まう森だと燈火さんは言っていた。その割には動物なんていないし、色づいた葉を持つ多分
私は風に揺られている木々の音だけを聞きながら歩き続けた。
私も、今だって愛されたいと願っている。誰か一人でもいい。ここが私の居場所なんだって思える場所がただ欲しいだけ。ただそれだけなのに、なぜこんなにも長いこと手に入らないのだろう。
犯罪者にも友達がいて、家族から愛されてる人がいるじゃないか。でも私は犯罪もしてなければ、ずっと良い子に生きてきた。親孝行しようと思ってたくさん勉強した。愛されなくたって、いつか来るはずの愛してくれる日のためにたくさん努力した。
それなのに、なんで私だけ愛されないの?なんで、私だけ幸せになれないの?
幸せになれないのなら、なぜ私は産まれたの?
私はそんな自分が憎くなり、地面を踏みつけるように歩いた。
「あれれ、おかしいなぁ。ここは立ち入り禁止だってお母さんに教えてもらわなかったのぉ?」
私は不意に背後で聞こえた声に驚き、振り返った。
そこにいたのは白色の髪を持ち、白色の瞳を持つ若い男性だった。
この見た目は月夜様が言うには奴隷身分の特徴だと聞いていたが、目の前にいる人は豪華な服を着ている。しかし着物ではない。まるで絵本の中の王子様のようだ。
男性は私を見るなり、目を丸くさせて微笑む、というよりニヤリと笑った。その王子様らしい衣装を着ている人とは思えない表情に、私はぞくりと震えた。
「あ、あなたこそ、こんな所に何の用ですか?」
「……あ、異世界人だぁ。俺は異国の人間。この国は居心地が最悪だからぁ、ここで過ごしてるの」
「なぜ私が異世界人だと……」
「黒髪に黒目。それにこの匂いがこの世界のものの訳がないでしょ? 桜華国もさぁ、こんな面白いことがあるならさっさと言えば良かったのに。ちぇ」
男性は拗ねたように口を尖らせて言った。しかし、その表情はずっと、変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべている。
少し、気味が悪い。
この人は、一体何者なのだろうか。ただ直感であまり深く関わってはいけないということは、感じていた。
「ねぇ、異世界人。ここに何しに来たのぉ? 死にたかったぁ?」
「……は?」
「ここはねぇ、この桜華国の人間でさえ容易に立ち入らない、
私は首を傾げた。
ここまで歩いてきたが、死ぬ要素なんてなかった。岩が落ちてくることもなければ変な物が育ってる様子もない。至って普通の森に見えるが。
「あっはは。何も分かってないんだねぇ。仕方ないからぁ、俺が特別に教えてあげる。この森は貴重な自然が多く存在してるから、多くの人々に狙われるんだぁ。一目見たいだけの人もいれば、それを飼いたい人、それを狩りたい人だっているからねぇ。だからこの国は
男性は近くの場所に屈んで、ある草を指さした。
それはとても美しい草だった。キラキラと輝き、みずみずしさを感じる草。手の平よりも少し大きなこの草は立派に根を張って育っている。
しかし、見るからにどこにでも生えてそうな草だ。本当に人間にだけ有害とされる草なのだろうか。
「この草はねぇ、俺がこの国の偉大な研究者にあげたものなんだぁ。だけど、まさかこんな大量に植えるとは思いもしなかったよぉ。アイツ、ほんと何考えてんのか分かんなぁい」
私は首を傾げた。恐らくこの人が言う「偉大な研究者」とは燈火さんのことだろう。しかし、私が疑問に思っているのはそこじゃない。
なんでこの人が国にこんな危険な草の譲渡ができるのだろう。普通、外交官とかそれなりに偉い人がやるものではないのだろうか。
「そんな顔するならぁ、ほんとのこと言わなきゃね。俺はぁ、アルヴァリート皇国の第一王子、リュカ・アルヴァリート。よろしくねぇ」
「お、王子……?」
私は驚いた。確かに立派な衣装だな、とは思っていたけれどまさか王子だったとは。
それに、この“アルヴァリート皇国”の名はどこかで聞いたことがあった。
どこで、聞いたんだろう。
「君はぁ?」
「え、あ、星蘭、です……」
「へぇ。可愛い名前だねぇ。……この国は大嫌いだけど、君は好きぃ。ねぇ星蘭。俺の国に来ない?」
私は息が詰まったような気がした。
それは、私がこの国から離れる、ということ。
この国にはたくさんの恩がある。拾ってくれた上に私に手を差し伸べてくれた。私に、居場所をくれた。
でも、それは私がただ思い込んでいただけなのかもしれないのだ。
居場所なんてものは最初からなかった。
燈火さんがああやって化けの皮を被っていたみたいに、もしかしたら今まで私が関わってきた人は全員化けの皮を被っているのかもしれない。
そう、考えてしまった。
だって私には“人を信じる”ということができないから。したくてもできない環境で今まで生きていたから。だからそう考えてしまうのだ。
だからこの人に、アルヴァリート皇国に行ってもいいのではないのだろうか。
そんな気持ちと裏腹に、行ってはならないという気持ちも、私の心には芽生えていた。
それに、その国に私が行って何の得があるのだろうか。私はそこで生きていられるのだろうか。幸せに、なれるのだろうか。
私はそんな思いで心がぐしゃぐしゃになった。
何が正解なのか、分からない。
「怖がらなくても俺が守ってあげる。だからぁ、何の心配も要らないからねぇ」
リュカ、様はそう言って微笑みながら私に手を差し伸べる。
どうするべきなのだろう。どうしたらいいのだろう。
どうしたら、私は幸せになれるのだろう。
「さあ、おいで。星蘭」
「あ……」
私はそのリュカ様の言葉に不思議と心が軽くなった。
なぜだか分からない。けど、確かにこの心にあった黒い
別に私はこの国の出身じゃない。たまたま、この世界に来た時にここで目を覚ましただけ。私がここで何をしようが、ここの人たちには関係のないことじゃないか。
なんで、そのことに気づけなかったのだろう。
さっきまで悩んでいた自分が急に馬鹿馬鹿しくなった。
私はゆっくりと自分の右手をリュカ様に向かって伸ばした。
「私を、ここから出してください」
リュカ様が私の手を掴むと、力強く引っ張った。私はそれに抵抗することなく、そのまま従う。
するとそんな私を見て、リュカ様はまた薄気味悪い笑みを浮かべた。
「あはっ。星蘭面白いねぇ。目が全然光ってない。何かに絶望してるんだぁ。いいよぉ、俺が助けてあげる」
私はリュカ様に引っ張られるがままに、その後をついて行った。
リュカ様と私は森から抜けると、露海港の方へと向かった。
露海港は夜だと言うのに明るく、騒がしかった。
「……あれ、星蘭?」
「あ、本当だ。おーい!」
露海港の船着き場付近まで来た時、私は背後から聞き慣れた声を聞いた。
菊さんと鈴さんの声だ。きっと二人の横に琴さんもいるのだろう。
私は立ち止まることを一瞬考えた。せめてお別れの挨拶くらい、するべきなのかな、と思ったから。
だが、私は立ち止まらなかった。ここで挨拶してしまったらきっと月夜様へ直ちに連絡を入れるはずだ。何も言わなくても連絡は入れるが、目的やら何やらは伝わらない。
私はなぜだか胸がズキズキと痛くなったが、その気持ちを無視してリュカ様について行った。
さようなら。菊さん、鈴さん、琴さん。
リュカ様は周りと比べて、特段と大きな豪華な船の前に止まった。アルヴァリート皇国の船だろうか。白くて、所々に金色の装飾がされている。
私が船を観察していると、中から黒い燕尾服に身を包んだ男性が数名出てきた。
「帰る」
リュカ様が気だるげにそう言うと、燕尾服の男性たちは慌て出した。
「滞在期間は残り三日もございます。その間、こちらの国の王族との交流もありまして、まだ帰ってはいけない──」
「聞こえなかった? 帰るっってんの」
リュカ様は男性たちを睨みながら、聞いたことのないドスの効いた声でそう言った。男性たちは震え上がったように萎縮してしまう。
「早く出港の準備してねぇ。あ、あとこの子は星蘭。気に入ったから連れてくんだぁ」
そのリュカ様の話を聞いて、男性たちは私の顔を二度、三度見くらいした。
多分心の中では「誰だよ」とか「大丈夫なのかよ」とか思っていそうな顔をしているが、私にぎこちなくお辞儀をしていた。
「星蘭は俺の部屋ね」
「さすがにそれは……」
突拍子もないリュカ様の発言に、さすがの男性たちも止めに入っていたが、リュカ様の睨みによって拒否権はなくなった。もちろん、私も。
「アルヴァリート皇国は良い所だよぉ。こんな狭い国とは違って、広いし綺麗だしねぇ。星蘭も気に入ってくれるといいなぁ」
リュカ様は前とは違う、無邪気な笑みを見せると、私の手を掴んで船の中へ入った。
船の中は広く、綺麗だった。そんな船の最上階。ワンフロアがリュカ様の部屋なのだという。白で統一された部屋だ。
丸机と二つの椅子。ふかふかそうなソファにふかふかそうなカーペット。一人用というには大きすぎるベッド。シャワー室があり、バスタブが置かれている。トイレ、台所、書斎などがある。
これは部屋というより家だ。月夜様の月の間よりも大きいかもしれない。
アルヴァリート皇国は、発展した国なのだろうか。
「好きなとこに座ってていいよぉ。疲れてたらベッド寝てもいいし。好きに使っていいからねぇ」
リュカ様はそう言って微笑む。さすがに寝るのは気が引けたので、ふかふかのクッションがついた椅子に座ることにした。
夜景を見る気にもならなかったので、私はリュカ様のことを見ていた。
さっきまで暗い所にいたからリュカ様の顔はよく見えていなかったのだが、こうして明かりのある所で顔を見てみると、燈火さんたちとはまた違った系統の、とても綺麗な顔を持っているのが分かった。
白い瞳のある目はタレ目でまつ毛が長い。その目にふわふわそうな白い短い髪が似合っている。しかし、そんな優しそうな見た目とは裏腹に、その白い瞳は何かを見据えるような鋭い目をしていた。
私がしばらくリュカ様をぼーっと眺めていると、リュカ様が私の顔を覗き込んで来た。
「なぁに?」
「あ、いえ。何でもないです」
「そぉ? 皇国まで距離あるから疲れたらいつでも寝ていいんだからねぇ。あ、別に殺しやしないから安心して」
リュカ様はそう微笑むと、私の頭を優しく撫でた。
なんで、リュカ様はこんなにも私を良くしてくれるのだろう。見た感じ気分屋そうな彼は、私のどこに目をつけたのだろう。
そんな時、一瞬にして瞼が重くなった。睡魔が襲ってきたのだろうか。こんな状況で。
私は不思議と重たくなる瞼に抗えなかった。だんだんと見えなくなるリュカ様の姿にそっと手を伸ばす。
なぜだか、あなたを知っている気がして。
私はその胸に引っかかっていることの正体に気づかぬまま、視界は暗くなってしまった。
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