孤独な蝶は、灯りを見失う。
すっかり冷え込んで木々が色づいた頃。私は庭の枯葉掃除に追われていた。
「それにしても屋台街の少し先の森は立派ですね」
私が掃除している傍らで読書をしている、師匠の燈火さんに声をかけた。
優雅にお茶を飲みながら読書だなんて。少しくらい手伝ってくれたっていいのに。
「ああ。この桜華国が誇る様々な希少動植物が存在する森です。国民でさえ、容易に入ることを禁じられています」
私は強い風が吹いて揺れた森の木々を見つめた。
希少な動植物って、きっと綺麗なんだろうな。なんて思いながら。
そんなことは置いといて、化粧水作りの件の話をしよう。
なぜこんなにも暇な時間を過ごしているのかというと、まさかの一回目で成功してしまうという奇跡が起こったのだ。
実践前に何度も試行錯誤を行い、計画を練っていたという努力の賜物かもしれないが、それでも一回目に成功するとは思いもしなかった。
パッチテストというものも行ったし、安全性に関しても問題ないだろう。
これから冬までに完成するといいな、なんて思ってたのに秋の初めに完成するなんて。
「……でも休みはまだありますよね」
「そうですね。とりあえず約二週間は暇です」
私と燈火さんはため息をついた。
これから何をしたらいいんだろう。
私はため息を零しながら、枯葉を集めて大きな木箱の中に入れる。この枯葉は肥料として使うそうなので保管しておくのだという。
私は掃除しても落ちてくる色づいた葉を見て、ふと昔のことを思い出した。
昔、母が私を捨てようとして失敗したこと。
だがこれはもう過去のことだ。今更昔のことを思い出したところで私には何の得もない。
私はその記憶を取り払うように頭を横に振った。
「私は、秋が嫌いです。あの森も。あまり良い思い出がないもので」
燈火さんは急に眉を下げながら微笑み、そう言った。
なぜ唐突にそんなことを言うのだろうか。
疑問に思って首を傾げた私を見た燈火さんは、困ったように笑う。そして読んでいた本を置いて目を閉じた。
「私の実の母は、この紅葉が綺麗な季節に死にました。あの森に、殺された。私もよくあそこに捨てられましたしね」
私は少し、いやかなり驚いた。燈火さんは、今まで本性はさらけ出してくれたものの、過去のことを自分から打ち明けてくれることはなかった。
私は頷くこともなく、ただ目を閉じている燈火さんを見つめていた。その瞳の奥でどんな感情が潜んでいるのか、私には検討がつかなかった。
「義母である正室の女は蛇のような人間です。ただ国王の寵愛を独り占めできるなら手段は選ばない。だからこそ側室ができれば精神的に追い詰めましたし、初めて男児を産んで国王の寵愛を手にした、ましてや奴隷の娘である私の母を、彼女は許さなかった。必ず息の根を止めると。それはまた丁寧に、幼い私にそのことを教えてくれたんですよ。あの人間は」
燈火さんはそのような言葉を並べているのに微笑みながら話す。でも、その声には確実に怒りが含まれているのが分かった。
きっと、燈火さんは私が思っている以上に苦しい思いをしてきた。ただ家族から愛されなかった私とは、比べちゃいけない程に。
「月夜と水蓮は心優しく育ちはしましたたが、でもやっぱり血を引いてるなと感じるところもあります。ですので、彼らのことなんてどうも思ってません。ああ、でもさっさと血が絶えればいいのにとは願ってますが」
私は心臓が掴まれたような気がした。
あんなに仲良く話していたのは嘘なのだろうか。月夜様と水蓮様と話していた燈火さんは、あんなに楽しそうにしてたのに。少し喧嘩することはあっても、それが兄弟のあり方だと思っていた。
なのに、燈火さんは心の底では何とも思ってなかったのか。
だったら私のことも、本当は何とも思ってないのだろうか。
そう思うと少し、心がズキズキと痛む。なんでこんなに痛いのだろう。
私は、燈火さんをどう思っているんだろう。
「私が研究者になったのは、全てあの王宮にいる人間に復讐するため。国のためとか、民のためとか。そんなの建前にすぎません」
笑顔なのにどこか冷めきった声に、私は燈火さんのことを理解することができなかった。
じゃあ、私を弟子にした理由は、目的は?
「急に、どうしたんですか……?」
私は震えた声で聞いた。
何に怯えてるのだろう。なぜ、震えているのだろう。分からないのに、私は燈火さんに問いかけた。
私の問いに、燈火さんは口を開く。
その瞬間、私はたまらなく恐ろしくなった。
一番私が聞きたくない言葉が耳に入りそうで、それが怖くて仕方なくて。自分で聞いたくせに燈火さんが喋り出す前に走り出した。
後ろで、私を呼び止める燈火さんの声は聞こえなかった。
私は必死に走った。研究所の外の階段を急いで降りて、とにかく走った。行く宛などどこにもないのに。
王宮に行った方が良いのかもしれない。だがそれさえも怖くて、私は王宮とは正反対の場所へ一目散に走る。
私がたどり着いたのは家が一つもない、木々で囲まれた場所。きっと森の中だ。四方八方木に囲まれていて、どこが屋台街の方角なのかもわからない。
だが、私は来た道を戻ろうとは思わなかった。
戻った方がいいかな。そう思った後に
母が私を森に捨てたのはまだ私がまだ八歳の頃だった。良い子にしてればきっと母は愛してくれる。そう、信じていた頃に起きたことだった。
当時の私は、“捨てられた”と分かっていなかった。
私の母は突然、家族でピクニックに出かけようと言った。母と兄と姉と、私。
初めてのお出かけに私は疑問に思うなんてことをしなかった。ただ家族と出かけられるという事実が嬉しくて仕方なかったから。
私が良い子にしてたから、お母さんは私を家族として扱ってくれるんだ。
そう信じてボロボロの服の中から一番可愛い服を選んで、一番乗りで玄関で三人が出てくるのを待っていた。
しばらくして四人分の温かいお弁当を持った母が、兄と姉を連れて玄関から出てきた。私は何も疑わずに、互いに手を繋ぐ三人の後ろを追いかけていた。
私は四人でお弁当を食べてからの記憶がない。
目が覚めたら夜になっていた。周りには家族の姿は見当たらない。
遊んでいたら疲れて寝てしまったのかも。もしかしたら家族は私を探しているかも。そう思って家族を探すことにした。
私は暗く、不気味な森を駆け回った。しかし家族を見つけられるどころか道にも迷ってしまった。出口がどこかも分からない。
私は多分ものすごい大きな声で泣いた。泣いて泣いて、声が出なくなるまで泣き続けた。
せっかく家族に愛されると思ったのに。早く見つけて。お母さん。
私は心の中で何回もそう助けを求めた。
結局私は明け方、山を登っていたおじいさんに発見された。その後、警察に保護されて家族の元に引き渡された。私は警察署へやってきた母に飛びついた。
だが、そんな私を見る母の目があまりにも冷めきっていて、私はその時にやっと気づいた。
母はわざと私を置いていった。
私はその時に
私はこんなにも必死になって探してたのに。愛してもらおうと努力していたのに。この人は、最初から私を消すことしか考えてなかったのだ。
しばらく壊れたように笑っていた八歳の子供を見て、警察官はどう思っていたのかな。何かがおかしいことに、気づかなかったのかな。
やっぱり、この世界にどこにも私を心配なんてしてくれる人なんていないんだ。
そう、八歳の子供が思ったのだ。
私は今、目の前に広がる紅葉を眺めて笑みを零した。
「そういえば私が捨てられたのも秋の、こんな肌寒い日だったっけ」
帰らなければ傷つくこともない。やっぱり居場所なんてどこにもなかったんだって、そう自分勝手に傷を抉る行為をしなければよかった。
無知でいれば、幸せだったのかな。あの時、私が探さなかったら。泣かなければ。違う人生を歩めたのかな。こんな人間にならずに済んだのかな。
私はそんな戻れるはずもない過去に後悔を募らせた。
私は誰にも見つからないことを祈り、決して振り返らずにゆっくりと歩き出した。
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