孤独な蝶は、バカンスを終える。
露海港は、月夜様が言った通りとても活気溢れる街だった。働く人はもちろん、道行く人まで。
露海港は、潮の香りと共に騒がしさを運んできた。
「もちろん生の魚も美味しいけど、塩焼きとかも好きなんだよね」
「王族も塩焼きなんて食べるんですね」
私が水蓮様の言葉に対してそう言うと、水蓮様は驚いたように目を丸くさせた。
「川魚の塩焼きだって食べるよ」
「塩焼きかぁ。美味しいんだろうな」
「え、星蘭って塩焼き食べたことないの?」
「はい」
私の言葉に水蓮様はしばらく考えた後、何かを思いついたかのように微笑んだ。
「なら一品目は塩焼きだね。露海港の西って街じゃなくて森なんだけど、そこから露海港の海に向かって流れてる川で捕れる魚がこれまた絶品なんだ」
水蓮様はそう言うと、大通りから人通りの少ない方へ歩いて行った。路地裏の方にもお店があったり、魚屋があったりしてどこに行っても人がたくさんいる。
「それにしても、兄様と一緒だと視線が痛いね」
「は? 水蓮が注目を集めているのですよ。私のせいにしないでください」
「違うって。兄様の方が威厳あるし、僕みたいな力の弱い強くない男なんて、兄様には劣るから……」
「勘違いですね。周りの女性が水蓮様、と呼んでいるのが聞こえないのですか」
「それを言うなら兄様の呼ぶ声だってしてますから!」
先程から問題にはなっていたのだが、美麗な王族が二人、街に来ているのだ。その姿を一目見ようと女性たちが集まってくる。露海港の視線は二人が独占していた。
私はその間二人のどうでもいい言い争いを聞いていた。
別にどっちの呼ぶ声もしてるのだから、お互いの呼ぶ声がするね、そうだねの会話で終わらせられるのでは?
私はため息をついて自分の目先にある森を見つめた。綺麗な色の鳥が飛び、鳴き声が聞こえてくる。緑の輝く葉をつけた木々が風に揺られて音を立てる。
露海港から離れると、騒がしさが消え、ただ森の音が響く自然豊かな場所になった。
「あ、ここだよ」
言い争いをまだ続けていた水蓮様が指を向けた先には、「塩焼き」とだけ筆文字で書かれた看板がある見た目が民家の店だった。
水蓮様は店の方へ走って行くと、店内にいる人と何かを話していた。
水蓮様が外へ出てくると、水蓮様の後ろからガタイの良い四十代くらいの男性が出てきた。
とてつもなく大きい。身長二mはあるのでは?
「燈火様もお久しぶりですな」
「ええ。元気そうで何よりです」
「そっちのお嬢ちゃんは?」
「あ、星蘭と申します。燈火さんの、弟子をやらせてもらってます……」
「はっはっは! 弟子か。そうかい、そうかい。俺はここで川魚の塩焼きを提供してる
剛司さんは、そう口を大きく開けて笑った。
「ここに来たってことは、塩焼きを食いに来たんだな」
「そう。星蘭、塩焼きを食べたことないみたいだからぜひ一度は食べて欲しくて」
水蓮様が説明すると、剛司さんは目を丸くさせた。
「塩焼きを食べたことない人間がいるのか。よし、おじさんが美味い魚を焼いてやるから待ってろよ」
剛司さんは私の頭を乱暴にぐしゃぐしゃ、と撫で回すと店の中に入って行った。
私はせっかく整えてくれた髪がボサボサになってしまったのではないか、と不安になった。
「とりあえず中に入りましょうか。焼き上がるまで次は何を食べるか決めてましょう」
中は民家を店用に改造された食事処だった。
木の机と椅子が並べられていて、狭くはあるものの温かみのある綺麗な店内だった。
私たちは窓側の席に座ることにした。
人はあまりおらず、騒がしさはない。
「魚といったらやっぱり生も食べたいよね」
「天ぷらも美味しいですよ。あとタコの唐揚げ、という物も最近出てきたんです。あとは鮭のムニエルという異国料理も」
「兄様。今日は鮭食べませんからね。そのために僕が来たんですし、違う物を食べてください」
水蓮様の言葉に怒ったのか、燈火さんは水蓮様を睨んだ。
本当に、なんでこんなに鮭が食べたいんだろう。ここで食べなくたって自分でいつも作ってるのに。
「店で食べる鮭はまた違う美味しさがあるんですよ。ね、星蘭も食べたいでしょう?」
また燈火さんの圧のある笑みを向けられる。
私に頷かせて鮭を食べようとしてるんだ。なんて性格の悪い。
私はそんな燈火さんに騙されまいと、首を横に振った。
燈火さんはすかさず手に力を込めたのが分かる。
怖い。怖いです。
「私は鮭以外の魚を食べに来たんです。また今度食べに来ましょう」
私がそう言うと子供のように燈火さんは拗ねた。
多分、今水蓮様と同じことを考えてる気がする。
めんどくさ。
「そういえば、あまり魚食べたことないんだよね? だったらこの際、色んな魚料理食べ歩きしようよ」
「食べ歩き、ですか」
「そう!最近お弁当みたいにして、お持ち帰りで売ってくれる店が増えてるんだ。だから単品で頼めば食べ歩きでたくさん食べれるかなって思って」
「ぜひ、お願いします……!」
私は少し心が弾んだ。
色々な料理を一度に食べれるなんて夢のようだ。
私たちがそんな話をしていると剛司さんが三つの皿を持って席までやって来た。
魚の焼き上がった良い匂いが食欲をそそる。
「夏といえば鮎だからな。鮎の塩焼き、よく味わって食べな!」
私は湯気が立ちのぼる、丸々一匹の鮎に恐る恐る一口かぶりついた。
「……美味しい」
ちょうど良い塩加減。それにこの身の柔らかさ、一口噛む度に溢れる香り。
私は無心になって食べ進めた。
あの鮭狂人も私より丁寧ではあるが、大きな口を開けて食べている。
塩焼きって、こんなに美味しいんだ。
「あっはは! いい食べっぷりだね。美味いだろう? お嬢ちゃんもまた食べに来いよ」
剛司さんの言葉に私は鮎を食べながら何度も頷いた。
これなら毎日だって食べられる。そのくらい、美味しい。
塩焼きを食べ終わった私たちは、露海港で一番栄えている大通りに行った。そこで刺身を食べたり、魚の唐揚げや天ぷら、他にも煮付けなんかも食べた。
女性からの視線が痛いことは何度もあったし、二人が言い争うことなんて五分に一回はあった。けど、すごく楽しいお出かけだった。
私はきっと一生忘れない思い出を作ることができた。
お腹いっぱいになる頃には、すっかり日は暮れていた。
結局、燈火さんは色んな鮭を食べ、私たちも食べさせられた。
だが、普段食べない料理の鮭だったし、とても美味しかったから文句はない。
王宮の月の間に帰ると、二人はまた何か言い争っていたので、私だけで月夜様にお土産話をした。月夜様と話している内にいつの間にか水蓮様が加わり、燈火さんも入ってきた。
四人で他愛のない話をしている時間が、何より楽しくて、この時間がこのままずっと続けばいいのに。そう願った。
それから数日間、私は琴さんに料理を習ったり、月夜様から燈火さんの扱いについて習ったりして過ごした。
水蓮様ともこの期間で少しは仲良くなれた気がする。王族と仲良くなるなんて恐れ多いが、人あたりの良い水蓮様は燈火さんや月夜様とは違った安心感があって、一緒に話している時間はとても好きだった。
「もう、帰っちゃうの……?」
「いつまでも月夜様のお世話になるわけにもいきませんから。研究所から近いですし、また会えますから」
私たちは一週間が経った日の夕方、月の間の階段前で水蓮様と月夜様に一時のお別れを告げていた。
毎日会っていたから、明日から会えなくなると考えると少し心に穴が空いた感じがした。
「別に星蘭はこのままここに住んでもらっても構わないぞ」
「いえ、星蘭は私の弟子ですから。残念ですが月夜の所には置いていきませんよ」
月夜様と燈火さんは微笑んでいたが、多分瞳の奥底では笑っていない。
「月夜様、また遊びに来てもいいですか?私は燈火さんの所で、やるべきことがありますから」
私がそう言うと月夜様は少し眉を下げた。だが、すぐに笑顔を作って私の手を、その小さな手で握った。
「星蘭がそう言うなら仕方ないな。またいつでも来ると良い。頑張れよ」
私は月夜様の励ましに強く頷いた。
「月夜、部屋を貸してくださってありがとうございました。水蓮、勉強はサボらずやるように」
「構わぬ」
「……は、はい」
燈火さんの言葉にドヤ顔をした月夜様と顔を青くした水蓮様。
私はそんな二人に頭を下げると、階段を降りて行った燈火さんについて行った。
日が落ちると、風が少し冷たくなっていた。
私は微かに葉が色づいているのを見つけ、秋の訪れを感じる。
明日からいよいよ化粧水作り。
まるで私の行く道を照らすかのように、屋台街の灯りが一斉に光を放った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます