孤独な蝶は、王子と出会う。
「…………ん。……らん。……星蘭!」
「はっ、はい!」
私が日記を読むのに夢中で、突然聞こえた声に驚いてしまった。
襖の方から私を見ているのは燈火さんだ。私のことを睨んでいるのを見る限り、多分呼んだのは一度や二度ではないということが分かる。
「全く。今何時だと思ってるんですか。朝も昼も、ましては夜も何も食べないとは。日記を読むのは構いませんが、しっかり食べるように。ほら、こちらに来なさい」
私は怒りを含んだ声に怯えながらも頷き、日記を机の上に置いて部屋から出た。
「ごめんなさい、燈火さん」
「別に、謝る必要はないですよ。今日はアイツが来てるので、少し機嫌が良くないだけですので」
アイツ、とは誰だろう。
月夜様?いや、違うだろう。菊さんたち、でもなさそうだ。一体何が来ているのか。
私が恐る恐る食事専用の居間の襖を開けると、そこには見覚えのない青年がいた。多分、私と同い年くらいの。
「君が兄様の弟子の星蘭?」
その人は私を見るなり顔を輝かせて、とびきりの笑顔を見せた。眩しい。このオーラ、眩しすぎる。
彼は紺色に黄色の瞳を持っている。この容姿は王族の特徴だ。それに燈火さんを兄様と呼ぶということは、この人が次期国王である人なのかな。
「挨拶がまだだったね。初めまして。僕はこの桜華国の第二王子の
そう柔らかに笑う水蓮様はとても優しそうな人だった。
「ご丁寧にありがとうございます。私は星蘭と申します」
「……やっぱり兄様の話の通り可愛い子だね」
「へ?」
私は水蓮様の言葉に素っ頓狂な声を出してしまったが、当の水蓮様は悪びれる様子もなく天使のような微笑みを向けている。
「僕もリップクリーム買ったんだ。すごいよ、星蘭。あんな物を作れるなんて君は天才だね」
「え、あの、ありがとうございます……?」
水蓮様はそんな私を見て爽やかに笑った。王子様オーラが半端ないぞ、この人。
「なんで疑問詞なのさ。でも、君とこうして話すことができて本当によかった」
「ど、どうして……」
「水蓮、食事の邪魔をするようなら、直ちに自分の部屋に帰ってください。星蘭は月夜の隣で私の前に座ってください」
燈火さんは私の背中を押して月夜様の隣の座布団に座った。そして燈火さんは私の目の前にある座布団に座る。
「兄様、僕は星蘭と隣に座るためにここに座ってたんだ。勝手に位置を決めないで欲しいのだけれど」
「それを私が許すとでも思ったのですか?」
「まあまあ、兄上たち。今は星蘭の前なのだから仲良くしておれ」
月夜様は二人の兄を見て上品に笑う。
二人はというと、むすっと可愛く頬を膨らませた水蓮様に対し、燈火さんはあからさまに顔を怒りで歪めながら微笑んでいる。あれは相当怒っている顔だ。
というより。これはとんでもない状況だ。王族に囲まれてしまっている。隣は王女様。前は元次期国王。斜め前には現次期国王。
これ、私がいても大丈夫なのかな。後々不敬罪で捕まるなんてこと、ないよね。
私は一人びくびく怯えながら縮こまっていると、襖の向こうから声がした。菊さんの声だ。
「あっはは。相変わらずすごい状況ですね。ほら、夕飯持ってきましたよ」
「今日は三人揃う上、星蘭も来るとのことなのでたくさん作ってしまいましたわ」
「まあ四人いればどうせ食べてしまうわよ。よく噛んで食べてくださいね。王族様たち」
三人はそう喋りながら次々に運ばれてくる料理を長机の上に並べた。
お米に味噌汁。そしてお浸し、煮物、魚料理、肉料理。絶対に食べきれない量の料理が机に敷き詰められた。
「全く。いつもより人が多いからって張り切りすぎだぞ」
「まあまあ月夜様。たくさん食べて、休めば元気になりますよ。さあ、冷めない内に召し上がれ!」
鈴さんはそう笑うと、三人は部屋を出ていった。その後、四人で揃って手を合わせて「いただきます」と言う。
そう、いただきますを言ったのに。
「あ、あの、なんで私を見ているんですか……?」
私の箸を持つ手が震えていた。なぜなら、この王族三人は私を見てるだけで箸を持つことはおろか、食べ物さえ見ていなかったからだ。
視線に耐えられないからやめて欲しい。本当に、お願いだから。
「私たちはいいので好きなものを思う存分食べなさい」
燈火さんはこれまた圧のある微笑みで言う。これはつまり「いいからさっさと食え」と言っている。
私はほうれん草と思われる草のお浸しをいただくことにした。
一口、震えながらもそれを食べた。
「お、美味しい……!」
私は思わず頬がとろけてしまうのではないかと思ってしまうような美味しさを感じた。
一口食べた私は、もう三人のことは気になっておらず、煮物の人参や里芋も食べた。
琴さん、料理上手すぎでは。こんなに美味しいご飯、産まれて食べたことがない。感動だ。
「星蘭は幸せそうに食べるね。見ているだけでも幸せになれる」
「そうだな。さあ、我らも食べるとしよう。星蘭を見ていたら腹が減ってしまったよ」
そうして、私たちは和気あいあい(?)としながら大量の夕飯を食べた。
あの大量のご飯を食べ終えると、水蓮様は私と話をしてみたいと言ってくれた。しかしなぜか燈火さんに止められてしまい、水蓮様は渋々月の間を出ていった。
「水蓮はあれでも次期国王です。こんな所にいつまでもいたら国王様は許さないでしょうからね。まあ、ここに来ればいつでも会えますよ。できるだけ会って欲しくはないのですが」
燈火さんは眉間に皺を寄せながらそう言った。
「なぜですか? 水蓮様はとても優しそうな人だと思ったのですけれど」
私のその質問に燈火さんはため息をついた。何か、間違ったことを言ってしまったのだろうか。
「確かに水蓮は優しいのですが……。逆に気づかなかったのですか? あれは星蘭と仲良くなって、あわよくば婚約者にと思ってましたよ」
私はそんなことあるはずないと苦笑した。
一国の王子様が私に婚約者になって欲しいなどと望むだろうか。限りなくゼロに近いことを、燈火さんは思っていたのか。そんな訳ないというのに。
「燈火さんは考えすぎですよ。私、今日は日記を読んで目が疲れてしまったのでもう寝ますね。おやすみなさい」
「え? ああ、おやすみなさい……」
燈火さんは何やら浮かない顔をしていたのだが、どうせ寝ればまたいつも通りになっているだろうと思い、部屋に戻った。
布団を敷いて寝ようとしたのだが、机の上に置きっぱなしの日記を見て月夜様に返さねばと思った。
王族が代々守り抜いてきた物を私のせいで失くす訳にはいかない。
私は日記を手に部屋を出て、月夜様を探した。どうやら月の間にはいないようだ。少し躊躇ったのだが、日記を返さない訳にもいかないので、階段を降りて月夜様を探した。
この階段は一階から月の間に直接繋がっているので、ここを降りれば一階になる。一階には恐らく王宮仕えの人が大勢いるだろう。そんな中、素性の知れない人間があの日記を手にしていたら大事になってしまうだろう。それに、燈火さんがここにいることもバレてしまうかもしれない。
私は覚悟を決めて、まるで忍者にでもなった気分で王宮を歩いた。柱や空き部屋に隠れながら月夜様を探す。一体、どこに行ってしまったのだろう。
私がとある空き部屋に隠れながらそう思っていると、その部屋に人がいたのか、私の目を手で隠された。声を出そうとしたが、口も片方の手で押さえられてしまう。
王宮仕えの人に見つかってしまった。どうしよう。警戒していたのに。これなら燈火さんに渡しておくんだった。
私は心の中で反省しながら、明日の朝日を見ることができるのか、不安になってきた。
「星蘭、どうか暴れないで。少しの間、静かにしていて」
私はその聞き覚えのある声を聞いて、息を呑んだ。この声は水蓮様のものだ。
「そう。いい子だね」
私の心臓が緊張や恐怖でバクバクと鳴り響いていたが、ここは水蓮様を信じることにして深呼吸をした。
しばらくすると、押さえられていた手がゆっくりと離れた。
「ごめん。少し人が多かったとはいえ、怖いことをしたね。それにしてもどうして一階に降りてきたの? ここは危険だよ」
水蓮様は私を心配しているように見ていた。
「これを、月夜様に返したくて。月夜様が月の間にいらっしゃらなかったから探しに来たんです」
私は手に持っていた日記を水蓮様に差し出した。水蓮様は納得がいったように頷いて日記を受け取ると、優しく微笑んだ。
水蓮様は本当に絵に描いたような王子様オーラが溢れ出てる人だ。
「そうだったんだね。覚悟を決めて探しに来てくれてありがとう。姉様も喜ぶよ。これは僕が責任持って預かっておくね」
水蓮様は大事そうに日記を持って柔らかい微笑みを浮かべた。この笑顔は燈火さんにも、月夜様にも似ている。
それにしても、この兄弟は容姿端麗なことだ。燈火さんや月夜様も浮世離れした美しい顔立ちをしていたが、この水蓮様も美しい顔立ちをしている。それでいて高身長でスタイル抜群。きっと両親の顔もさぞかし良いのだろう。全くもって羨ましい。私も少しでいいから美人に産まれたかった。
私がそう考えていると、先程燈火さんに言われた言葉を思い出した。水蓮様は私を婚約者なんてのにしようとしている、と。
その水蓮様が私の目の前にいるのだ。私はなぜだか恥ずかしくなってしまい、顔が熱くなっていくのを感じた。部屋が暗かったのが唯一の救いだ。
「星蘭? ……うわ、顔が熱いよ。熱でもあるのかも」
水蓮様は私の肩に手を置くと、自分のおでこと私のおでこを合わせた。
暗くてもよくわかる。水蓮様の黄色の瞳がまっすぐと私を向いている。私の頭は混乱して、拒絶するどころではなかった。
水蓮様はというと、おでこを合わせたまま唸りながら何かを考えている。お願いだからおでこを離して……。
私が目を固く瞑ってこの時が過ぎるのを待っていた、その時だった。勢いよく空き部屋の襖が開いてしまった。
最悪だ。私が一階にいただけならまだしも、水蓮様と顔を近づけ合う、何ならおでこを合わせてしまっている。こんなところを王宮仕えの人に見られたら一溜りもない。
私の人生、ここまでだったのか。短い人生だったな。
そう思いにふけていると、聞こえた声は意外な人のものだった。
「水蓮、お前死にたいのか」
「に、兄様……」
低く怒ったような声。燈火さんだ。
水蓮様は燈火さんの姿を見るなり私からそっと顔と手を離してごめんね、と謝った。
何も水蓮様が謝ることない、と思う。今のは事故だ。そういうことにしておこう。その方がいい。というか、忘れてしまおう。
フードを被った姿の燈火さんは襖の方から私の方へ来ると、緊張で震えた私の手を優しく握った。
「星蘭も。寝ると言ったのに、なぜこんな所にいるのですか。ほら、早く戻りますよ」
「は、はい。水蓮様、おやすみなさい」
「うん。おやすみ、星蘭」
燈火さんに怒られ、しゅんとしている水蓮様に私は一言挨拶をすると、燈火さんと一緒に月の間に戻った。
「色々と言いたいことがあるのですが、明日にしておきましょう。さあ、今度こそ寝てください」
月の間に戻るなり、私を強制的に部屋に入れて部屋から出れないように襖の所に立つ燈火さん。笑顔が怖い。
でも、それは私を心配してくれたから。なんでいないことに気づいたのかは分からないけれど、心配して探しに来てくれたのも事実だ。
私はそんな燈火さんの行動に心が温かくなり、素直に布団の中に入った。
「私はちゃんと寝ます。だから燈火さんも、部屋に戻って布団に入って体を休めてください」
「いいえ。寝息が聞こえるまでここにいます。私のためを思うなら早く寝てください」
燈火さんはそう微笑むと、大きなあくびをした。
自分だって寝たいのに私が寝るまで待つだなんて。なんて世話焼きな人だろう。
私はいつの間にか眠りについていた。
しかし、起きた時に燈火さんが寝る前と同じ場所で立ちながら寝ていたのにはとても驚いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます