孤独な蝶は、涼しい夏を。
よく晴れた暑い日。
今日は早くに目が覚めてしまい、自分の布団を外に干していた。蝉が鳴いている。日本の夏を思い出した。
どうやらこの桜華国には四季があるらしい。桜の咲く春。蝉の鳴く夏。葉が色づく秋。雪の降る冬。ここは日本ですか、と思わずツッコミを入れたくなる国だ。
今日はいよいよリップクリーム作りだ。私も燈火さんがいない間に本を読んでいたりしたので、何となく作り方は頭に浮かんでいた。
「星蘭、おはようございます。とは言ってももう昼になりますが」
庭に出てきたのは私の師匠であり、元次期国王の燈火さん。今日も優しそうな笑顔を浮かべて挨拶をした。
あの日から研究所内のみだが、燈火さんはあの羽織を着なくなった。だから、今ではハッキリとその綺麗な顔を見ることができる。
というか私はあんな荒々しく喋る燈火さんを知っているのだから、無理して仰々しくならなくていいのにと思う。
「こんにちは、ですね。それにしても、口調は今まで通りなのですか?」
「ええ。昔から人前ではこうでしたし、今はこっちの方がしっくりきますから。それに、師匠っぽいでしょう?」
そう燈火さんは言って、大きく伸びをした。
あの日、燈火さんと共に研究所へ帰るときに言われたことかあった。
「改めて君を弟子にしたい」
私を弟子として研究所に入れたのは、実は国王からの頼みだったからだという。だから自分も暇つぶし程度にそれを引き受け、本気で弟子をとったわけではなかったらしい。
「今日から師匠と弟子。私がいつ死んでもいいように教育しましょう」
いつ死んでもと言う割には私たちは歳が近いし、多分同じようなタイミングで死ぬであろうから、変な言い方だと思った。
そうして私達は改めて師匠と弟子という関係になり、燈火さんは前より熱心に様々なことを教えてくれるようになった。
「それにしても、暑いですね」
「そうですねぇ。こんな日は冷たい何かが欲しいものです」
燈火さんは汗を拭って雲一つない空を見上げた。
よく、夏になると家でそうめんが出てきた。まあ、私には出されてないのだが、夏に食べる冷えた麺は格別だろうと思っていた。
何より、暑い夏に冷たい食べ物は最高の組み合わせだと思う。兄と姉も喜んで食べていた。
「おや、そんな暗い顔でため息までついてどうしたのですか?」
私は驚いた。少し嫌なことを思い出してはいたが、顔にまで出てため息も出ていたなんて。
ここ最近そういうことが多い気がする。
「いえ、昔のことを思い出してしまっただけです」
「……布団は干し終わりましたね?」
燈火さんは少し考えた後にそう言った。私はその言葉に頷くと、燈火さんは踵を返して研究所の方へ向かった。
そして私の方へ振り向くと優しく微笑んだ。
「さあ、中に入りましょう。お腹が空きました。一緒に作りませんか?」
「……はい!」
最近、燈火さんは私に料理を任せてくれるようになった。
今までは素性の知れない人に料理を作らせて、それを食べるのが嫌だったらしい。
王宮にいたとき、侍女が持ってきた料理全てに毒が盛られていたことが何度かあったことから、他人の作る料理は警戒しているという。王族は、特に燈火さんはかなり苦労してきたのだな、と思った。
さすがに私もあのフルコンボはもう嫌だったし、色んな意味で料理を作らせてもらえてよかったと思う。
「今日は何を作るのですか?」
「確か、昨日食材を買いに行ったとき、ちぢれ麺を買いましたよね?」
「はい。ですが、ちぢれ麺は温かい食べ物にしかならないですよ。私は今ちぢれ麺なんて食べたくありません。鮭があるなら別ですが」
そう燈火さんはそっぽを向いて言った。温かい物でも鮭があるなら食べるなんて相変わらずだ。
なぜそんなに鮭に狂ってしまったのだろうか。親の顔を見てみたい。
「私のいた世界ではこのちぢれ麺も冷たい料理になるんですよ」
私のその言葉に燈火さんは酷く驚いた様子でいた。
この世界にはうどんや蕎麦みたいなものは存在していた。なのに冷やし中華や冷麺という冷たい麺料理は存在していないそうなのだ。
なので、燈火さんはこの世界で初めて冷たい麺料理を食べる人になる、はずだ。
「冷やし中華を作ります!」
「ひやし、ちゅうか……?なんですか、それ」
燈火さんは頭の上にはてなをいっぱい浮かべて、首を傾げた。
確かに名前だけ聞くと、どんな料理か想像することは難しいだろう。何せここには中華というものが存在しない。
「冷たいちぢれ麺の上にトマト、キュウリ、錦糸卵などの具材を乗っけて、特製のタレをかけて食べる麺料理です」
「おお!聞いただけでお腹が空く料理ですね」
燈火さんは目を輝かせた。私も自分で説明しながらお腹が減ってきた。
実際に食べたことはないが、兄と姉が冷やし中華を食べるのを見て、何となく作り方などは分かった。それに、以前夏に図書館へ行ったときに夏料理のレシピ本を見たことがあった。確かその中に冷やし中華の作り方があったはずだ。うろ覚えだが、何とかなるだろう。
「まずちぢれ麺をお湯の中に入れます」
「冷たい料理なのに、お湯の中に入れてしまうのですか?」
「はい。その後に水で冷やすので心配いりませんよ。その間に食材を切ってしまいましょう」
私はまな板を出して、キュウリを千切りにした。実はこの野菜は研究所の畑にて採れた物なのだ。
どうやら、燈火さんは薬草などを育ててる内に野菜も育てたくなったらしく、今では様々な野菜が育っているのだそうだ。
この世界にトマトやらキュウリやら私がいた世界にもあった野菜があったことが驚きだった。
コンロが二つあったので、フライパンを用意して溶き卵を流し込み、錦糸卵を作る。卵を薄く、オムライスを作る感覚で焼けばいいはずだ。焼けたら短い幅で切る。多分これが錦糸卵で合ってる。
「星蘭、麺が出来上がりましたよ」
ナイスタイミングだ。燈火さんは火を止めて、これからどう冷たくなるのか不思議に思っているのか、鍋を見ては首を傾げていた。
麺が茹で上がったら、用意する物は一つ。ざるだ。たまたま研究所にざるがあったので、それを使う。
私は水道の蛇口をひねって、水を出す。その真下にざるを置けば準備完了だ。そのざるめがけて鍋の中にある物を流し込む。温かい湯気が一斉に台所を埋め尽くす。後は手で麺を洗うように水で冷やせば終了だ。
皿に麺を入れ、その上に錦糸卵、キュウリ、トマトを乗っける。
タレは、醤油と酢と水と少量の油を使う。冷やし中華の作り方もたまたま図書館に置いてあった夏の料理本で軽く見ただけだから、合ってるか分からないが見た目的にはバッチリ冷やし中華だ。
燈火さんはまるで子供のように目を輝かせながら見ている。
「これは、とても美味しそうです!見てるだけでも涼しくなるような料理ですね」
「ええ。私も実は食べるのは初めてなので、ちょっと楽しみです」
燈火さんは私のその言葉に驚いたのか、目を丸くさせてこちらを見ていた。
「初めてなのに、作れたのですか?」
「まあ、はい。兄と姉が食べている様子とか作り方は見たことがあったので」
「……そうでしたか。では初の冷やし中華ということで、二人で美味しく頂きましょう」
燈火さんはそう微笑んで、皿を食卓まで運んだ。私の分まで運んでくれた様子で、私は二人分の箸を持っていくことにした。
きっと燈火さんは私の過去について聞かないでいてくれた。
月夜様によって半ば強制的だが、燈火さんは過去のことを教えてくれた。その上で私と向き合ってくれている。
なら私もいつか過去を伝え、向き合うべきなのかもしれない。ここで生きていくと決めたのなら。
「いただきます」
私達は手を合わせる。そして麺とキュウリにタレを絡めて口に運んだ。
「美味しい」
私は思わず言葉を零した。これは箸が止まらなくなる美味しさだ。燈火さんも冷やし中華に夢中になって食べている。
さっきまではあんなに暑かったのに何だか涼しく感じれた。
「ああ、もう食べ終わってしまいました」
燈火さんはあっという間に空になってしまった皿を持ちながらそう呟いた。
「気に入ってもらえて嬉しいです。また作りましょうね」
「ええ。楽しみにしています」
燈火さんはそう微笑むと、台所へと向かった。私も皿に残ってる麺を啜る。
そんな時、風が吹いて風鈴の音が部屋に鳴り響いた。遠くで蝉が鳴いている。
私は暑い夏の一時の涼しさに、少しの間浸っていた。
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