孤独な蝶は、心を開く。
息を呑んだ私を見て、月夜様は少し表情を柔らかくした。
月夜様は少し目を伏せ、口を開いた。
「兄は、王宮の者から酷い扱いを受けながらも国王になるように躾られていてな。特に我の母、正室の妃にはそれは酷い仕打ちを受けていた。自分も酷い目に遭い、実の母をも殺されたのだから。だから兄は相当の捻くれ者になってしまった。人格だっていくつも作ったはずだ。偽りの仮面を、今でも被っている」
そんな漫画とか時代劇みたいな話、本当にあるんだと私は思った。母を殺されて、その上国王になるというのに王宮の人達から虐められて。なんて可哀想な人なのだろうかと思った。
「兄が酷い扱いを受けたのは、容姿のせいでもあった。兄の母は貴族ではなく、奴隷でな。ここは身分によって髪、瞳の色が違う世界だ。だからこそ、王族として相応しくないその容姿を気に食わない者達が何の罪もない兄を虐めたのだ。だから兄はいつも王宮の中にいても一人のときも必ず被り付き羽織を身につけて、誰からもその容姿が見られないようにしている」
「それって……」
私は月夜様のお兄様のその特徴を知っていた。
燈火さんだ。
あの人は、ずっとましてや自分の家である研究所にいるにも関わらず、フードを被り姿が見えないようにしていた。
それより、この世界は身分によって髪や瞳の色が違うのか。そしたらより身分の差がハッキリと分かれてしまう気がした。もしかしたら私の知らないところでは辛い労働を強いられている人がたくさんいるのかもしれない。先程、月夜様が奴隷と言ったように。
「ここまで言えば分かってきただろう。我の腹違いの義理の兄とは、お主の師匠でもあるあの燈火のことだ」
「そんな過去が燈火さんにあったことはとても驚きなのですが、なぜ今そんな話を?」
「ああ、いつかは話そうとは思っていたのだがな。本当に珍しいことで、兄が連日王宮にいたから話を聞いてみたのだ。そしたら、星蘭に嫌われた、もう帰れないと嘆いておるのだ。あんな顔は初めて見た」
月夜様はそう言って大きな声で笑った。私は言葉を失い、ただ、ぼうっとそんな月夜様を見ていた。
私に嫌われた、とは何の話だろうか。私は燈火さんを嫌いと言った覚えはないのに。
「まあ、あの仰々しい兄も本当の兄だ。今は月の間の隠れ部屋におる。さあ、会いに行こう」
「か、隠れ部屋?」
「そうだ。遊び心で作ってみた」
月夜様は少し悪い顔をして微笑んだ。隠れ部屋って遊び心で作れるものなのか。
「この右奥の襖は押し入れではなく、部屋になっているのだ。小さいが我慢しておくれよ」
月夜様はそう言って立ち上がり、その襖を開けた。結構、思い切り。
月夜様は小さいと言っていたけれど、思っていたより隠れ部屋は大きかった。その部屋にいたのはあの羽織を身につけた男性、燈火さんだった。心做しか、その背中は少し小さく見える。
「兄上、その被り物を取ってくれぬか?」
燈火さんはその月夜様の言葉に首を横に振った。少し苛立った様子で月夜様は燈火さんに近づくと、無理矢理そのフードを取った。
燈火さんはその白色の目を見開いて驚いたが、すぐに月夜様を睨んだ。
「一人にしてくれと言っただろ。それに、なぜそいつまで連れて来たんだ。ふざけるのも大概にしてくれ」
そう、低い声で月夜様を睨みつけたまま燈火さんは言った。
「知らぬ。兄上はいつまでそう逃げている気だ」
「逃げてなどいない」
「前も今も、そうやって偽りの仮面を被っていて、何を逃げてないなどと」
月夜様は呆れたように言うと燈火さんは勢いよく立ち上がり、月夜様の胸ぐらを掴んだ。燈火さんは月夜様を酷く睨みつけているのに、月夜様はなぜか微笑んでいる。
「可愛い弟子が見ている前で、こんなことをしてもよいのか?」
「弟子だと? 俺はそいつを弟子だと思ったことはない」
「また兄上の悪い癖だ。そう天邪鬼になって必死に逃げる」
「うるさい! 先程から何を偉そうに…」
月夜様と燈火さんはまだ私の目の前で喧嘩を続けていた。
怒鳴り声は嫌い。昔、反抗期だった兄がよく母の胸ぐらを掴んで怒鳴っていた。その後は決まって母が私を殴る。兄の機嫌が悪いときは母も機嫌が悪くなる。
だから怒鳴り声を聞くと、どうしても家族を思い出して胸が苦しくなる。思い出したくもない記憶が蘇ってしまう。
私は息がしにくく、苦しくなった胸を押さえてその場にしゃがみ込んだ。もうここには家族はいないのに。何だかすぐ後ろにいそうで。それがとても無性に怖くなった。
「……星蘭?」
いつの間にか怒鳴り声が聞こえなくなったかと思えば、燈火さんの小さな声が聞こえた。
「どうしたのだ。どこか痛むか?」
月夜様も私の隣にしゃがみ、背中をさすってくれる。
こんな風に、構ってくれるのは初めてだった。こう心配してくれるのはありがたいこのなのに、慣れてなくてどう反応すればよいのか分からない。
胸が苦しい。でもこの月夜様の温かい手に戸惑い、私は混乱していた。すると、突然燈火さんが私の目の前にしゃがみ、乱暴に私の顎を掴んで顔を上に上げた。
「苦しいときは上を向け、星蘭。俺はお前の過去を知らん。なぜそのようになるのかも分からない」
燈火さんは、その白く澄んだ瞳でまっすぐに私を見つめる。その瞳に全て見透かされそうで、私はその目から視線を外した。
「全く、人が話しているときは人の目を見ろと教わらなかったか。あと、お前は感情を捨てすぎだ。もっと笑え。泣け。感情を表に出せ。……俺の弟子を名乗るなら、それくらいのことはしろ」
私は目を見開いた。
私は、母に笑うな、泣くなと言われた。お前が笑うと気味が悪い。お前が泣くと腹が立つ。お前の真顔は気持ち悪い。
では、どんな顔をすればいいのか。私はそうやって、いつの日か感情を捨てるべきだと感じた。
私が感情を顕にして、喜ぶ人は誰一人としていない。だから、何年も笑ってない。泣いてない。しかし、ここに来て私は久しぶりに涙を零した。燈火さんに、私が笑ったと言われた。だけど怒られなかった。
きっと私の家がおかしかっただけ。他の家族は笑ったって泣いたって怒らないでいてくれる。でも私の家は違ったから。この世界がまるで特別な世界に思えて、私はすごく救われた気がした。
この世界にいたい。家に帰りたくない。そう、初めて思った。
「おや、星蘭を弟子だと思ったことはないのではなかったか?」
月夜様はニヤニヤと笑い、燈火さんを見た。そんな月夜様を燈火さんは睨む。
「知らん。お前の聞き間違いではないのか?」
「ほう、それは我のせいにしているのか」
またそうやって言い合いが始まったが、何だかその光景が微笑ましく感じた。兄妹って何だかいいな、と。
私の兄と姉はあまり会話をしなかった。兄姉と私なんて話したことは手で数えられる程度だ。だから、少しだけ羨ましかった。
「ふふっ」
私はちょっとくだらない言い合いについ、笑ってしまった。すると二人は私を見つめて微笑んだ。
例え腹違いでも、こうやって優しく微笑むのには、兄妹というものを感じた。
「星蘭は可愛く笑うのだな」
「お前とは大違いだな。星蘭、そうやって笑っていればいい」
そう燈火さんが言った後、またすぐに二人は言い合いを始めてしまった。
ここは私の居場所かもしれない。この世界で、私が嫌われるまでは、ここにいたい。
だから神様、どうか元の世界へは帰らせないでください。
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