孤独な蝶は、心を閉ざしたまま。

 おにぎりを食べ終えた私達は、屋台街を出て王宮へと向かった。

 燈火さんは街を出てから地味な道を進んだ。王宮に続く道がこんな地味なのだろうか。

 初めてこの世界に来て、王宮を出入りした時はもっと綺麗な道を通ってきたはずだけれど。


「燈火さん、王宮って何個も入口があるんですか?」

「正確に言うと一つだけなのですが、私がこっそりと裏に入口を作ったのです。そこから入れば邪魔な門番もいませんし、簡単に王宮の中に入れるのです」


 そう燈火さんは屈託のない笑顔で言う。


 入口を作ってしまうとは何事か。それに邪魔な門番ってそんなこと言ったら門番のいる意味がないではないか。


「それに、ここからならすぐに月夜の部屋に行けるのですよ」


 そう燈火さんはなんの躊躇いもなく、その裏口から王宮の中に入っていった。なぜか、その裏口にだけたくさんの紫色の蘭が咲いていた。


 この王宮は太い木の柱が支えており、豪華な提灯で王宮を照らす。ここは裏口だからか、少し豪華さには欠けていたが、それでも十分私の心を踊らせた。


 確かに裏口から入った方が、月夜様の住む月の間にすぐに行ける階段が目の前にあったため早く着いた。

 王宮の最上階の一つ下全てが月の間。その部屋の襖ふすまには月と兎が描かれており、その部屋からは月がよく見えるという。


 伝記には、かつてこの部屋に月から姫が舞い降り、桜華国に灯りをもたらしたそうだ。燈火さんにもこれが事実か、昔の人達の想像のものかは分からないという。

 私は何だかロマンチックで素敵な夢物語のようだと思った。


「月夜、星蘭を連れて参りましたよ」

「おお、星蘭も来てくれたか。入ってよいぞ」


 中から嬉しそうな声が聞こえて私は少し安心した。

 私は、私が来ても喜ばれたことなんて一度もなかったから、こういう風に言われたのは初めてだった。


 でも、これは私が異世界から来た者だから。月夜様の読んでいた日記と同じような人物が来たから。それで興味を示しているだけだろう。飽きたら私なんてどうでもよくなる。

 だって相手は一国の王女様。所詮、私自身には興味がないのだ。

 私は自分にそう言い聞かせて、舞い上がってしまいそうな自分を抑え込んだ。


「さあ、入りますよ。星蘭、堅苦しい挨拶はしなくても結構です。私の弟子ですからね」


 燈火さんは微笑むと、その豪華な襖を大きな音を立てて開けた。これって静かに開ける物ではないのだろうか。


「よく来た、星蘭にあ……燈火殿。我はとても嬉しいぞ」


 月夜様は途中、何かを言いかけたが、目を奪われるような美しい微笑みに私はそのことを気にせず、その微笑みに見惚れた。


 月夜様は、相変わらず豪華な衣装に身を包んでいる。だが私と違って、その衣装はとても月夜様につり合っていた。私の馬子にも衣装という悲惨なものではない。

 十四歳というのが未だに信じられないくらい、この人は美しい。


「星蘭。この名はよくお主を表している。良き名をもらったな」


 月夜様は満足気に頷く。その斜め後ろにいたあの懐かしの顔である菊、鈴、琴の三人も何度も頷いている。

 そんな中、私は頷きもせず、ただ一人で黙り込んだ。


 星蘭という名は、私自身を表す。本当にそうだろうか。

 星に花の蘭だ。星は皆を照らす光であるし、その輝きは何者でも代われない程美しいものだ。空いっぱいに輝く星は、言葉に表せない感動を私達にくれる。蘭は確か花言葉に美しい、みたいなものがあった気がする。

 だが、それはどちらも私を表しているだろうか。私は全くと言っても過言ではない程、そうではないと思っている。

 皆を照らす星。美しい存在。むしろ正反対な気がする。


 なぜ、月夜様は私を表していると言ったのだろう。星華祭が行われた日に来たからだろうか。

 いい名前だというのは私も重々承知している。黒孤と比べる余地もない程に。だけど。


「おや、混乱しておるな。それでいい。考えるのだ、星蘭。誰もが自信をなくすと急に自分の価値を下げてしまう。だが我は、それが全て悪いとは思わぬ。価値を下げたとき、自分の本当の価値が分かるというものだから。星蘭。逃げてはならぬ。名の意味を考えて探し出せ。そして、自分という唯一無二の存在を生み出すのだ」


 私は何だか胸を強く刺された気持ちになった。


 歳が五つも違う相手に、何か大事なことに気づかせてもらった。すごく重要なことを教えてもらったような気がする。

 でも、この胸の中にあるこのモヤモヤは一体何なのだろうか。


「過去にはもう戻れぬ。だからこそ、今を生きろ、星蘭。立ち止まらずに歩き続ければ、必ず光がお主を救ってくれるはずだ」


 立ち止まらずに歩き続ける。


 それは、私がずっとしてこなかったことだ。

 どうせ、と私はそうやって言い訳をして全部のことから逃げただけなのだ。家族のことだって、学校のことだって。自分から何かやっていれば、何かが変わったかもしれない。友達の一人くらい、できたかもしれない。


 結局、私は全部人のせいにして逃げただけだった。改めて自分の今までしてきたことに対してすごく恥ずかしくなった。腹立たしくもなった。ずっと、立ち止まってしまっていた私が、憎らしくなった。


 過去に戻れるなら逃げずに向き合う。そんなこと思ったって月夜様が言ったように過去にはもう戻れないし、そもそも戻ったところで、本当に私は逃げずに向き合うことができるのだろうか。そんな自信は、私にはなかった。また母から怒鳴られたら、家から追い出されたら。そう考えてその人の言いなりになる。そうやってずっと私は逃げていくのだ。きっと、向き合うなんてできない。

 自分をいくら憎んだとしても。


「私、は」

「大丈夫ですよ。君が逃げられないように徹底的に教え込むので。逃げることなんて不可能ですよ」


 燈火さんはまた圧のある笑顔を向けた。この人は笑顔にも言葉にも必要以上に圧を感じる。この人の異常な圧に私はついため息が出てしまう。


「……はは。怖いですよ、燈火さん」


 私が苦笑しながら言うと、燈火さんは何も分かっていないかのように微笑みながら首を傾げた。


「で、月夜、こんな話だけのために呼び出したのですか?」


 月夜様は燈火さんの話に呆れたようにため息をつく。


「こんな、とは可愛い弟子が可哀想だぞ。まあ、本題ではなかったけどな。星蘭。お主はめでたく燈火殿の弟子となったわけだが、燈火殿のことだから星蘭は、ただの居候生活になっていることだろうと思ってな。そこでお主にある仕事を頼みたいのだ」


 急に視線を向けられて私は少し体を強ばらせた。何となくだが嫌な予感がした。


「ある仕事、ですか?」


 私がそう言うと月夜様は満面の笑みで頷く。嫌な予感が増してくる。


「実はな、燈火殿が弟子を持つことに反対している声が民から多数上がってしまっているのだ。なぜ知れ渡ったか疑問だが。民をこのままにしておけばお主の身も危うい。そんな訳でお主にある物を作って欲しいと思っている。それはだな……」


 私はあまりにも緊張しすぎて多分、月夜様を睨んでる。

 決してわざと睨んでるわけではないのだが、私の愛嬌の欠けたこの目は絶対に向けられる相手は睨まれていると感じてしまうだろう。


 だが、そんな私にはお構いなく月夜様は楽しそうに話す。というか月夜様はさっきからすごくもったいぶって話している。

 気になって仕方なくなるから、やめて欲しい。


「星蘭にこの世界にはない、この国に必要だと思う薬品を何か作って欲しいのだ」

「この世界にない、薬品を?」

「ああ。お主は異世界から来たため、この国にはない物をいくつか知っているはずだ。そこでお主自身の力で、その世界にあった物を一つ、この世界で作って欲しいのだ」


 月夜様の言い分は、私がいた世界に存在していた薬品をこの世界で新たに作り出して欲しいということだ。


 そもそも、この国にどんな物があるかあまり把握していないし、私は高校すら行ったことがない。いくら図書館で勉強していたとはいえ、独学で不定期に勉強していたた人間がいきなり薬品を作れと言われても到底無理な話だ。


「それは、無理です。私はあまり頭が良くないんです。薬品だなんて作れません」


 私がそう断ると、月夜様はその大きな目を丸くさせた。


「おや、星蘭。お主は今いくつだ?」

「十九、ですけど」

「十九? まだ若いではないか。なら、今から勉強すればいい。お主には死ぬまであと何年あると思っているのだ。そんな若さで諦めていればずっとお前は先へ進めぬ。それにあの燈火殿が弟子に、とお主を選んだのだ。燈火殿に認められた者として、堂々と自信を持ってればいい」


 月夜様は優しく微笑んだ。隣にいる燈火さんに目をやれば、燈火さんも相槌を打ちながら月夜様の話を聞いていた。


 堂々と、自信を持つなんて私には絶対できないことだ。

 私は影にいなければいけない。目立ってはいけない。そう言い聞かせて生きてきた。

 目立つような行為は、何があってもしたくなかった。


「燈火殿も、お主の勉強くらいには付き合ってくれるはずだ。我は珍しい物が大好きでな、ぜひお主がお主の世界で見ていた物を、使っていた物をこの目で見てみたいのだ。我の願いを聞いてくれるか?」


 月夜様は年相応に目を輝かせて私に問いかける。


 私は、彼女の願いに応えてあげることはできるのだろうか。少なくとも私を見てくれている人を失望させてしまったら、私はきっともう足を動かすことをやめてしまうだろう。それが怖くて今まで何もしなかったのに。


 人に期待されるのが、一番怖くて辛いのに。


「星蘭の作ったその薬品は世に出すことにする。お主を認めてもらうためにな。きっと、この世界はお主を受け入れてくれる場所なのだから」


 そう、月夜様は微笑みながら言った。


 私を受け入れてくれる場所。


 そういえば、ここに来る前に私は神頼みをしたっけ。私に居場所をくれ、と。もしかしたら、神様がその願いを叶えてくれようとしているのかもしれない。

 そんなの、夢物語にすぎないけれど。

 月夜様の言ったことが本当ならば、私はここで何をすべきなのだろうか。昔と同じようにただいるだけの存在でいて、本当にそれでいいのだろうか。


 良いのか悪いのかは今の私にはまだ分からない。でも、行動することで何かが変わるのなら、私は今こそ行動すべきなのかもしれない。


 私は月夜様の言葉に頷き、まずは薬品について一から学ぼうと意気込んだ。

 期待はしたくない。期待して、待ち望んでいた結果じゃなかったときが怖いから。


 どうせ、この人もあの人も私を見捨てる。この世界だって私を必要としない。そう思ってるのが、きっと一番いい。


 私はまだ臆病な自分を嫌に思いながらも、目の前にいる月夜様に笑顔を向けた。

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