孤独な蝶は、街に出る。

 豪華な紺色の着物に美しく結い上げられた髪。

 馬子にも衣装とはこのことかと鏡を見ながらしみじみ思う。衣装のことにも髪のことにも全てに疎い私に気づいた燈火さんは、慣れている手つきで私を着飾った。


 私は街に行った後、月夜様に会うため、およそ三週間ぶりに敷地外へ出る。


 私は昨日、燈火さんに桜華国の大まかな説明をしてもらった。

 桜華国は王宮を取り囲むように街が広がっており、どこの国ともくっついていない島国らしい。この国は本当に日本と似ている。


「今日は王宮のすぐそばにある屋台街へ行きましょう」

「屋台街?」

「ええ。それはもう通りの両端に隙間が無い程に屋台がでているのです。飲食だけでなく、雑貨なんかも売ってるので、そこに行けば大抵のことは済んでしまう便利な街ですよ」


 燈火さんは何だか楽しそうに話した。


 そういえば、王宮に来るときもそこを通った気がする。騒がしくて、いい匂いがして、いくつもの提灯が街を照らしていた場所。


「そこにあるおにぎり屋の鮭おにぎりがまた絶品なんです。奢りますから食べましょう」


 私は目を輝かせて言った燈火さんを軽蔑するように見た。


 この人は正気なのだろうか。この三週間暮らして燈火さんが狂ってる程鮭が好きなことはよく分かった。しかし、せっかく屋台街に行ってまで鮭を食べるという思考回路には到底理解できないと思った。


「私は結構です。どんな料理があるか見るだけで十分なので奢る必要もありません。行くなら早く行きませんか」

「星蘭は本当に全てにおいて無関心ですね。本当に美味しいんですよ。気になったものがあれば何でも奢るのに」


 無関心かはどうかは置いといて、鮭にそれだけ執着している燈火さんも燈火さんでどうかしていると思う。鮭が美味しいのは重々承知しているが、さすがに毎食食べたいとは思わない。今までのこの人の食生活が本気で心配になる。


「どうでもいいですから。奢る必要は本当にありませんし、とっとと出かけましょう」


 私は燈火さんを置いて研究所から出る。空の夕焼けが綺麗だ。

 燈火さんは私が門の近くに行く頃に、慌てた様子で私の元に駆けつけた。


「いいですよ。私は何も奢りませんし、勝手に一人分だけ鮭おにぎりを買います」


 少し拗ねたような声で言ったが、私はそんな燈火さんを気にせずに頷いた。


「どうぞ。勝手になさってください」

「星蘭、君はもう少し……いや、はぁぁ」


 私は燈火さんの言葉に被せるように言うと、さっさと歩き出した。燈火さんは大きなため息をつくと、そそくさと歩き出した。

 それにしても、この階段を下るのは久しぶりだ。もうすぐ夜になるからか、あちらの方から賑やかな声がする。私の嫌いな声だ。


 学生時代、文化祭やら何やらで年に何回か特に騒がしくなる時期があった。

 それでも、私はひとりぼっち。何の役目も与えられず、いないものとして扱われる。どこに行ったって私は一人。友達なんて誰一人いなかったし、先生だって当てにならない。

 賑やかな声がするときは、私が孤独になるときだった。いつも一人だが、そんなときは特に孤独感が増す。

 でも寂しくはなかった。それが当たり前なんだと、そう言い聞かせていたから。


 だんだんと賑やかな声が近づき、人通りも多くなってきた。風が食欲をそそる匂いを運んでくる。


 私は前いた世界でもちゃんとした食事を食べたことはないため、屋台で売られるできたての料理に少し憧れがあった。

 食べ物が熱い、とフーフーと息をかけて冷ましながら食べる。私にはその感覚があまり理解ができなかった。温かい料理を食べたことがない私は、食べ物が熱いということ自体、よく分からなかった。


 そして数々の種類の料理。ほぼ同じ物しか食べなかった私にとって、屋台に出ている料理の数を見て、この世にある料理の多さに驚いた。

 屋台街というものを見てるとワクワク、する、のだろうか。あまり自分が感じている感情が分からない。


 一度見たことはあったが意識して見てみると、ここもとても幻想的な場所だ。

 木造の低く小さな建物が数え切れない程建っていて、通りの両端にはそれぞれが屋台を出している。その通りをより賑わせるためなのか、提灯がそれはたくさん並んでいる。温かい明るさの灯りに、私は日本の縁日を思い出した。

 きっとここは毎日が縁日のようなのかもしれない。忙しい街なことだ。


 私たちが屋台街に着いたときには、もう既に通りに人が敷き詰められていた。これではどこにどんな料理があるのか見ることができない。


「鮭おにぎりが売っている屋台は王宮に近い場所にあります。入口からは離れていますが、色々な屋台を見るには最適でしょう。ゆっくり歩きますから気になった屋台があれば言ってください。あと、人が多いですからはぐれないように」

「分かりました。早く王宮へ向かいましょう」

「星蘭……」


 燈火さんは呆れたような声でそう言う。

 私は首を傾げる。王宮に用があるし、王宮の近くにその屋台があるなら王宮へ向かうのは間違ってないはずなのだが。


 私たちが鮭おにぎりの屋台を目指して歩いていると何やら視線を感じた。それもずっとだ。誰かにストーカーされている感じでもないのだが、何か色々な人に見られている感じだ。


 ふとすぐ隣をすれ違った女性二人の会話が耳に入った。というかこの二人すれ違いそうになった途端、歩く速度が亀くらいになったのだけれど。


「あれ、燈火様でなくって?」

「本当だわ……! しかも目の前を歩いていらっしゃる! この上ない程の幸福ね。それにしても、隣を歩いている地味な芋女は誰?」

「きっと世間知らずで身の程知らずなのよ。なんてお可哀想なこと」


 女性二人はそう言って静かに笑うと、歩く速度を元に戻して反対側へ歩いていってしまった。

 街の人が燈火様って呼ぶってことは、実はこの人すごい有名人なのではないのだろうか。いや、王家の次に偉い人だ。有名じゃないはずがない。


 私は改めて隣にいる燈火さんのことを、今感じているのが怖いというのかよく分からないけど、多分怖くなったのだと思う。


「星蘭。彼女たちの言葉、怖かったでしょう。大丈夫ですか?」

「彼女たちが? 私は燈火さんの方が怖いです。言葉の方は全く気になりませんでした。あんなのずっと言われてたことなので、さすがに慣れました」

「なぜ私が怖くなるのですか。それに、ああいった嫌な言葉に慣れてしまっているのは非常によくないことですよ。普通は心が傷つくものですから」


 普通。その言葉に私は考えてしまった。

 私は到底普通とはかけ離れた存在だろう。家庭だって、自分だって。何一つ普通なことが見当たらない。だから私には普通が分からない。

 それに、さっきの女性の言葉が嫌だとも思わなかった。我ながら思う。私って、多分可哀想な人間だ。


「もう少しで王宮ですし、お目当ての屋台です。もう少し頑張りましょうね」


 燈火さんは私にそう言うと、屋台街について語り始めた。

 どんな屋台があって、何が有名で、王宮贔屓はどこだとかそんな色々なこと。王宮贔屓を知っていることは疑問だが。


 屋台街に来てからずっと視線を感じるので、さすがに少しストレスを感じてきた。どの女性も黄色い声で燈火さんを呼ぶ。


 確かに燈火さんは全体は見たことないものの、少し見える顔は国民的俳優に優る程整っている。まるで二次元キャラのようだ。

 だが、私はこの三週間燈火さんと暮らしているにも関わらず、ちゃんとその顔をはっきりと見たことがない。食事をするとき、真向かいに座って少し顔が見えたくらい。

 燈火さんは研究所の中でもフードを深く被って生活している。研究所の中でもフードを被るのは何だか衝撃的だった。

 性格は、どうか分からないけど私とまともに話をしてくれるから、今まであった人よりかは優しい気がする。


 でも、私は全く信用していない。それが誰であろうとも、信用なんてしないと決めた。信用した後、私だけが傷つくのはもうごめんだ。

 私は一生懸命燈火さんが話していることを左から右に流しながら、だんだんと近づく王宮を眺めた。相変わらず煌びやかで豪華な建物だ。


「さあ、着きましたよ。ここが私が贔屓にしているおにぎり屋です」

「そうですか。では、私は屋台の端の方で待ってます」


 私は燈火さんの有無を聞かずに、さっさと屋台の左側の隅へ行ってしゃがんだ。屋台同士の間に隙間はないため、屋台と屋台の間ら辺だ。


 横を向いて行列のできているおにぎり屋を見た。

 人当たりのよさそうな夫婦、だろうか。歳のとった女性と男性の二人が店をやっているそうだ。


 隣にあった看板を見る限り、商品はたくさんの種類があった。ざっと見ただけで十種類はありそうだ。食欲をそそる匂いについお腹が鳴ってしまう。

 あのフルコンボ料理が三週間続いたのだ。最近はあまり料理に手付かずになっていたからか、ついに体が空腹を訴えてきた。

 しかし、私は生意気ながら燈火さんに奢る必要はないとしつこく言ってしまった。


 研究所に帰ったらお米でも握って塩おにぎりとしようか、とか燈火さんを待つ間にそんなことを考えていた。


「お待たせしました。思いのほか混んでましたね。星蘭、これはこの店の看板商品です。よければ召し上がってください」


 そう竹皮で包まれた物を持って戻ってきた燈火さんは、その竹皮を開いた。そこには二つおにぎりがある。


「これは?」

「右は私の鮭おにぎりです。左はきっとお腹を空かせてるであろう星蘭のために梅おにぎりを買ってきました。この梅は店主の奥方が手作りしてる究極の梅なんですよ」


 燈火さんは私にその梅おにぎりを差し出した。鮭おにぎりではなかっただけありがたい。

 だが、私は燈火さんに奢る必要はないとあれだけ言ったのになぜ買ってきてくれたのだろうか。


「いりません。燈火さんが買ってきたのですから燈火さんが」


 グ──


 言葉の途中で私のお腹が随分と大きな音を鳴らした。

 私は思わず固まる。何てタイミングだ。


 燈火さんはというとこんな私に笑いを堪えきれなかったのか、お腹を抱えて笑っている。


「体は正直じゃないですか。美味しいですから、ぜひ食べてください。それに、君が空腹のまま月夜と会ったら当然心配されるし、私が怒られてしまいます。さあ、どうぞ」


 私はそう圧をかけておにぎりを差し出す燈火さんに負けて、恐る恐るおにぎりを受け取った。温かい。手から伝わる温かさに思わず驚いてしまう。そして、ほんのりと香る梅の酸っぱい匂いが食欲をそそった。


 燈火さんは私の隣にしゃがむと、「いただきます」と一口その鮭おにぎりを食べた。

 美味しそうにおにぎりを食べる姿を見て、私は自分の手にある梅おにぎりを見た。


 そういえば具の入ったおにぎりは初めて食べる気がする。今まで食べていたおにぎりには塩が大量に使われていて、まずいと思いながらも食べていた思い出がある。よく病気にならず今まで生きてこれたものだと自分でも感心してしまうが、できれば、生きたくはなかった。

 早く、死んでしまいたいと何度思ったことだろうか。


 躊躇ためらいながらも私はそのおにぎりを一口食べてみることにした。

 私は目を見開いた。美味しい。ちょうどいい塩加減のふっくらとして温かいお米。パリッとした海苔。そしてしょっぱくて酸っぱくて、でも何だか甘さも感じれる大きな梅干し。


 私は初めてご飯を食べて感動した。こんなに美味しい物は食べたことがない。ご飯が美味しい。そんなこと、今の今まで思ったことなど一度もなかった。燈火さんが作ってくれた物も美味しかったが、同じ物だったし、何も思うことなどなかった私は何も感じることはなかった。だが、今はどうだろうか。

 二口目。やはり美味しい。でも二口目は一口目より何だかしょっぱかった。水分を感じたような。


「あれ、私、どうして泣いて……」


 私はその目から涙が零れていたことに気づいた。食べ物を食べて泣くだなんてなんておかしな話だろうか。

 私はその涙を拭う。なのに拭っても拭っても涙は止まらない。


「ふふ、ここのおにぎり美味しかったでしょう。大丈夫ですよ、星蘭。ここにいれば、食べ物に困ることは絶対にないですから」


 燈火さんはそう微笑んだ。


 食べ物に困らないなんて、どれだけ幸せなことなのだろうか。きっと現代に住む日本人はあまり理解ができない話だろう。当たり前のようにご飯が食べれて、当たり前のようにご飯を残す。

 でも、私にとってはそんなこと当たり前ではなかった。ご飯が出るだけ幸せ。普通はゴミ袋の中の残された食品を漁って食べる。

 そんな、普通じゃ考えられない生活を送ってきた。


 今だけはこの幸福に、少しだけ浸っても許されるかもしれない。

 私はそう思って少ししょっぱい梅おにぎりを食べた。

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