帰り道

『もっと、話していたいのだけど……夜が明けてしまう前に、戻らなくてはならないから……』


アリシアの言葉に、母が笑顔で頷いた。アリシアを抱いていた腕が、ゆっくりと離れていく。少しだけ、間を開けて。2人は、最後の挨拶を交わした。


『ええ、分かっているわ。さようなら、アリー』


『さようなら、お母様』


母の笑顔を、目に焼き付けて。泣きそうになるのを堪えながら、アリシアも笑む。母が、安心できるように。遙かな先、天上まで続く白い階段を、2人で並んで見上げる。母が、階段を上っていく。アリシアは、その場で立ち止まって、母を見送る。時間はないかもしれないが、そうしたかったから。母が階段の途中で立ち止まって、振り返る。アリシアのことが、気にかかっているのだろう。そう思ったアリシアは、笑みを浮かべたままで、頷いた。母は、笑みを深めて、頷き返す。そうして、今度こそ。振り返らずに、進んでいった。やがて、その姿が霧の向こうに消えた後に。最初に下りてきた女性が、母と入れ替わるようにして、姿を見せた。


『ここへ来てくれて、ありがとう。ディーの未練を、断ち切ってくれて。これでディーは、新しい生へと旅立てるわ』


『……私も、母と話すことが出来て幸せでしたわ』


アリシアの言葉を聞いて、女性は嬉しそうな様子を見せた。


『そう。それはとても、素敵なことね。さようなら、アリシアさん。いつかあなたの魂が、ここまで昇ってきたのなら。その時は改めて歓迎するわ』

 

その言葉に、アリシアは困ったような表情を浮かべて言った。


『昇ることができるでしょうか。私は、魔の力を借りた者ですが……』


女性は不思議そうな表情で、アリシアの方を見た。そうして、少し考えてから、笑って言う。


『そうね。これから先のあなた次第、だけど』


その言葉に、安堵する。これからのアリシアの行動次第で、ここに昇ることができるというのなら。悪魔を呼んだ罪は、きっともう、許されているのだろうと。微笑む女性に笑みを返して、背を向ける。ただ、妹の元に帰りたいと。その一心で、白い階段を下りていく。空には、日が昇ろうとしていた。雨はもう、上がっている。雲一つない、深い黒と青色の空に、薄い橙色と白色の光が広がっていく。夜が、明けようとしている。冷ややかな空気の中、魂だけで進んでいると、自分と周囲の境界が曖昧になったように感じる。混ざらないように、自我を保ちながら進むことを意識する。階段を下りて、部屋の窓を通る。随分と長く、留守にしたような気がする。ベッドに眠る自分を見下ろして、アリシアは笑ってしまった。小さな細い手が、胸の上で組まれた己の手に触れている。きっと、心配で、落ち着かなくて。出てきてはならないと分かっていても、つい、手を出してしまったのだろう。心残りはあったけれど、この様子を見れば、帰ってきて良かったとも思う。そっと、自分の体に触れる。用意していた緑色の光の粒子を全て、円を描くように並べる。


『zrckhe,ln-pln-lbn【戻りしは、地に根付く命】』


呪文を唱え終わると同時に、アリシアの体が、緑色の光に包まれる。目を閉じて、光に身を任せる。次に目を開ければ、アリシアはベッドの上で、手を組んだ状態に戻っていた。小さな細い手を、両手で包む。


「ただいま、エミリー」


小さな声で、そっと呟く。妹の細い手が、アリシアの影の中へと帰っていく。とても疲れたけれど、これで終わりではない。アリシアは上半身を起こして、胸元に入っていた革袋を取り出した。持ち帰った『星を閉じ込めた水』を使って、妹と話をする。今までのことは、そのための準備に過ぎない。けれど、さすがに疲れてしまったから。アリシアは、1日か2日ほど休んでから、儀式を行うことにした。

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