母と娘

『生きていてくれて、良かった』


母は、ディアナ・マクシミリアンは、そう言って笑った。


『心配していたのよ。ああ、アリシア。私の、可愛い子……!』


駆け寄ってくる女性。その腕に抱かれて、アリシアは胸が詰まった。


『お母様……』


母を連れてきた女性は、いつの間にか居なくなっている。白い階段の上で死者と会う可能性を、考えなかったわけではない。けれどそれが、実の母だなんて。そんなこと、夢にも思わなかった。


『お父様は、あの通り、厳しいお方でしょう? あなたが寂しい思いをして、苦しんでいるのではないかと思って、心配していたの。ねえ、アリシア。あなたは今、幸せだと思えているの?』


言葉が出ないアリシアの様子を見て、母は泣きそうな顔になった。


『どうしたの……? 私の可愛い子、愛するアリー。どうか私に、話をしてちょうだい。大丈夫よ。私は、何があっても、あなたの味方なのだから』


家族に、愛称で呼ばれたのは初めてで。母の腕の中で、アリシアは泣き叫ぶように言った。


『お父様が、褒めてくださらなかったの。私は頑張ったのに、マクシミリアンの娘として相応しくあろうとしたのに、私では足りないって……! 何も分かっていないあの子を、ただ才能があるという理由だけで、マクシミリアンに迎え入れて。あの子は、才能の他には何も、持っていなかったのに……! どうして、どうして私ではいけなかったの……!!』


偽らざる本音。ここに、妹はいない。ここには、アリシアを守ってくれる母がいる。だからこそ、言うことができた。母はアリシアを抱き寄せて、頭を撫でながら、黙って聞いていてくれた。アリシアが落ち着くまで、何も言わずに。それが1番嬉しくて、アリシアは母の腕の中で、子供に戻ったかのように泣き続けた。


────


アリシアがようやく、落ち着いた頃。空は黒から白へと、移り変わろうとしていた。もうすぐ、夜が明ける。


『お母様、私、もう行かなくては……』


そう言うと、母が悲しそうな顔をした。


『どうして? あなたがこんなに泣くほどの、苦しい場所に、何故戻らなくてはならないの? ねえ、アリー。ここにいて。私はこれ以上、あなたに傷ついてほしくないの。ここなら、怖いことも苦しいこともないわ。私が、側で見守ってあげる。ね、いいでしょう……?』


母は、本心から言ってくれているのだろう。ここは天上の国。全ての苦しみから解放された魂が、辿り着くと言われる場所。魂はここで、過去の苦しみを癒し、次の生へと向かう。妹のことを忘れて、ここで母と過ごす。それでも、アリシアは幸せになれるだろう。


『……いいえ。私は、あの子を捨てて行けないわ。私と違って、お父様から愛されていた子。全てを与えられたエミリー。でもそれは、あの子が望んだことではないし、それに……』


思い出す。人の言葉を失っても、人の姿を失っても。変わらずアリシアを追ってきた、小さな可愛いエミリーのことを。


『それに私は、あの子の姉だから。誰からも守られないあの子を、守ってあげたいと思っているの。あの子には、私は必要ないかもしれない。それでも、そうしたいから……。だから、さようなら、お母様。私もずっと、愛しているわ』


この世の未練がなくなれば、魂は新しく生まれ変わる。母の未練が、幼いまま残してきてしまった我が子アリシアのことだというのなら。きっとこれで、母の魂は真に天に昇ることができる。アリシア自身は、2度と母とは会えない。定められた死が来て、悪魔を呼んだ罪が許されたとしても。その時には、母の魂は生まれ変わった後だろう。そうと知っていても、アリシアは妹を選んだ。それはあるいは、これまで助けてくれたことへの、お返しのようなものだったのかもしれない。母が、アリシアの頭を撫でながら言う。


『いい子ね。あなたは、とっても偉い子だわ。世界で1番、素敵な女の子。私の、自慢の娘。どうか、いつまでも覚えていて。私にとっては、あなたが1番、大切なんだって』


母の手が、母の言葉が。アリシアの中の、家族に認められたかったという気持ちを、満たしていく。それは、母からの最後の贈り物。そして、最上の贈り物でもあった。たとえ、父に認めてもらえなくとも。もう、アリシアは傷つかないだろう。

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