儀式の前に

コギリュウの葉が届くまで、およそ1か月。その間、政務についての相談をするために時折訪れるラース王を除いて、アリシアの部屋の戸を叩く者は1人もいなかった。ベルトルトが毎朝届けてくれるカルラからの手紙に返事を書きながら、アリシアはその荷が届くのを待ち続けた。コギリュウの葉を取り寄せたことで、グヴィナーの支持者たちからは、また何か企んでいるのではないかと言われた。ありもしない企みを仄めかされたところで、アリシアが動じるわけもない。ただ、いつものように微笑んで、受け流した。


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コギリュウの葉が届いた夜は、空を雲が覆い、針のように細い雨が降っていた。星など見えるはずもなく、けれどアリシアは、あえてその夜に魔術を使うことにした。妹と話したいという気持ちを抑えきれなかったという理由は、少しだけ。大きな理由は、その天候にこそある。もし星が見える夜であれば、アリシアはきっと、水を張った盥を用意していただろう。それは『星を閉じ込めた水』を作ることではないと、分かっていても。失敗が積み重なれば、いずれ楽な道に逃げたくなるだろう。水に星空を映すことで、『星を閉じ込めた水』の代用品を作ってしまうかもしれない。その可能性が、少しでも存在することが、許せない。だから、星が見えない夜を選んだ。自分が、安易な道に逃げないようにと。窓際に、かつて妹が使っていた机を運びこむ。開かない引き出しの、その中に何があるのかは関係ない。妹が唯一、大切にしようとした物を、できるだけ側に置いておきたかっただけ。妹の机の上に、あの本の内容を書き写した紙を置く。ここに置いておけば、紙が汚れたり破れたり濡れたりする心配はない。心おきなく、魔術を使うことができる。アリシアは部屋の中心、決闘の準備をした時にも使った、大きな机を見る。その机の上に、エールエの枝とコギリュウの葉を、重ねて置く。その外側を、輪のような形にした土で囲む。木の実と、動物の骨の欠片を、土に混ぜこむ。それは、土の力をより伝えやすくするための工夫の1つ。大地に根付く生き物と、大地に還る生き物がいる、その場所を。机の上ではなく、大地の上なのだと定義する。深呼吸して、呪文をどうするか、考える。古言語と比べれば、今のアリシアが知る『魔の言葉』が持つ力は少ない。けれど、それでもその言葉には、力がある。『mct(力)』と『efle(満ちる)』はそのまま使い、他の部分は、より相応しい言葉に変える。『lu(葉)』と『at(枝)』、そして『koe(冠)』は必ず、呪文の中に入れなければならないだろう。合わせて、組み直した呪文。


「Mct-efle-zi.At-lu,sel-fr-wre.Kngatrtt-zige-ojk-nct.Fen-glet-af-brece,enabg-ojk【力が満ちる時。枝と葉は、定められた形となる。王権を示す物ではない。友や恋人へと差し出す、簡素な物に】」


呪文に呼応するように、エールエの枝が曲がりくねる。まだ、コギリュウの葉には、変化が見られない。アリシアの内心に、焦りが生まれる。更に、呪文を紡ぐ。


「Fam-ace.Rgn-Fu.als-ln-dhr.Afnnelee,bl,als-dr-bdn-fht.Sheknct.Zrcbiknct.dr-bris,ln-bdn【炎は灰に。雨は川に。すべて地のために。積み重なり、やがて、すべてはその底へと向かう。恐れるな。振り返るな。そこは既に、地の底である】」


コギリュウの葉、その根元が丸くなって、エールエの枝に絡む。そうして、枝と葉が円を描くように動く。大きな丸い、枝と葉の輪が、机の上に出来上がる。それを見て、アリシアは安堵の息を吐いた。まずは1つ目。ようやく1つ目。次の魔術は、より難易度が高いものとなる。今、成功したからといって、安心できる要素は1つもない。それでも。確かに1歩、前に進めたことは事実だったのだから。

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