神殿の古書を読むために

次代の王となったラース・クロイツァの権限は、確実に増えた。その権限で、王はアリシアと神殿の代表者を呼んで、話し合いの席を用意した。神殿の代表者、すなわちは修道士と修道女、修道騎士を纏める長。大修道士は柔和な笑みを浮かべて、アリシアの向かいに座っている。


「お話があるとのことでしたが……?」


穏やかな声音で、大修道士が王に問う。


「ああ、そうだ。アリシア・エーレンフェストが、神殿に出入りするための許可を、出してほしい」


王の言葉を聞いて、大修道士が困ったような顔になる。


「……そうですね。それが、聖女様の祝福を受けた王の望みであれば、叶えて差し上げるべきなのかもしれません。ですが、そこの者は魔術師です。しかも、悪魔の力を借りているとか。真偽は不明ですが、神殿内に入れて、万一のことがあってはなりません。申し訳ありませんが……」


そうなるだろうと、予想はしていた。アリシアは、神殿側から見れば、邪悪な存在だろうから。王が頷いて、口を開く。


「そうか。大修道士の懸念も、もっともなことだ。ただ、私はあの試練において、彼女に助けられた。その恩に報いたいと、思っている」


「……お話は、お聞きしております」


大修道士が苦笑する。王は、机に置かれた城内の地図を指して言った。


「どうだろうか。神殿書庫の本は、持ち出しを禁じていると聞く。それを、神殿に最も近い部屋まで持ち出すというのは」


大修道士は、少し考えるような素振りを見せた。その機を逃さず、王が続ける。


「貴重な書物の管理を、一時的なものとはいえ任せるのは不安だろう。だが、預かるのは私でも彼女でもない。ベルトルト・エーレンフェストだ」


「……なるほど。彼の働きは、存じております。確かに、貴重な書物を任せるのに、相応しい人材でしょうね」


修道騎士として、常に己を律し、誠実に勤めを果たしていた男。その功績は、大修道士も、よく知っているのだろう。後一押しだ。部屋の壁際、ずっと立ち続けていたベルトルトに、王が視線を向ける。


「『聖水でメコイル神の紋様を描く。薄布を纏って一昼夜、ロウエンの滝に打たれる。香油を塗ったエールエの棘で指を指して、その血を盥に張った聖水に垂らす。これは高邁なる精神を、神に示す儀式である』」


巫女の弟子が書き残したとされる1節を、ベルトルトが暗唱する。アリシアは、目を見開いた。大修道士も、驚いた様子を見せている。それは、魔術の影響を受けていないと証明するための儀式について、書かれた箇所だ。確かに、アリシアはベルトルトに何もしていない。体を温める魔術すらかけたことがないのだから、儀式を行っても、水に変化はないだろう。だが、くだらない邪推を否定するためだけに、ベルトルトがそこまでする必要はない。そんなことで信用を得ようとは、思っていない。アリシアはそう告げようと、口を開きかけた。その瞬間。ベルトルトがアリシアに、真剣な眼差しを向けてきていることに気がついた。彼は本気だ。アリシアのことも、妹の状態も知っている。だからこそ、この提案をしてくれたのだろう。アリシアは、言おうとしていた言葉を呑み込んだ。ここで口を挟むべきではない。それは、彼自身の献身と思いやりを、アリシアの老婆心で無駄にしてしまうということだ。申し訳ないという気持ちを抑えこんで、アリシアは大修道士の方を見た。彼は、納得したような表情を浮かべて言う。


「わかりました。明日から、月が終わるまでの期間という制限付きであれば、書物を持ち出しても構わないでしょう」


王が無言で頷いて、話し合いが終わる。大修道士が部屋を出て、扉を閉める。


「……ありがとうございます」


アリシアはただ、頭を下げた。王にも、ベルトルトにも。きっと、彼らは気にしていないだろう。それでも、助けてもらえたことが、とてもありがたかったから。王から声をかけられるまでずっと、アリシアはそうしていた。

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