訪れた聖女

青い鳥が飛んでいる。城の上空で3回旋回し、右側の尖塔に止まる。アリシアは、その様子を窓から見ている。ラース王子から聞いた話によれば、あの鳥は姿を変えた聖女であるらしい。病床に伏した王を生かすために、神術を使い続けているのだとか。アリシアの部屋の扉が、外から叩かれる。また、ラース王子が来たのだろうか。そう思って扉を開ける。予想に反して、そこには1匹のまだら模様の猫がいるのみだった。


『久々じゃな』


猫から、聖女の声が聞こえてくる。アリシアは、目を見開いた。立ちつくすアリシアの横をすり抜けて、猫が部屋の中に入る。アリシアは扉を閉めて、猫と向かい合う形になった。


「何故、聖女様がここに……? 城の上で、神術を続けていらっしゃるのでは……?」


『ふん、あんなものに何の意味がある。あの鳥は、ただ飛んでいるだけじゃ。ああして、何かしているように見せねば、城からの使者が後を絶たぬからの。病魔を退ける神術は、既に試しておる。それでも回復せぬのなら、手遅れじゃというのに……。それでもと望むのじゃから、人というのは強欲なものじゃ』


猫は、そう言いながら、アリシアの後ろに回って影に触れる。


『ここにおるのか。なるほど、考えたものじゃのお』


「……全て、お見通しなのですね」


アリシアが俯いて言うと、猫は跳躍して棚に乗った。そうして、アリシアの方を見る。


『お主が悪魔の力を借りておると聞いて、どうせこんなことじゃろうとは思ったがな。本当に悪魔がおるかどうか、確かめておかねばならぬからの』


「……これが、悪魔の力でないとは、証明できません。私は、悪魔にエミリーを捧げたのですから」


アリシアは俯いたまま、重い口を開いた。人の言葉を話さない妹。人の姿を失った妹。全てはアリシアのせいであり、妹を責めることはできない。たとえ、彼女が悪魔の力を得ているとしても。そこまで考えたところで、呆れたような聖女の声がした。


『なるほどな。お主は、そんなことを気にしておるのか。では、断言してやろう。そこにおるのは紛れもない、お主の妹御じゃ。姿や言葉が変わろうと、意志と心は変わっておらぬ。今もなお、お主の影となって、お主を守ろうとしておる。そのことは、お主にも分かっておるじゃろう。良いか。悪魔は、人の命と引き換えに、願いを叶える。対価となるのは命のみ。姿や力ではない。お主も、お主の妹御も、命を失っておらぬじゃろ。であれば、その魔術は失敗し、悪魔は去っておる。お主の妹御が、人に戻らぬのは……』


猫が言葉を切った。アリシアは顔を上げて、猫を見上げる。


『……そうじゃな。悪魔の呪いで、そうなったわけではない。お主の望みと、妹御の望みは違う。そのことをよく考えねば、お主がやろうとしていることは、徒労に終わるじゃろう』


それだけ言って、猫は開いたままの窓から外に出ていく。残されたアリシアは、自らの影に触れて考えた。アリシアの望みは、妹を元に戻して、もう1度話をすること。では、妹の望みとは、何なのだろうか。妹の部屋に置いてあった机の、開かなかった引き出しを思い出す。あの引き出しの中を見ることができれば、何か分かるのだろうか。どうすればいいのか、方法すら、定かではない。王になれば、妹の呪いを解くことができると思っていた。けれど。聖女は、呪いがかけられているわけではないと告げた。何が正しくて、どうすればいいのか。急に、分からなくなってしまった。影が揺らめく。妹は、今もそこにいる。


「あなたは、どうしたいの……?」


問いかけても、答えは返ってこない。ただ、アリシアの手が触れている場所の影が、少しだけ濃い色になる。妹の手が少しだけ、影から出て、アリシアの手に重なる。その仕草はまるで、アリシアに全ての選択権があるかのようで。


「……全く」


つい、笑ってしまった。こうなってもまだ、妹はアリシアの側にいる。ずっと昔、まだ人であった頃から変わらずに。アリシアは、もう踏み出してしまった。今さら、王となることを諦めることはできない。王城の1角にある、大きな神殿。その書庫には、生家の書庫よりも多くの、書物が納められているはずだ。王となり、書物を探れば、何かが分かるかもしれない。今はただ、それだけを目的として進もうと思った。

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