決闘(前編)

『絶対に、何があっても。あなたは、姿をみせないでね』


妹に、そう伝えておいて。晴れ渡る空の下、アリシアは決闘の場に立つ。周囲には、アリシアとダヴィド、それぞれの支持者たち。どちらにも肩入れしていない貴族の男が、審判として立っている。向かい側に立っているダヴィドが、馬鹿にしたように笑う。


「さっさと降参した方が、そちらのためだと思いますがね」


この大切な局面で、くだらない挑発に時間を使う気など、アリシアにはない。先手を譲ってくれるというなら、遠慮なく先に魔術を使わせてもらおう。そう思って、ダヴィドに向けて青い宝石を投げつけながら、呪文を唱えた。


「Dah,wre-afrce【龍よ、渦を起こせ】」


青い宝石を中心にして、水の渦が出現した。ダヴィドが驚愕している。


「っ、挨拶もなく攻撃とは。それでも貴族なのですか?」


彼が、身につけた指輪を渦に投げ込む。渦は霧散した。


「あら。決闘でのご挨拶とは、魔術でしょう?」


笑みと共に断言して、アリシアは緑の宝石を、自らの前の地面に置く。


「Wn.Als-shdn-vridr【壁よ。全ての害を防げ】」


地面が隆起する。アリシアとダヴィドの間に、巨大な土の壁ができた。姿は見えない。音は聞こえるのだが、彼が呪文を唱える声は聞こえなかった。壁に何かが当たる。鈍い音がして、壁が揺れるが、それ以上の変化はない。アリシアは、自らが着けているネックレスを取り出した。装身具に魔術を込めたのは、呪文を唱える時間を稼ぐため。今、アリシアが持っている物は、基本的には触媒だ。呪文によって力が引き出される物であり、呪文が無ければ、子供だましの魔術にしかならない。それなのに、ダヴィドは全く、呪文を唱える様子がない。


「これほどの魔術が扱えるなんて、聞いてないぞ!」


苛立ったような彼の声。いくら甘やかされた子供だと言っても、彼も貴族。まさか、装身具をそのまま使うような真似をするとは、思わなかった。右手に握った、赤い花の形の宝石を見つめる。予想は外れたが、これなら予定通り、ダヴィドに勝つことができるだろう。アリシアがそう思った時。ダヴィドが飛んで、壁を乗り越えてきた。跳躍の魔術を靴に込めていたのだろう。咄嗟に、持っていた花の宝石を投げる。ダヴィドの手足に、蔦が絡みつく。ダヴィドはすぐに振り払ったが、一瞬、動きが鈍った。その隙にアリシアは白い鳥の羽を持って、呪文を唱えた。


「Mr-flg【我に翼を】」


魔術で一時的に加速する。そのまま、距離を取るために、後ろに飛んだ。ダヴィドが口の端を吊り上げる。その表情に、嫌な予感がした。


「今だ!」


ダヴィドの声と共に、アリシアは後ろに何者かの気配を感じた。振り返ると覆面の男が、アリシアに向けて剣を振りかざしていた。アリシアの背後、草木の茂みの中に身を隠していたのだろう。そう考えながら、ネックレスの宝石を右手で握って、そこに込められた魔術を発動させる。剣が、氷の壁に阻まれる。壁はすぐに割れたが、剣を防ぐことは出来た。隠れていたのは1人ではなかったようで、アリシアの周囲を、剣を持った覆面の男たちが囲む。ダヴィドが勝ち誇ったような表情で、こちらを見ている。彼の合図1つで、アリシアに剣が向けられる。だがそれは、決闘において禁じられていることのはずだ。アリシアは審判の方を見る。動揺した様子の審判が、制止の声を上げた。だが、ダヴィドも男たちも、まるで気にしていないようだった。当然だろう。決闘の制約を破った以上、何としてでもアリシアを殺さなければならないのだから。視界の隅で、ベルトルトが焦った様子でこちらに向かおうとしているのが、見えた。だが、彼も別の暗殺者に道を塞がれている。ここで、こんなことで、死ぬわけにはいかない。けれど、アリシアが何か魔術を使おうとしたら、ダヴィドはその瞬間に合図を下すだろう。できるだけ素早く、この不測の事態に対応しなくてはならない。アリシアは青い鳥の羽を取り出して、呪文を唱える。それと同時に、ダヴィドが声を上げた。


「やれ、お前たち!」


「Pelsnct-glc,dee-hn【比類なき幸運を、この手に】」


身につけている装身具と、持っている宝石。その中から、この状況を打破する物を選ぶのは難しい。故にアリシアは、青い羽に頼った。この状況から無事に生還することができる魔術を、羽の力で選びとる。手に触れた物、それが何かを確かめる時間など無かった。ダヴィドの指示を受けた暗殺者の剣がアリシアに届く、その寸前に。アリシアは迷いなく、その魔術を発動させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る