幼い王子
風の月の早朝。アリシアは起床して、その日のドレスを選んでいた。薄い色の、クラシカルドレスを身につける。髪飾りは付けない。第2王子と会ったことはないが、子供の教育係となるのであれば、装飾品は少ない方がいいだろう。身なりを整えて、影を見やる。
「何が起こっても、そこに居てね。あなたは、存在そのものが禁忌なのだから」
小声で言うと、影が少し揺らいだ。理解してくれたのだろうと結論づけて、アリシアは呪文を唱えた。
「Hte.mr-kre-wr【熱よ。我が体を温めよ】」
それまで感じていた寒さを和らげるために、火の力を借りて魔術をかける。そうして部屋から出ると、扉の横にベルトルトが立っていた。いつから、ここに居てくれたのだろう。魔術をかけていない状態では、ここはきっと、寒いだろうに。少し気にはなったが、声はかけずに歩きだす。アリシアは、何も言っていない。であればこれは、ベルトルトがしたくてしていることなのだろう。確かに、この城を1人で歩くのは危険だ。供をしてくれるというのなら、断る理由はない。火の魔術をかけるのも、ベルトルトのためになるとは思えない。彼は修道騎士であることに、誇りを持っている。神を信じ、その教えを守っている彼に、魔の力を借りた呪文などは必要ないだろう。そう思って、アリシアは何もしなかった。ただ、彼を連れて、城内を歩く。廊下を真っ直ぐに進んでいると、向こう側から子供が歩いてきた。俯いて歩く、小さな子。
「今日は、ラース王子様」
アリシアが声をかけると、子供は顔を上げた。その目が、大きく見開かれている。
「あの、僕、お会いしたことがありますか? そうだったら、ごめんなさい。僕、あなたのことを覚えていなくて。どうして、僕のことを、ご存じなのでしょうか」
アリシアは膝を折って、第2王子と目線を合わせた。そうして、安心させるように微笑む。
「いいえ。私は、あなた様とお会いするのは、初めてよ。でも、このお城にいらっしゃる方で、あなた様ほど幼い方はいらっしゃいませんもの」
「あ、そうですね……。僕、同じくらいの子が居たら、一緒に遊べると思って。でも、誰も、僕と遊んでくれなくて……」
王子は両の手を握って、再び俯く。アリシアは、笑みを崩さずに言った。
「あなた様は、尊いお方ですもの。貴族とは、孤独なものですわ」
王子は、何も言わない。アリシアは言葉を続けた。
「でも、どうか覚えておいてくださいな。孤独なあなた様に、甘い言葉を囁いてくる者がいるのなら。その者は、あなた様を懐柔しようとしているのだと」
「…………うん」
王子は、苦い笑みを浮かべた。
「知ってる。僕ね、背が全然伸びなくて。だからね、小さい子だと思われることがね、多くて」
そして、彼は顔を上げた。それまでの子供らしい態度からは打って変わったような、貴族らしい様子を見せて。
「こうしていると、いつもそうだ。グヴィナーの子息も、俺を子供だと思って侮っていた。マクシミリアンの娘もな。だが、エーレンフェストの奥方は、違ったようだ」
口調まで変えて、おそらくは、それが本来の彼なのだろう。アリシアは頭を下げて、口を開いた。
「いいえ。私も、あなた様のお年を知らず、子に言い聞かせるような言葉づかいをしてしまいました。申し訳ありません」
「構わない。俺自身が、そう見えるように振る舞っているのだからな。この事を口外しなければ、それでいい」
「ありがとうございます」
アリシアは廊下の端に移動した。ベルトルトがいつの間にか立っている、その隣に立って、王子のために道を空ける。足音が遠ざかっていく。子供のように、走り去っているのだろう。不興を買わなくて良かったと、心底から安堵する。彼が話に挙げていた名。グヴィナーの子息とは考えるまでもなく、ダヴィドのことだろう。では、マクシミリアンの娘とは誰か。第2王子とアリシアが初対面だった以上、そう呼ばれる存在は、妹しかいない。自らの影を見つめて、アリシアは笑った。
「きっと、驚いたでしょうね」
影に変化はない。体を少し動かしてみたが、影はやはり動かなかった。驚きすぎて固まっている妹の様子が、目に見えるようで。アリシアは、笑みを深めた。
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