魔が訪れた夜

地の月は豊穣の月。そして、精霊の力が最も強くなる月でもある。アリシアは妹と共に、いつものようにお茶を飲んでいた。地の底から死者と魔が現れる、ホラウェンの日に。もうすぐ、夜が来る。ホラウェンの夜は、闇の力が強くなる。一晩中火を灯していなければ、魔物に連れていかれてしまうと言われるほどに。


「Ln-lct.mr-fen【地の光よ。我が友人よ】」


アリシアは、火を灯す代わりに、光の精霊を呼んだ。光の精霊が、キッチンの中を飛び回る。そろそろ、眠りにつく時刻だ。アリシアは片付けのために、ベルトルトを呼ぶ。その時。部屋の明かりが、消えた。さすがに驚いたが、妹がアリシアの側に来たことで、少し冷静さを取り戻せた。再び光の精霊を呼ぼうと、呪文を唱える。けれど、精霊は現れなかった。


「アリシア様、これは……」


ベルトルトから問われたが、答えられるはずもなく。アリシアは妹を抱いて、椅子から立ち上がり、ベルトルトの声が聞こえた方に移動した。


「ベルトルト、どこなの?」


答えが返ってこない。そのことに、強い不安を覚える。ホラウェンに現れる魔は、親しい者の振りをして、近付いてくる。そんなことを、今さら思い出す。深い闇で、何も見えない。


「エミリー、あなたは? あなたは、そこに、いるの?」


腕に、何かが巻きつく。その感触で分かる。妹だ。やっと、少しだけ、安心することができて。アリシアは、深く息を吐いた。


「ありがとう、エミリー」


闇は依然として在る。けれど妹がいるのなら、それで良かった。妹を抱いて、座り込む。目を開けていても、何も見えない。ホラウェンの夜に、こんなことが起こるなんて。今までには無かったことだったから、どうすればいいのか分からない。どれほど時が経ったのか、時間の感覚すら曖昧になってきた頃に。呪文のような、音が聞こえた。


「ru he」


その音は、アリシアの腕の中から聞こえた気がした。闇が、急速に晴れていく。帯剣したベルトルトが見えて、アリシアはようやく、心から安堵することが出来た。


「あなたが、助けてくれたの?」


腕の中の妹に、問いかける。答えはない。その事に笑って、アリシアは妹を抱いたまま、部屋に戻った。あれはきっと、妹がやったことだろう。けれど、彼女が言いたくないというのなら、それでいいと思って。


────


次の日。朝に、アリシアの元に、城からの使者が訪れた。曰く。先日の、あの恐るべきホラウェンの夜に、王城が闇に包まれたのだとか。エーレンフェスト家とグヴィナー家も、同じように包まれたという報告があったために、調査に来たのだと。そう話す使者に、妹のことは伏せて、問題は無かったと告げた。使者は驚いた様子だったが、アリシアもベルトルトも無事であることを見たからだろう。大した疑問もなく、城へと帰っていった。その間際。使者が漏らした言葉を、アリシアは聞き逃さなかった。


『害があったのは、城だけか……』


王城とエーレンフェスト家、そしてグヴィナー家。共通するのは、ただ1つ。。その事を、不審に思わない者などいない。アリシアが無事であったこと、事件が起こったのがホラウェンの夜であったことから、この出来事は魔の仕業として片付けられるのだろう。その違和感に気付けるのは、アリシアだけだ。アリシアが無事だったのは、妹が側にいてくれたおかげだろう。けれど、グヴィナー家に、同じ存在がいるとは思えない。そこに害がないこと、それは単なる幸運などでは説明がつかない。方法は分からないが、誰が何のためにしたのかは、よく分かる。ダヴィド・グヴィナーは、魔の力を借りて、玉座を手に入れようとした。妹を悪魔に捧げて国を滅ぼそうとしたアリシアに、その手段を非難する資格はない。けれど、だからこそ分かる。きっとそれは、奥の手だ。このホラウェンの夜に、王位を継ぐ者が決まると。そう信じて、実行したのだろう。けれど、アリシアは生き残った。グヴィナーからすれば計算外、けれど魔の力を使用しているが故に、何も言うことは出来ないだろう。お互いに奥の手を使って、目的を完全に達成することが出来なかった。これはそういうことだろうと、アリシアは結論づけた。

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