観光

遠くの空を飛ぶ、大きな鳥。アリシアは妹を連れて、馬車に乗っている。お茶会の疲れを癒やすために、妹と遠出しているのだ。ウェルシュの森の東側、マルム川に架かる橋を渡って、その更に東に行く。妹がアリシアと共に居ても、奇異の目で見られないところ。崩れかけた木製の、箱のような形の建物の前に馬車を停める。この建物に、扉はない。アリシアは妹を抱いて、建物の中に入った。暗い建物の中、入口から差し込む日の光だけが、唯一の明かり。アリシアのすぐ横で、何かが動く。差し出された毛むくじゃらの手に、アリシアは複数の木の実を乗せた。毛に覆われた生き物は、木の実を見ると、もうアリシアには興味が無くなったようだった。妹がアリシアの腕を掴む。そして、体を小刻みに揺らした。


「大丈夫よ、エミリー」


アリシアは妹を安心させるために、笑顔で言った。ここは、人間との交流で利益を得ている、ベーアという異種族(先ほどの毛むくじゃらの生物)が建てたところだ。


「Ln-lct.mr-fen【地の光よ。我が友人よ】」


アリシアが呪文を唱えると、緑色の光を放つ精霊が現れた。精霊が照らす先、地面に大きな穴が空いている。アリシアは、その穴に向かって進んでいった。穴の先に下りていくと、三つ叉に分かれた道が見えてくる。アリシアは、迷わず右の道に進んだ。腕の中の妹が、体を伸縮させる。


「いつも、私が本を読んでいたことは、知っているでしょう? その中の1冊に、此処のことが書いてあって、いつか来てみたかったの。今なら、来られると思って」


そう言うと、妹が納得したように体を揺らした。あの頃からずっと、妹はアリシアに付いてくるばかりで、他のことに興味を持つ様子がない。アリシアも、妹のために本を選んでやる気など、当時は全く無かった。そのため、妹がアリシアの読んでいる本の内容を知らなかったとしても、不思議ではない。暗い洞窟を、光の精霊に頼って進む。冷えた空気が肌を刺す。


「エミリー、寒い?」


アリシアがそう問うと、妹からは、否定が返ってきた。アリシアは頷いて、更に進む。小石は多かったが、思ったよりも歩きやすい。少し先の方、青い水晶の間の壁に、人1人が通れる大きさの穴がある。そこを潜ると、妹が体と手足を伸ばして、揺らした。妹の行動で前が見えなくなったアリシアは、苦笑いを浮かべた。この場所のことを何も知らない妹が、少しだけ羨ましい。きっと、知っているアリシアよりもずっと驚いていることだろう。その分、感動も大きいのかもしれない。側にいるアリシアのことも気にせず、体を伸ばしたままなのだから。アリシアはそっと、妹を下ろしてやる。妹は這いずって、前へと進む。広く大きな空洞は、入口にあったのと同じ種類の青い水晶で満たされている。その中央には、碧色の大きな湖があった。湖の周囲には苔が生えており、深緑の低木が植わっている。妹は低木の前まで行って、体を伸ばして湖を覗き込んでいた。その様子に微笑んで、アリシアも隣に立つ。


「ね、綺麗でしょう?」


答えは返ってこない。それほど、魅入られているのだろう。アリシアとて、本にあった挿絵を見ていなければ、妹と同じようになっていたかもしれない。姉妹はそれから、ずっと湖を見つめ続けた。やがて、妹が体と手足を元に戻す。アリシアは、彼女を再び抱き上げた。


「もういいの?」


妹からの返答は、肯定だった。彼女を連れて、アリシアは来た道を戻っていく。三つ叉に分かれた道まで戻ると、来たときは居なかったベーアが2匹、道を塞いでいる。塞がれていないのは、帰り道だけだ。それは来た人間が迷わないようになのか、それとも。渡した量の木の実では、1つの道しか進めないからなのか。それは、本を書いた人間にも分からないようだった。けれど妹は満足したようだったし、かなりの時間が経っていることもある。そのためアリシアは、帰り道へと進んでいった。洞窟から出ると、最初に入口にいたベーアはもう、居なくなっていた。その様子を見て、あの建物を出たところで、光の精霊が還っていく。精霊を見送って、アリシアは妹と共に馬車に乗り込んだ。そうして、2人で家へと帰ったのだった。

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