ウェルシュの森(後編)

北に進むと、やがて高い崖に突き当たった。崖の下の方は、よく見えない。周りを見渡すが、橋がかけられている様子もなく、この方角も、これ以上進むことは出来ないだろう。その場所にも魔術で印を付けて、道を通す。そして、森の入り口まで戻った。南は、少し進むと山に辿り着き、切り立った斜面が見えてくる。森の入り口から向かった3方向、全てに印を付けても、聖女の家は見つからなかった。アリシアは、持ってきた水を飲む。妹にも水を分け与えると、まだ印が付いていない方を向いて、歩き出した。森の景色にも、もう慣れてきて、あまり恐怖を感じなくなってくる。歩き疲れてはいるものの、足を止めずに進み続ける。そうして、少し経った頃。目前に、見慣れない物が見えた。丸太で造られた、小屋のような建物。壁面には、蔦が這っている。この建物が、聖女の家なのだろうか。アリシアは建物に近付いて、木製の扉を軽く叩いた。


「すみません」


少し待っても、応えはない。先ほどより大きな声で、繰り返し、呼びかける。扉の奥から、老婆の声が聞こえてきた。


「ここまで来ちまったなら、仕方ないね。入ってきなさい」


アリシアは礼を言って、扉を開けた。中は狭く、中央の机に、まだ湯気が立つスープで満たされた、大鍋が置いてある。壁際に暖炉があり、その前の揺り椅子に、老婆が座っている。まだら模様の猫が、机の上から、アリシアのことを見ている。老婆が椅子ごとアリシアの方を向いて、口を開く。


「貴族だろ。何の用で、アタシのところまで来たんだい」


「……妹を、元の姿に戻したいのです」


アリシアは、これまでのことを簡潔に説明した。老婆は薄く笑む。


「なるほどね。アンタの意志は、ようく解った。だが、妹の方はどうだろうね?」


アリシアは目を見開いた。妹を見るが、彼女は何もせず、アリシアの腕の中にいる。


「エミリーが、どう思っているのか。それを聞くためにも元に戻して、話がしたいのです」


老婆が節くれだった手で、扉を指す。


「アタシは協力しない。帰りな」


そして手を下ろすと、椅子の向きを変えた。アリシアを見ていないことから、これ以上話すつもりが無いことがわかる。


「……何故か、理由を伺っても?」


アリシアは、返答は無いだろうと思いながらも、問いかけた。予想に反して、老婆は嗄れた声で言う。


「そのは、今のままでも満足しているように見えるからね。元に戻したいというのは、アンタの望みであって、妹の望みじゃないだろう」


言葉が、出なかった。その通りだ。何とか口を動かして、礼だけを伝えて、家を出る。アリシアは、震える手で、扉を閉めた。


「……エミリー」


妹は、何も言わない。


「あなたは、元に戻りたくないの?」


妹は肯定も否定もせず、ただ、体を少しだけ揺らした。その意味は、わからない。結局アリシアは、帰ることしか出来なかった。印を辿って、入り口まで戻る。その間、アリシアは何も言えず、妹も動かなかった。ウェルシュの森を出て、馬車に乗る。ベルトルトが何も聞かずにいてくれたのは、アリシアにとって救いだった。何を聞かれても、今は、何も言える気がしなかったから。聖女に言われた言葉を、頭の中で繰り返す。こんな姿になっても、妹は、幸せなのだろうか。天使のようだった妹。誰からも愛された妹。アリシアが何度傷を付けても、笑って受け入れていた、妹。同じだと、思っているのだろうか。この傷は、一生、治らないかもしれないのに。アリシアは、妹を抱きしめた。


(そんな、こと)


本当に、そう思っているのなら。それは、良くないことだ。


(エミリー。あなたが、たとえ、受け入れているとしても。私は、そんなこと……)


妹が何と思おうと、人ではない姿で生きていくことは、とても難しい。今の生活に満足しているというのなら、それは間違いだ。アリシアの罪は、許されてはならない。誰よりもアリシアこそが、そう思っている。だからこそ、せめて、妹だけは。再び、人として生きられるように、元に戻してやりたかった。妹に、罪は無いのだから。

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