この国の聖女

神鳴かみなりが落ちたことで壊れた教会を、直すべきかどうか。王宮では、何度も議論が交わされたらしい。アリシアはまだ、その議論に関われる立場ではない。ベルトルトもまた、王宮には上がれない。そのため、議論内容と結論を知ることは、できなかった。ただ、その後の王宮の動きから、推測できることはある。教会は大部分が崩れていたが、祈りを捧げる場所は、比較的被害が少なかった。瓦礫を少し除けただけで、他の──例えば崩れた壁を修復するなどの──事が行われる様子は無かった。どれほど時が過ぎても、変わらずに。おそらく彼らは、何もしないという選択をしたのだろう。教会側としては、受け入れがたいことだ。その提案が通ったのは、原因が神鳴であったこと。そして──これもまた想像にはなるのだが──提案した者が、聖女だったのではないだろうか。この世に生きる者であれば、誰もが知っている、昔話。昔々。まだ、天地が魔力で溢れていた頃。魔の物の強大な力を退け、大地を人の住まう場所とした、女性がいたという。彼女の血を引き、人に様々な助言をしてくれる存在。そのような者を、聖女と呼ぶ。聖女は、知を人に与える者であり、王に力を与える者である。


(聖女様のお家に、お伺いしなければね。聖女様が会ってくださるかは、わからないけれど)


この国の聖女は、人嫌いの老婆だ。実力は確かだが、対価が無ければ、取り合ってもらえないのだとか。その対価は、聖女が決めるとされる。それが何であれ、アリシアは、聖女に会って、力を貸してもらわなければならない。聖女は、王に地を治める力を与える存在なのだから。


(でも、そうね。私の命であれば、全てが終わった後に差し出せる。でも、エミリーだけは、絶対に渡せないわ)


妹を助けるために、王になろうとしているのだ。そのために妹を対価とするのは、手段と目的が逆転している。自らの命も、それと引き換えに妹が帰ってくるならともかく、王になるために捨てることはできない。王宮の宝物庫にある物で妹を助けるためには、それを手に入れるまで、アリシアは生きていなければならないのだから。


(対価のことを今から心配しても、どうにもならないのにね)


聖女から対価として示される物など、会ってみなければ分からない。心配するのなら、もっと別の、より重要で急務であることの方を考えるべきだ。


(そう、例えば……ウェルシュの森を、どうやって抜けるか、とか)


ウェルシュの森は、黒い森。そこは、昼日中でも暗く、道が曲がりくねっているという。聖女に会うためには、その森を抜けて、森の奥の聖女の家に辿り着かなければならない。聖女に願いを叶えてもらうために森に入って、行方不明になる者も、後を絶たない。そんな迷いの森に、準備もせずに、入ることはできない。


(私には、才能は無かったけれど……。それでも、場所が森であるなら、何かできるかしら)


マクシミリアン家──アリシアの生家──は、由緒正しい魔術師の家系だ。残念ながら、アリシアには才能がなかったが。それでも、出来ることが1つも無かったわけではない。向いていたのは、地の力。植物と大地を司る力である。場所がウェルシュの森であれば、何とかできるかもしれない。とはいえ、それほど多くのことができるわけでもない。成功することも少ないため、その力に頼りきりになることは危険だ。


(そうね。食料と水を籠に入れて、布と縄、ナイフも必要よね……)


用意する物を考えていき、最後に。今日も腕の中にいる、彼女のことを考える。


(エミリーならきっと、ウェルシュの森でも迷わないのでしょうね)


姿形が変わった妹に、どれほど力が残っているのかは、分からない。それでも、最も信頼できるのは、彼女だったから。アリシアは妹を抱きしめて、そっと囁く。


「ごめんなさい。でも、あなたの力が必要なの」


妹の手が伸びて、アリシアの腕を軽く叩く。その動作の意味はわからなかったけれど、アリシアは少しだけ、安心することができた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る