エーレンフェストにて
馬車が、エーレンフェスト家の敷地内に停まる。アリシアは妹を抱いて、馬車から下りた。ベルトルトのエスコートを受けて、邸に入る。邸内は、とても静かだった。人が居ない。召使いの姿も見えなければ、邸の主が出てくる様子も無い。
「伯爵様は……」
「父は、現王ヴァイゼ様にお仕えしておりますので」
アリシアの口から、疑問がこぼれ落ちる。ベルトルトは、無表情のままで答えた。エーレンフェスト家は騎士の家。その当主は、常に現王の側に控えている。いつ邸に帰っているのかわからないとは、もっぱらの噂だが。まさか、帰っていないとは思わなかった。
「召使いは……?」
「アリシア様が必要だと仰るのであれば、雇います」
「ベルトルト様は、必要だと思われないのですか」
「自分は仕える者ですので、不要です。どうぞ、ベルトルトとお呼びください」
驚きすぎて、言葉が出てこない。妹が手を伸ばして、ベルトルトの手に触れる。ベルトルトは嫌な顔もせず、妹の手を握る。不思議な感覚だった。あり得ないと思っていたことが、目の前で行われている。そう。ベルトルトはこんなことで、嘘などつかないだろう。この邸には、妹とアリシア、そしてベルトルトしかいない。そう考えれば、呼び方を変えてほしいという要望が、今告げられたことにも納得できる。エーレンフェスト家の側から見れば、そのことに、何の問題も無いだろう。けれどマクシミリアン家、すなわちアリシアの立場からすれば、呼び捨てにすることは許されない。故に今、ここなのだ。他に誰も居ない場所であれば、アリシアが困ることもない。
「……ありがとう、ございます」
「いえ。アリシア様のお力になれているのなら、本望です」
声色も、表情も、変わらない。それでも、ベルトルトは間違いなくアリシアの味方であると、確信できた。張っていた気が、弛む。
「浴場は、今、使用できますか?」
「大浴場の方は、手入れが必要ですので、お待ちいただければ。小浴場でしたら、今からご案内できます」
「では、小浴場で構いません」
ベルトルトが頷き、アリシアを先導する。小浴場は狭かったが、アリシアは構わなかった。
「お疲れ様、エミリー。いつも床にいるから、汚れているでしょう? 洗ってあげるわ」
妹が体を揺らす。どうやら、嫌がってはいないらしい。ベルトルトは無言で、どこかに行く。おそらくは、お湯を沸かしに行ったのだろう。アリシアは気にせず、浴場の側にあるクローゼットを開ける。乾いた柔らかいタオルを何枚か取り出して、そのうちの1枚を妹に渡す。その後、浴場の扉を開けて、2枚のタオルを備え付けの棚に置く。もう1枚のタオルは、二つ折りにして腕に掛けた。そうして少し待てば、金盥に湯気が立ち上るお湯を満たして、ベルトルトが戻ってきた。お湯を浴室に置いて、ベルトルトが立ち去る。浴室の扉を閉めて、服を脱いで畳む。タオルを湯につけて、軽く絞る。湯桶でお湯を汲み、少し冷ましてから妹にかける。その後、タオルで妹の体を軽く擦るように拭く。妹は大人しく、されるがままになっている。そして、自分から湯桶のお湯に手を伸ばして、その手を支えにして桶の中に入った。
「もういいの?」
アリシアに問われ、妹は肯定で返す。それを受けて、アリシアは浴室に持ち込んだもう1枚のタオルに、金盥のお湯を染みこませた。そのまま自分の体を一通り拭いて、すっかり冷めた金盥のお湯を、肩から流す。妹は湯桶の中、右回りで回っている。アリシアは自分の体を拭いたタオルを絞って畳み、妹の体を湯桶から引き上げた。浴室のタオルを2枚とも妹に渡して、浴場に戻る。浴場の棚に置いてあるタオルのうち、1枚で妹の体を拭く。拭き終えた妹を棚に乗せて、今度は自分の体を拭いた。そして、棚にいつの間にか用意されていたバスローブを羽織って、妹を棚から下ろす。浴場から出ると、扉の外には、ベルトルトが立っていた。
「どうぞ、こちらです」
そう言われて案内された客室のベッドの上に、妹を下ろす。
「それでは、自分は外で、警護をさせていただきます」
「……私と、
「自分は貴女の騎士ですから、ご命令とあらば、共寝もいたしますが」
ベルトルトは、真顔だった。故に、アリシアは理解した。彼にとって、その在り方こそが、当たり前なのだと。
「…………いいえ。命令は、しません」
それで良いのかとは、問わなかった。その必要はない。ベルトルトは子供ではないのだから、己の言葉の意味くらい、正しく理解しているはずだ。ベルトルトが退出して、扉が閉まる。アリシアは、バスローブからナイトウェアに着替えて、妹の隣に座る。
(跡取りを望まないなんて、変わったお方。でも、好都合だわ)
妹がいる前で、秘め事を行うのは、避けたかった。だからアリシアは、ベルトルトの言葉を聞いて、心の底から安堵した。そして、妹を抱いて、微笑む。
「色々あって、疲れたでしょう? 今日はもう、ゆっくり休みましょう」
アリシアの言葉に、妹は体を揺らした後、肯定の仕草を返した。
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