婚姻の日(後編)

馬車に乗り、アリシアはベルトルトと共に、自らの家の門をくぐる。この先、2度と戻ることがない、生家。アリシアの父は、死後に王から預かった全財産を、返還すると宣言した。悪魔と契約した長女の罪を贖うなどと、聞こえの良い言葉で誤魔化して。ただ、アリシアに財を遺したくないだけのこと。義母が父の耳に囁いた、根も葉もない悪評。そして、アリシアが妹に対して行った、数々の行為。見限られる理由は、いくらでもある。ベルトルトが、妹の部屋の前で止まる。アリシアは扉を開けて、妹に声をかけた。


「ただいま、エミリー」


アリシアが、唯一、父から許されていること。それは、アリシアの──もしくは妹の──物である財を、持ち出すことのみ。アリシアには、持ち出したい財など、何も無い。妹とて、同じだろう。彼女の財の中には、本当に彼女が欲しかった物など、何一つ無いのだから。懸念があるとすれば、1つだけ。開かなかった引き出しを、どうするか。アリシアの元に、妹が這い寄ってくる。彼女を抱き上げて、アリシアは机に近付いた。


「ねえ、エミリー。ここにある物は、あなたにとって、大切な物なの?」


答えは、肯定。故に、アリシアは決めた。妹を抱いて、部屋を出る。外で待っていたベルトルトは、表情を変えなかった。けれど、荷を運ぶために雇われた人夫の方は、妹を見て半歩後ろに下がった。


「持って行くのは、あの机だけで良いわ」


アリシアは、そのことには気づかないふりをして、人夫に伝える。人夫は物言いたげな様子だったが、アリシアはベルトルトを促して馬車へと足早に進んだ。馬車に乗り、ベルトルトがアリシアに言葉をかける。


「よろしかったのですか?」


荷が少なかったことに関しての問いだろうと推測し、アリシアは、笑みを返して答えとする。ベルトルトは納得した様子で、再び無言になった。アリシアは膝に乗せた妹を撫でながら、外を見る。これから向かうのは、都市の外。ベルトルトの生家であるエーレンフェスト家は代々、王家に仕える騎士を輩出している。必然的に、その領地は、敵国から最も近い場所となる。といっても、今のこの国はまだ、力が残っている。ベルトルトの父も、アリシアの父も、現王も健在なのだから。当然、王位継承についても、水面下で小競り合いが行われているのみ。そんな現状であればこそ、アリシアにも機会は残されている。アリシアは女であり、継承順位も下から数えた方が早い。王になるには、他の王位継承者たちを、何らかの形で蹴落とさなければならない。


(今はまだ必要ない、なんて。言い訳ばかりね、私)


遅すぎることはあれど、早すぎることはない。ましてアリシアは、今のままでは王になどなれはしない。手を回すのならば、今日から。そうでなければ逆に、淘汰されてしまうだろう。それでも、まだ余裕はある、などと。踏み切れないのは、人の命を背負えないから、なのだろう。


(悪魔を呼んでおいて、まだ、命を奪う覚悟が無いなんて)


そんなことは許されない。誰よりも、アリシア自身が許せない。どんな理由があれ、妹の命を1度、軽んじた。その結末が今なのだから、アリシアは踏み切らなければならない。馬車が動き出す。何度か訪れたことはあれど、生家と変わらない印象だった、エーレンフェスト家。


(私は、エミリーを元に戻すの。そのためには、覚悟を決めないとならないのに)


手が震える。私利私欲で、人の命を奪おうなどと。それはアリシアが、最も嫌っていること。それでも。この国で王になろうとするならば、泥をかぶることはきっと、避けられないだろうと。


(エミリー。何があっても、一緒にいてね……)


縋れるのは。頼れるのは。自らが傷付けた、何を考えているのかもわからない、妹のみ。けれど、恐怖だけは感じなかったから。アリシアはエミリーを抱いて、体の震えを抑えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る