婚姻の日(中編)

アリシアとベルトルトを乗せた馬車が、白い石造りの教会の前に止まる。ベルトルトが馬車から下りて、アリシアに手を差し出す。その手を取って、アリシアも馬車から下りた。どちらも何も言わず、並んで歩く。密やかに交わされる、噂話。作り話を、本当の事のように語る人々。


(本当に、飽きない方々だこと)


貴族としての権利ばかりを主張し、義務からは目を逸らしている。日々の安楽で豪奢な生活が、誰の犠牲の上で成り立っているのか。それすら、考えていない。


(……でも、そうね。私だって……)


アリシアが、今よりも幼かった頃。父に愛されたくて、義母に認められたくて。貴族らしくなろうと、努力を重ねていた。その時のアリシアは、貴族としての義務を考えたことなど、なかった。


(お義母かあ様のお家は没落して、家族と共に海に身投げされたと聞いたけれど。それだって、本当の事かどうか……)


義母は、子供が産めないことを、ずっと隠していた。自らと、その家のために。けれど、いつまでも隠し通せることでもない。父は、義母の必死の訴えも聞かず、彼女と別れた。父母の間に愛など無く、父は母の血筋が、母は父の財産が欲しかっただけだった。その日から、アリシアは両親に期待することを止めた。アリシアの少し前を歩くベルトルトの、足が止まる。彼に合わせて足を止めた瞬間。アリシアの目の前で、1本の矢が、壁に刺さった。周囲が、騒がしくなる。ベルトルトが、部下に指示を出している。


(この方は、本当に私を守ってくださるのね)


愛されることを諦めて、義務を果たそうとした。悪魔の力を借りてでも、この国は壊さなければならないと、そう思って。でも、何もせずとも愛される妹が、憎かったのも本当。そして。


(私、本当は……本当は、あの日に死ぬつもりだったのに)


悪魔に捧げたのは、妹の力だけではなかった。アリシアはあの日、1度命を捨てたのだ。結果的には生きているとしても、生きることを諦めた。その事実は、変わらない。そして、今も。殺されるならば、それでも良いと。


(……でも、エミリーも、ベルトルト様も……)


誰かに、守られる。そんな夢は、子供の頃に捨てた。そのはずだった。それが今になって、叶えられている。それを叶えたのは、他でもない、アリシアの妹。妹自身が行ったことだけではない。ベルトルトにアリシアの話をし、彼に良い印象を与えてくれていた。そこまでされるほど、アリシアは良い姉では無かったのに。


(エミリー。あなたの目には、何が見えていたの?)


最も欲しかったもの。手に入らないからと、諦めたもの。渡されたからには、返さなくてはならない。そのために。今は、死ぬことよりも大切なことがある。アリシアが決意すると同時に、事後処理は終わった。そうして、婚姻の儀は続けられる。神父が述べる、誓いの口上。そこに、永遠の愛という言葉は無い。あるのは、共に生きるという言葉のみ。その言葉に、アリシアは少し、笑ってしまった。


(ベルトルト様は、とても不器用な人なのね)


彼が愛するものは、自身の信仰と神だけなのだろう。故に、アリシアに永遠の愛を誓うことは、できなかった。


(別に、構わないけれど)


愛されることも、愛することもない。婚姻は、ただの手段だ。アリシアが、あの家から逃げるための。誓いの言葉を、口にする。形式的な婚姻が、終わる。ベルトルトが差し出す手を取って、アリシアは帰途についた。そうしながら、妹のことを想う。


(次は、きっと……)


全ては、自殺のための理由付けだった。許してほしい、などと。望むべきでは、ない。それでも、思ってしまう。優しいエミリー。彼女であればアリシアを許し、家族として愛してくれるのではと。


(私は、なんて愚かなことを……。期待なんて、するべきではないのに)


そう自嘲して。アリシアは、ベルトルトと共に、教会を後にした。帰りの馬車は、行きよりも遅いように感じる。今はただ、妹の顔を、見たかった。

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