妹を連れて、夜に歩く
朝も、昼も、夜も。アリシアは常に、妹を連れて歩く。メイドのことがあってから、妹はより、恐れられる存在となった。この邸にいる人間は誰も、妹と関わろうとしない。
「行きましょう、エミリー」
本来であれば、貴族の娘であるアリシアが、自ら食事を作ることなどない。けれど、今のこの邸において、信用できるのは自らと妹だけだ。夜毎に、妹を連れて、調理場に忍び込む。書庫に、調理に関する本があって、助かった。そうでなければ、アリシアは生きていけなかっただろう。食材の保管庫に続く扉を開けて、はしごを下りる。妹はアリシアの頭の上で、落ちないようにしがみついている。
「……寒いわ」
本で読んだことはある。けれど、実際にその場所の温度を体感するのは、これが初めてだ。
「エミリー、あなたは?」
妹が手を伸ばして、ゆっくりと左右に振る。それが、否定の仕草であるように思えて。
「……どうしてなのかしら。こうなってからの方が、姉らしいことができるなんて」
否。本当は、わかっている。負い目があるから、優しくなれるのだと。
「あなたは、戻りたい?」
なんて。なんて、愚かなことなのか。そんなことは、訊くべきではないのに。妹は、動かない。
「戻りたく、ないの?」
妹の手が伸びて、アリシアの手に重なる。
「…………あなた」
理解、してしまった。
「私次第だと、言うの」
それは妹の、ささやかな復讐なのだろうか。戻りたいとも、戻りたくないとも伝えない。それを選ぶのは、アリシアだと。アリシアは、震えそうになった体を、意志の力で抑えた。妹に、動揺していることを、悟られたくなかったから。
「そう。それなら、好きにさせてもらうわ」
美しく、華やかに。腹に何を抱えていようとも、変わらずに。アリシアは、ただ、微笑んだ。
「さあ。そうと決まれば、こんなところでいつまでも悩んでいられないわ」
保管庫の食材にまで、毒を盛ることはないと。そう考えたから、こんな夜中に、泥棒のような真似をしている。
「必要なのは、水と、パンと……」
とはいえ、こんなことが出来るのは1度だけだろう。見知らぬ者が保管庫に入っているとわかれば、警備も強化される。そして。
「見咎められれば、終わりですもの」
娘であることなど、この家では何の意味もない。アリシアが見逃されることはなく、1度問題を起こしてしまえば、目的は達成できなくなる。
「ベルトルト様に、感謝しなくてはなりませんわね」
婚姻の日として定められたのは、水の月の
「ねえ、エミリー。あなたは、ベルトルト様のことを、愛していたの?」
妹の手が、左右に振られる。
「そう。ありがとう」
その答えが、真実か、それともアリシアを気遣ったが故の虚偽なのか。どちらでも、構わない。
「あなたがそう言ってくれるなら、私は迷わずに進めるわ」
妹から婚約者を奪い、それから一月も経たない内に、婚姻の儀を執り行う。アリシアが生きるためには、もう、そうする他ない。それでも。妹が、ベルトルトを愛していたのなら。アリシアは、全てを諦めるつもりだった。けれど妹は、否定した。それは、アリシアが今、最も望んでいる答え。
(でも、あなたは、もしかしたら……)
アリシアを、取り返しのつかない破滅まで、誘おうとしているのかもしれない。妹には、意志がある。それが妹の意志なのか、そうでないのか。それすら、今はわからない。それを知るためには、王にならなければならない。────否。
(そうなっても、あなたが戻ってくるとは、限らない)
長く苦しい道。進んだとて、望みが叶う保証はない。本から得た知識と、曲がりなりにも貴族の娘として生きた16年の経験。アリシアが持っているのは、それだけだ。この道を、無事に歩めるわけもない。
「覚悟の上よ、そんなの」
最初から────そう、悪魔を呼んだ日から、ずっと。本当は死ぬはずだったのに、生きている。その理由を、考え続けている。
「……さあ、エミリー。帰り道は、さっきよりも大変よ? パンの籠、落とさないでね」
まだ、わからない。いつか、その理由がわかる日がくるのか。それすら、確信が持てない。それでもアリシアは、優雅に笑む。妹と共に行く先、それがたとえ、破滅に繋がっているとしても。
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