夜会(後編)
夜会とは貴族にとって、社交の場であり、己の財力を示す場でもある。そして、アリシアにとっては。
「ベルトルト様。お願いしたいことがあるのですけれど」
「自分に、出来ることであれば」
義母が決めた、曲が流れる。その音に隠れるように、とても小さな声で話す。
「3曲目は『巡礼者の
ベルトルトがアリシアにだけ見えるように、小さくうなずく。本来、その曲は踊るために作られたものではない。けれど、今この場でベルトルトと踊るのならば、その曲でなければならない。修道騎士として生きてきたベルトルトは、華やかな社交の場で踊った経験が少ない。一定のステップを繰り返すだけでよい輪舞曲。その中でも、アリシアが選んだ曲は、教会の教えを伝える曲とされている。
(……そろそろね)
2曲目の演奏が終わり、アリシアはベルトルトと共に、会場の中心へ向かっていく。
(私とベルトルト様が、この場で最も輝くように。そのための選曲ですもの、やり遂げなければね)
厳しい巡礼の道を歩む男。彼は神から下される試練に立ち向かい、やがて祝福を得る。それは、ベルトルトに最も相応しい役割だ。3曲目が終わり、会場が静まり返る。アリシアは汗を流すこともなく踊り終えて、その場で客人たちに向けてお辞儀をした。
「……どうなされたのかしら、音楽隊の皆さまは。次の曲を演奏してくださらないと。ほら、お集まりの皆さまもお困りよ?」
アリシアは笑みを崩さず、告げる。音楽隊が少し慌てた様子で次の曲を演奏し始める。けれど、客人たちは戸惑った様子で、その場から1歩も動かない。
「皆さまも、どうぞ。夜会はまだ、始まったばかりでしょう?」
そう促せば、ようやく彼らも動き出す。
(……私、こんなにも侮られていたのね)
決まり通りの進行。その中で、最も目立つように、練習してきたことを披露する。そうすれば、その場の主導権を握ることが出来る。義母が生きていた頃ならいざ知らず、今のアリシアには、けして不可能な事ではない。その程度のことで、これほどに驚かれる。
(そう。そうだったの)
怒る気にもなれない。静かに失望するアリシアに、使用人の内の1人が声をかけてきた。
「あ、あの、お疲れ様です……。その、アリシア様、よろしければ……」
その手には、乳白色の液体が入ったグラス。目を伏せて、差し出された。
「いらないわ」
アリシアは彼女に見向きもせず、断る。使用人の少女が泣きだす。ベルトルトは何も言わない。彼も気付いているのだろう。
(毒なんて、エミリーじゃないんだから、飲めるわけないでしょう)
目立つ者は早めに処分しようとする。それが、この国の貴族たちだ。エミリーならば、少女の手が震えていることにも気付かずに、受け取っただろう。
(あの時はさすがに止めようかとも、思ったけれど……)
妹は自らの仕草に気をつけることもなく(気をつけてくれれば止められる瞬間もあったというのに)、一息に飲み干した。後に呼ばれた医者が、何も問題はないと告げてから。アリシアは、何もかも馬鹿馬鹿しいと思ったものだった。
(まったく。そんなだから、化け物だなんて言われるのよ)
それ以来、アリシアは何も言わないことにした。妹に毒は効かず、アリシアは毒殺する価値もない。そう思わせられるなら、それはそれで良いかと考えて。
(でも、戦うと決めたのなら……)
こんなお粗末な策で、殺されるわけにはいかない。
(私は今度こそ、エミリーと話がしたいのだから)
王になる。そして、妹を人に戻す。可能かどうかはわからない。けれど、覚悟は決まった。その先にどれほどの苦難があるかなど、考える必要は無い。
(だって、私はそういう女だものね?)
我が儘で独善的な、典型的な貴族の娘。そう思われたままで良い。その方が、やりやすい。夜会の喧騒を冷ややかな目で見ながら、アリシアはそう思った。
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