夜会(前編)

夜会の日。アリシアは、朝から気が重かった。


(破棄した婚約を結びなおす、なんて)


内心に怒りはあれど、表には出さず、ベルトルトを待つ。やがて、来訪の鈴が鳴らされた。


「今晩は、ベルトルト様」


アリシアは笑顔で出迎えた。けれど彼は、いつも通りの無表情。騎士の家系の次男は、戦にしか興味がない。そう言われ続けた男は、こんな時でも表情を変えず、ただ佇む。


「今回の事……本当に、前代未聞の事ですのに。なぜ、お断りにならなかったのです?」


「神に誓った婚姻です。破棄されたとは、元より思っておりません」


淡々と言われて、アリシアは目を見開いた。


「でも、エミリーとも婚約されたのでは……?」


「あなたのお妹様ですので。生涯あなたと添い遂げるのならば、お妹様も側におられるでしょうから。いずれ、神の御許に赴いたときは、その曲解を謝罪するつもりです」


アリシアは息を呑んだ。この国で、貴族として生まれた身で、神の教えを守っているとは思わなかった。


「……ありがとうございます」


深々と、頭を下げる。


「私は、罪を犯しました。ただ、自らの欲のままに、エミリーを悪魔に捧げたのです」


ベルトルトは何も言わない。呆れているのだろうと思いながら顔を上げる。予想に反して、彼は真剣な眼差しをアリシアに向けていた。


「『罪を自覚せよ。自らの行いを省み、常に研鑽に努めよ』」


聖書の文言を唱えて、ベルトルトは手を差し出す。


「自分は、司祭ではなく修道騎士ですが。それでも、あなたであれば。神は、お許しになられると思います」


アリシアは差し出された手を見つめた。震える手を、ゆっくりと重ねる。


「……研鑽など、私は……」


「『姉さまは、私が知っている誰よりも努力を重ねる人なの』」


重厚な声音に似合わぬ言葉。常であれば、笑っていたかもしれない。けれど、笑えない。その言葉を誰がベルトルトに伝えたのか、わかってしまったから。


「……エミリーが、そんなことを……」


「はい。お妹様は、あなたを信じていらっしゃいました。誰よりも」


「馬鹿ね。私を信じるなんて」


動揺が声を震わせる。ベルトルトはそれに、気付いたのだろうか。アリシアにはわからない。彼の声音は、変わらなかったから。


「そうでしょうか。あなたは、この国でもっとも高潔な方です。貴族としての義務を、果たそうとしていらっしゃる」


「……それも、あの子が?」


「ええ。自分も、そう思います。……本当は、あなたにお仕えしたかったと」


「そんなこと、誰かに聞かれたらどうするの。それに、私は仕えられるような立場ではありません」


ベルトルトはアリシアの言葉に反論することはなかった。ただ、一言。


「王家の宝物庫には、解呪の杖が納められているそうですね」


そう言って、アリシアの手を引いて歩き出した。アリシアも、その後についていく。誰もその事実を話題にはしない。気付いていないのか、それとも。そんなはずは、ないと思っているのか。アリシアとて、その権利を使うつもりはない。そのはず、なのに。


(古代の英雄の、遺物……。まだ、人が魔と対峙していた、時代の……)


そういった物があると伝わってはいるものの、具体的な宝物については、神殿の書庫にある古書にしか記されていない。アリシアは入ることが出来ず、古書は持ち出すことが出来ない。けれど彼は、修道騎士だ。神殿の書庫に入ったことがあっても、不思議ではない。


(でも、王家の宝物庫なんて……)


手に入れるには、王となるしかない。


(……お母様)


アリシアの母が、唯一アリシアに残したもの。それは血筋だ。王位継承の順位は低い。けれどアリシアには紛れもない、王族の血が流れている。夜会会場への扉が、開かれる。誰にも認められず、誰にも愛されなかった。けれどそんなことで、その権利を行使しようとは思わなかった。


(エミリー、私、私……)


必要ないと思っていた。けれど今、己の罪と向き合って。妹の思いに触れて。もう1度、彼女と話をしたいと思った。夜会の幕が開く。この場所で戦おうと思ったことは、1度も無かった。けれど、此処こそが。アリシアが戦うべき、場所なのだ。

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