バッドエンドA  悔しいけれど、2人分の人生を生きる。

 その後避難先を4カ所、転々とした。

 独自のルートで避難してきてしまったせいで、同級生たちとは全く連絡が取れていなかった。

 そのうち4月になり、小学校に通う時期になった。何も持ってなかったから、全ての物は間に合わせだ。最終的に温泉宿に避難を受け入れてもらったので、近くの小学校に通うことになった。

 その学校の子は、特に差別されることもなく接してくれた。でも、何か寂しさを感じる。仲良かった友だちが誰もいない。


 通っていた小学校が会津のほうで再開したと聞いた。

 もとの友だちも何人かいるという。

 すぐにでも転校したかったが、手続きなどに時間がかかってしまった。


 久しぶりに友だちと再会できる。

 暗い出来事ばかりだったが、久々の嬉しい出来事になりそうだ。


 大輔くん、玲菜ちゃん。1ヶ月くらい顔を合わせていなかっただけだったが、もう何年振りかの再会のように感じる。

 場所は違うし、もとの震災前の生活とは程遠い、不自由の多い暮らし。でも、慣れ親しんだメンバーとともに学校生活が送れる、というだけでも嬉しいし、何よりの救いであった。


 でも、肝心なあの子がいない。

 千尋ちゃん。

 どこに行ったのか。


 ひょっとしたら、そう思うと、誰かに聞くのが怖かった。


 しかし、聞きたくない情報というのは、なぜか嫌でも耳に入ってくる。
















 千尋ちゃんは、津波にのまれて亡くなったそうだ。


 あの後、千尋ちゃんは家族とともに一旦自宅に帰ったが、家の2階で、家ごと流されたらしい。


 そして、さらに衝撃的な事実があった。

 死因は、餓死。

 溺死でも、圧死でもなく、餓死。


 そう、津波が引いたあとも、本当は生きていたのだ。

 本当ならば助かっていたはずだった。

 助かっていてもおかしくなかった人だった。

 けれど、原発が爆発したせいで、捜索活動の始まりが遅くなってしまった。結果として、助かったはずの命が失われてしまった。これは千尋ちゃんだけが例外なのではなく、福島県、それも避難区域内ではそういった事例が多くあったらしい。


 救助が早ければ助かっていたのに。

 運命というのは残酷だ。

 どうして千尋ちゃんは死ななければならなかったのか。

 千尋ちゃんではなく、僕が津波で死ねば良かったのに。

 どうして?

 なんで?

 悲しい。

 悔しい。

 悔やんでも悔やみきれない。

 ずっと一緒にいれる、そう思っていたのに。こんな簡単にお別れになってしまうなんて。

 僕はずっと、この重い十字架を背負って生きていかなければならないのだろうか。








 あれから11年。

 いまだに千尋ちゃんのことを忘れていない。

 悔しさや悲しさがまだ心にくっきりと残ったままだ。

 本当はずっと一緒にいるはずだったのに、たった1日で離れ離れになってしまった。

 しかも、二度と会えないくらい遠く離れたところに、千尋ちゃんは行ってしまった。

 もし想いを伝えられていたら、少しはマシだったかもしれない、と思う。

 もしあの時に戻れたなら、とも思う。

 11年の間、「千尋ちゃんがもし生きていたら」と何度も何度も考えた。

 でも、もう戻れない。

 僕は前へ進むことしかできない。

 むしろ、千尋ちゃんのために、僕は1日1日を生きていく。



 数年前から立ち入りは自由になり、お墓のある場所には特に制限なく入れるようになった。ここまで何年もかかったが、復興への小さな1歩にすぎない。

 今年も、千尋ちゃんのお墓に手を合わせる。

 3日後に渡すはずであった、クッキーをお供えして。

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