2011年3月11日
今日は11日金曜日。
この週末が明けると、いよいよホワイトデー当日。今日を含めてあと3日だ。
金曜日だから授業も五校時目で終わり。授業が終わって帰ったら、渡すためのクッキーを作る準備をする予定だ。だから、できれば早く帰りたい。てか、今すぐ帰りたい。
しかし、早く帰りたい日に限って授業が長引く。算数の計算問題はもう終えたのに、答え合わせは全員が終わるまでやってくれない。
2時45分、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
なのに先生は
「どうせ五校時目で終わりだから、授業5分延長するぞ~」
と言った。マジか。早く帰りたいのに5分も延長するのか。
面倒すぎる。
どうしてこういうときに限って…と思う。
「2分後に答え合わせするから、終わった人は待ってろ。」
2分間も時間が与えられてしまった。
暇すぎるから、頬杖をついて窓のほうを見た。
こういうときに窓際の席で本当に良かったと思う。寒いけれども、かかっていたいた雲も数分前から薄くなり、日差しが差し込みはじめていて、それが暖かい。
天気持つといいな。帰りは千尋ちゃんたちとどんなことを話して帰ろうか。
2時46分
突然、床が揺れた。
一瞬頭が真っ白になる。
先生が
「机の下に隠れろ!!」
と大声をあげ、僕はハッとして机の下に潜り込む。
一昨日の地震みたいに、すぐ揺れはおさまるはずだ。そう思い込んで心を落ち着かせようとした。
しかし、揺れは一向におさまらない。
むしろ、強くなっている。
揺れが強すぎる。
手で机にしがみついて、揺れをこらえるので精一杯だ。
みんなの机の上から消しゴムや鉛筆が落ちた。
窓ガラスも今にも割れそうな軋む音がしている。
揺れはまだ続く。
教室からは悲鳴に似た声も聞こえる。
千尋ちゃんは大丈夫だろうか?
そう気になった瞬間、また揺れが強くる。
机にしがみついているその手にギュッとさらに力を込める。
いつの間にか教室の電気は消えていた。
恐怖が止まらない。
こんなにおっかないと思うことは今まであっただろうか。
はやく収まってくれ、と心の中でただただ祈ることしか、心を落ち着かせられなかった。
揺れは少しずつ弱くなってくたが、まだ続く。そんな中、教務主任の先生が教室のドアから叫んできた。
「校庭に!避難!!」
その先生は走って隣の教室へ向かった。
ようやく2本足で立てるくらいになったようなので、机の下から出た。何も持たずにそのままの格好で、まだ小刻みに揺れが続く校舎を出て校庭に行く。もちろん、靴は上履きのままだ。
校庭でクラスごとに、来た順で整列する。
既に低学年の子たちは並んでいた。
普段なら背の順で並ぶが、そんな余裕はない。
誰かと話す余裕なんて僕には無かった。
しくしく泣く声も聞こえるし、こんな時なのにゲラゲラ笑う声もある。いろいろな声が混ざりあって、校庭はざわめいている。
千尋ちゃんはどこにいるのかな。ふと気になって周囲を見回してみる。
全員で校庭に出たから、いないはずはないのだが、どうしても気になってしまう。
いた。僕の列の一番後ろだ。玲菜ちゃんと喋っていた。
ひとつ安心したところで、周りの友だちと話そうと思ったが、他の子と喋っているので、なかなか割り込めない。そんな中、校庭のどこかから声が聞こえた。
「津波、来るのかな…」
揺れのことで精一杯だったが、「津波」という言葉にハッとした。
津波が、来る。
たぶん、来る。
いや、間違いなく来る。
経験したことの無い揺れ。しゃがみこんでも耐えられないほどの揺れ。
この後、もし津波が来るのであれば、見たこともない津波が来ると直感でそう思った。
海に近い我が家は危ない。
ひょっとしたら、この学校も危ないかもしれない。3階建ての校舎とはいえ、3階の教室から海がくっきり見えるほどだ。
避難訓練では山のほうへ避難したが、今回はどうなるだろうか。
避難するのだろうか。
もしそうならば、一刻でも早く山のほうへ避難しなければならない。先生の指示が早く出るのを待つしかない。
校門近くには、大人の方が数人入ってきていた。
その中には、友だちのお母さんがいた。
うちの親は来たのか。注視してみると、お母さんが入り口付近にいることが確認できた。
お母さんが来たことに安心した。家族は無事だったようだ。
2人ほど先生が校門近くに行って、保護者の方とお話をしている。
すると、教務主任の先生が拡声器で「えー、ゴホン」と声を上げた。
一瞬でざわめきが静まり返った。皆が先生の指示に耳を傾ける。
「今からだいたい5分後、先生たちの準備が整ったら、全員で避難するけれど、ご家族の方が来ている人は担任に報告の上、そのまま帰って良いぞ。ただし、校舎には絶対に戻らないこと!」
お母さんが来ていたので、僕は真っ先に担任の先生のもとへ向かう。
「お前の家は海に近いから、避難しろよ!」とだけ声を掛けられた。
校門に向かうとき、振り返ると千尋ちゃんと目が合った。
声を掛けたかったけれど、あまりにも遠すぎたし、戻ろうにも時間が無い。
さりげなく手をふった。
千尋ちゃんも手を振り返してくれた。
でも、それしかできなかった。
校門を出ると、既にお父さんの運転する車が停まってあった。
普段は会社員のお父さんだが、今日は「年休を消費する」と言って1日休みを取っていたのを思い出した。お父さんがたまたま休みで、良かった。
車のドアを開けると、家族全員が乗っていた。
「うし、高橋のおじさんのとこさ行くぞ」
高橋のおじさんは、僕のおばあちゃんの実家。つまり大叔父さんの家、なのかな?
よくお世話になっているし、「津波が来るときはうちに避難していいよ」と昔から言われていたので、今回も行くそうだ。
本当は津波が来るときに車で避難するのは良くないのだが、大津波警報が出てすぐだったので、車の量はまだ多くない。
しかし、道中の景色は壮絶なものだった。
ある家は、外壁がはがれ落ちていた。
ある家は、屋根の瓦がたくさん落っこちていた。
ある家は、ブロック塀が崩れて落ち、破片が道路にも散乱していた。
耐震補強工事が済んだばっかりの小学校にいたから、揺れの大きさは体感だけだったが、こうして目にすると、どれだけ強い揺れが起きていたかが、小学生の僕でもなんとなくわかる。
隣でおばあちゃんが「あらら…」と声を漏らしているまま、家族を乗せた車は山のほうへ向かっていく。
高橋のおじさんの家は特に壊れていなかったが、家に入るところの塀には、ところどころひびが入っていた。でも、おじさんの家族も全員無事だったようだ。
テレビはつかない。停電していた。
床にはものがあちらこちらに散らかっている。
雪が降ってきた。電気の要らないストーブを物置小屋からおじさんが引っ張り出してくれた。プロパンガスのコンロは使える状態になっていたので、ご飯は炊けるらしい。
余震が続く中、ご飯を食べる。ろうそくの灯りを頼りにして夜を迎えた。情報源は乾電池式のラジオである。
こうして寝るフェーズになると、張りつめていた糸が急に緩むように、一気に疲れが出てきた。敷いた布団に入ると、揺れがまた襲ってくる。いい加減にしてほしい。
12日。
無事に朝を迎えた。缶詰や味噌とともに、鍋で炊いたご飯を食べる。
ラジオから沿岸部にはとてつもない津波が襲ったことや、原子力発電所がちょっと危ないこと、電気や水道、都市ガスがあちこちで止まったままであることなど、これが現実とは思えない内容ばかりだった。
とんでもない地震や津波の結果、家がどうなっているかは分からないし、着の身着のまま避難していたけれど、津波警報が解除されて、電気や水道が復旧すれば、家に帰れる。そう思っていた。
その幻想をぶち壊したのはラジオからの衝撃のニュースだった。
「福島の原発で水素爆発が起きました」
何がなんだか分からなかった。
原発って、この前見学で行ったあの原発だよな…?
それからまもなく、「原発から半径20km以内の方は避難」との情報が出た。
どこまでか分からないが、おじさんの家は絶対に含まれている。
ここからまた遠くへ避難しなければならなくなってしまった。
荷物をまとめ、お父さんの運転する車に乗り込む。
いつになったら、もとの家に帰れるのか。もう考えたくもなくなった。
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