14 正義のスルタン/ボン・ジェネラル


 こうして俺は、フェリポーとして、シドニー・スミスとエミグレの仲間と合流を果たした。

 荒唐無稽な転生を信じてくれ、アビシニアの少年の姿になってしまった俺を迎え入れてくれた彼らには、感謝しかない。

 これでまた、俺は王の為に戦える。祖国をブルボン家の元に取り戻すのだ。



 「おおい、フェリポー! 右の帆が弛んでる!」

下からシドニーが叫ぶ。


 少年になってしまって、けれど、悪いことばかりじゃない。すごく身が軽くなった。するすると俺は綱を上り、帆を調整する。フェリポーの最期の数年間は、かつての牢獄暮らしのせいで健康状態が最悪だったが、バキルとしてのこの体には生気が満ち満ちている。転生できて、むしろ良かったのではないか。


 「君は、上エジプトでドゼの元にいたと言っていたな」

 綱を伝い、甲板に降り立つと、シドニーが尋ねた。尋ねるというより、確認すると言った風だ。


「うん。あいつは、貴族のくせに革命軍に居残った。王に対する裏切り者だ。殺してしまおうと思ったんだが、機会がなくて」


 眠っている彼の前で、ナイフを振り下ろせなかったことについては、内緒にすることにした。

 臆病者だと思われたくない。


「ドゼ将軍?」

大砲を点検していたトロムリャンが寄って来た。

「ドイツで良き将軍と言われた、あの人ですか?」


「なんだ、トロムリャン。彼を知っているのか?」


 意外だった。彼はフランス国内で活動していた筈だ。なぜ東の国境ライン河畔に駐屯していたドゼを知っているのか。


「有名ですよ。両頬を銃弾が貫通したのに、医者が止めるのも聞かず、夜通し指揮を執っていたとか。声が出せないから、身振り手振りで指令を出していたそうです」

「だから、あんなひどい傷が残ったのか……」

両頬の引き攣れたような傷を、俺は思い出した。


「ディアースハイム(ライン河流域)では太ももを狙撃されたんです。上官を撃たれ、怒ったフランス兵達が撃った狙撃手を殺そうとしたら……」


 ……「殺すな! そいつは俺の捕虜だ!」

 この一言で敵のオーストリア兵は死を免れたという。


「彼は、絶対に略奪をしませんでした。部下にも略奪を許しませんでした。逆に、彼が見守っていたおかげで、住民は、家や財産を失わずに済んだ。それで彼は、敗戦国の人々から“良きボン将軍ジェネラル”と呼ばれていたのです」


「君は良く知っているな、トロムリャン」

 シドニーが感心したように首を振っている。


「僕の仲間が、彼に救われたことがあるんです」

「君の仲間? エミグレか?」

思わず俺は問い質した。


「王党派の貴族です。国内の迫害に耐えかねて亡命しようとした彼は、国境で革命軍に捕まってしまいました。その彼にドゼはフランス国内の情報を伝え、この者には革命政府に逆らう意志はないという身元保証書を発行して逃がしたそうです」

「へえ。そんなことが」


 上エジプトでの、あのみすぼらしいなりのドゼを、俺は思い出した。全体的にくすんでいて、目立たないこと夥しい。


「上エジプト遠征も評判です。フェリポー大佐は、ドゼ将軍と一緒だったんですね。是非一度、彼と会ってみたいものです」


「会えるぞ」

あっさりとシドニーが言った。

「えっ?」

「間もなく彼は、このティグル号に乗船する。新司令官クレベールの全権大使として」

「おい、シドニー。それはどういう……?」


 寝耳に水の話だった。

 ドゼが来る? シドニーの船に?


新司令官クレベールは、エジプトからの撤退を望んでいるのは知っているか?」

 無言で俺達は頷いた。


 ……「ボナパルトの奴、クソでいっぱいのズボンを俺達に押し付けやがって!」


 ナポレオンの帰国、さらに自分が後任の総司令官に指名されたことを知ったクレベールは、激怒したという。

 軍人にとって、許可なく戦線離脱することは重罪だ。クレベールは一刻も早く帰国し、エジプトを離れたボナパルトを糾弾したいと望んでいる。


「フランス軍が帰国するには、トルコの大宰相グラン・ビジエとの話し合いが必要だ。両者の橋渡しを俺が務めることになった」

「橋渡しって……シドニー。君はフランスの敵ではないのか?」


「まあな。だか、上から狙撃されても目の前で仲間が撃ち落されても、諦めずに外壁をよじ登ってきたフランス兵らの勇気は、賞賛に値する。俺は彼らに、名誉ある撤退をしてほしいと願っている」

「名誉ある撤退?」

「今のフランス軍は、本国からの補給が途絶えた状態だ。いずれ物資の不足から敗北に追い込まれるだろう。そうなる前に、トルコから引き上げて欲しいのだ」


それから彼は付け加えた。

「フランス側の全権大使と話し合い、彼らをエル=アリシュの大宰相グラン・ビジエのテントへ連れて行くつもりだ」


「ドゼが来るのか、この船に」

 俺を家族だとまで言い切った彼を、俺は裏切り、シドニーの元へ走った……。


「会いたくないのか?」

「いや、」


 会いたいのか会いたくないのか。

 それは自分自身にもわからなかった。ただ、あの温厚な男が怒った顔は見たくないと思った。







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