4 天使のような少年と縫い合わされた少女
ヒトコブラクダは、こぶのてっぺんに乗る。結構高い位置だ。小さな敷物を敷いて乗るのだが、すぐにずれ、尻が痛くなる。その上、腹筋の力が必要だ。揺れも激しい。
けれど、膝をついて乗せてくれようとするラクダを見ると、頑張って乗りこなそうと思う。
イスマイルは、俺に親切だった。笑いながら背の低い俺の尻を押し上げ、ラクダに乗せてくれたりする。
イスマイルはマムルークだが、戦闘の後、仲間に置き去りにされていたのを、フランス軍に保護されたという。
「ドゼ将軍は、かっこいいんだぜ」
イスマイルもまた、彼に惚れこんでいた。
黒い瞳を輝かせ、イスマイルは自分が保護された戦いについて語ってくれた。
それは、フランス軍がアシュート(※1)から4日ほどの砂漠を行軍中のことだった。
彼らは、ムラド・ベイ率いるマムルークと遭遇した。
この中には、イスマイルもいた。彼は、後に親しくなったフランス将校から聞いた話を元に、戦闘の様子を再現してみせた。
「フランス軍は、高台に布陣するはずだった。けれど騎兵隊が出遅れてしまったんだ。騎兵隊長は、歩兵隊が来るまで待つように命じられていたけど、俺達マムルーク軍はすぐそばまで来ていた。フランスの騎兵隊長は待てなかった。遮二無二突撃をしかけたところへ歩兵隊が到着したんだ。戦場は大混乱になった」
俺は息を詰めて、イスマイルの話に聞き入っていた。砲兵だった
「そこへドゼ将軍がやってきたんだ。彼はいつだって、少数精鋭を率いて、その先頭で馬を走らせている」
雄叫びを上げ、ドゼが、乱闘の只中へ突っ込んできた。黒髪をなびかせ、解けたスカーフが、首筋で翻っている。
「戦場で、ドゼ将軍の姿はとても大きく見えた。馬に跨り軍の先頭を走る彼は、軍神のようだった」
マムルークの首領、ムラド・ベイは、すぐに負けを悟った。馬首を巡らせ、丘の反対側へ駆け下りていく。最も勇敢な親衛隊がその後に続いた。
逃げていくマムルークを、ダヴー准将が追いかけようとした。彼は、粘り強い追撃に定評がある。
そこへ、雪崩のように、両者の間に入り込んできた者たちがいた。
フランス軍との間に農民の楯を置き、マムルーク軍は、砂漠の彼方に消えていった。
まだ大人の胸の辺りまでしか身長がない(それでも俺より背が高かったが)イスマイルは、仲間に置いて行かれてしまった。彼は、マムルークの残党として処刑されることを覚悟した。
「哀れな奴だ」
砂漠で呆然としていたイスマイルに、頬に傷のある男が近づいてきた。
「ちゃんとした教育を受けられなかったばかりに誤った道を歩み、やがて破滅する。そんな運命から逃れたくはないか?」
全財産を持って砂漠を移動するマムルークの生活は、決して楽ではなかった。イスマイルはおとなしい性格だった。砂漠の村々を襲って物資を強奪する大人達は、恐ろしいものとして彼の目に映った。
そんな彼を性的な対象として扱おうとする輩も、ちらほら出始めていた。
逃れたい、と、イスマイルは千切れるほどに首を縦に振った。
両頬の傷が深く引き攣れ、相手は破顔した。
「なら、俺の家族になれ」
ドゼは言った。
俺やイスマイルの他に、ドゼの軍には、たくさんの若者や子どもたちが集められていた。俺のような売られた子ども、捨てられた子どもの他、イスマイルのような若いマムルークの捕虜や、反抗的で集落にいられない青年もいた。
ラクダの教練の他に、俺達は、フランスの教育を受けさせられた。
中でも特に有能な奴は、軍人ではなく、管理官としての勉強を続けている。天使のようなイスマイルはこの中にいた。彼は特に優秀だった。
……つまり?
ドゼの「ハーレム」とは、いったい何だろうと、俺は考えずにはいられなかった。
少女達には手を出さずに身の回りの世話だけをさせ、少年たちには軍務や政務を扱えるよう教育をする。あたかも彼らを一人前に育て上げようとするかのように。
まるで家族のようだと思った。
そういえば彼は、軍は家族のようなものだと言っていたが……。
訓練を終え、川べりで体を洗っていると、ハーレムの女の子、ファティマがやって来た。
「あら、バキル。イスマイルは?」
「彼は居残り勉強さ」
本当は優秀だから追加の学習をさせられているわけだが。
ファティマは川岸に腰を下ろし、髪を解き始めた。
艶のある長い黒髪に、どきりとする。
この美少女を、ドゼの奴……ううう、ドゼの奴!
沐浴するのだろうか。早く立ち去らなければならないと思いつつ、その美しい肢体から目が離せない。
ちらりとファティマが俺を見た。
「あなたは子どもだから言ってなかったけど、私はできないの」
咄嗟に意味がつかめなかった。
「できない?」
「特別な予防策の為に、両親によって、わたしのその部分は、縫い合わされているの」
「???」
バキルではなく、フェリポーとして、その意味に思い至った。
なんてことだ。
娘の純潔を保つために、親は、娘の外性器を縫い合わせてしまったのだ。
これが虐待以外の何であろう。
「ハーレムの女の子たちはみんな、複雑な境遇だわ」
射すくめるように、ファティマは俺を見据えた。
「アスティザとサラには、前のご主人がいた。奴隷を囲う余裕がなくなって、彼女たちを手放した。私達の運命は、私達を買った人次第だわ。残酷な人に買われたら、もうそれで終わりよ。だから、ご主人様が引き取ったの。マラは幼な過ぎて……」
結局、男の子達と同じだ。
口減らしや奴隷商の手から救う為、あるいは、捕虜や持て余し者など居場所のない若者たちを、ドゼは引き受けている。
違うのは、男の子達は軍務や政務などの教育を施しているが、女の子には身の回りの細かい世話をさせている点だけだ。後者は若干、役得のような気がするが。
「本当は言いたくなかったの」
ファティマが立ち上がった。
「でも、ご主人様のことで、いやな考えを持ってほしくなかったの」
水浴びをせず、彼女は立ち去っていった。
それで俺は、彼女が俺と話す為に、川べりまで下りて来たことを悟った。
ドゼに対して、俺が抱いた誤解を解くために、彼女はわざわざ俺の所までやってきたのだ。
ドゼを殺すのは、もうしばらく待とうと思った。
フェリポーだった俺は、イギリス海軍と共にトルコ軍に加勢し、ボナパルト軍と対峙していた。上エジプトでドゼの軍がどう戦い、その後、どういう統治をしてきたか、まるで知らない。そのことに、今更ながら気がついた。
ドゼが上エジプトで何をしているのか知りたいと思った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※1 アシュート
オアシスの村。後にドゼはここに本拠地を置く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます