2 転生
瞼を突きさす光が眩しい。太陽の質が違うようだ。ここは……。
はっと俺は目を開けた。
……要塞は!?
最初に思ったのはそれだった。フランス軍の猛攻を受けて、アッコの要塞はどうなったのか。シドニー・スミスや仲間の
……ここは、ティグル号の中なのか?
過労に倒れた俺は、シドニー・スミス自らの手でティグル号に運び込まれた……。
「バキル! 気がついたのね、良かった!」
褐色の肌の色の少女が覗き込んでいた。
「君は誰?」
「やあねえ。頭を打って忘れちゃったの? 私よ。サラよ」
「さら?」
次の瞬間、凄い勢いで、記憶が立ち上がった。
バキルというアビシニア人(エチオピア北部の民族)としての記憶だ。
「僕は、ラクダから落ちて……?」
「そうよ、良かった。思い出したのね!」
8歳で親に売られたバキルは、奴隷商に連れられ、ここ上エジプトにやってきた。そして、頬に傷のあるフランス将校に買われ……。
「ドゼ将軍は?」
「心配してたわよ、あんたのこと」
15歳の少女は、ひどく大人びた顔をした。
そうだ。ここは、彼のハーレムだ。
……くそう。堕落した革命軍の将校がっ!
バキルは下働きの少年だ。幼いので、女の子のいるハーレムで暮らしている。
ある日、どういうわけか、軍の司令官であるドゼ将軍から、ラクダに乗ってみないかと誘われた。
駐屯地にいるラクダは、ヒトコブラクダだ。ゆらゆらと歩くそのさまは吞気そうで、バキルはかねがね乗ってみたいと思っていた。大喜びで背中によじ登ったところ、いきなり振り落とされて……。
ドゼという名に、聞き覚えがあった。
ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼ。
ライン方面軍の師団長だった男だ。
フェリポーだった俺もまた、この辺りで活動していた。ドイツ方面に亡命したコンデ将軍の亡命貴族軍に所属し、まさにこのライン方面軍と戦っていたのだ。
フェリポーであった俺と同じく、ドゼも貴族だ。彼の兄と弟を含む親族が、コンデ軍にいた。
……それなのに王を裏切り、革命軍の将校になるとは!
ドゼがボナパルトのエジプト遠征に同行してきたことは知っていた。上陸後早々に、ドゼの軍は、本隊と別れ、上エジプト遠征に出掛けた。エンババの戦い(ボナパルト曰く、ピラミッドの戦い)の後、砂漠へ消えたムラド・ベイ(※1)追討を命じられたのだ。
ムラド・ベイを完全に討ち取ることはできていない。彼はシリアに渡り、トルコ軍の一派としてフランス軍に戦いを挑んでいる。
そういう意味で、ドゼの遠征は完全な勝利とは言えない。
しかし、アレクサンドル大王も到達したというテーベ遺跡への到達及び、デンデラ横道帯など遺物の発見は、高く評価されている。ボナパルトのエジプト遠征で、唯一、成功したのは、ドゼの軍だ。
……ちょっと待て。つまり俺、フェリポーは、同じ時間軸、同じ場所にいるわけか?
エジプトもシリアもそう遠くはない。
……バキルというアビシニアの少年になって。
「俺は死んだのか?」
つぶやくと、少女は爆笑した。
「生きてるじゃない」
「死んだのは、バキルの方なんだな」
さらに続けると気味悪そうな顔になった。
「何言ってんの? やっぱり打ち所が悪かったのね?」
「いや、何でもない」
力いっぱい顔を歪め、俺は笑顔を作った。フェリポーとして笑い慣れていなかったので、努力が必要だった。
この状況は使える、と冷静に俺は判断した。バキルでいる方が、フェリポーであることを告白するより有利だ。
……とりあえず、ドゼを殺そう。
大きな目の美少女にぎこちない笑みを向けつつ、決意した。
エジプト遠征を正当化するような男、しかも王を裏切った貴族出身の革命軍将校には、早々に死んでもらうに限る。
……その後はボナパルトだ。
なんとかして、ティグル号のシドニー・スミスと連絡を取りたいと思った。転生というこの状況を、彼が理解してくれるかどうかは、全く自信がなかったが。
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※1 ベイ
慣習的にトルコ宮廷から支配を認められたマムルーク族の長。「マムルーク」は武装奴隷の子孫で、砂漠を移動しつつ村々から税を吸い上げている
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