4
「――――!?」
唐突に背後に人の気配を感じて、友香は咄嗟に飛び退いた。
しかし、振り向いた先には誰もいない。
「……?」
ぞわりと怖気が走る。ほんの一瞬だったが、間違いなく人がいた――はずだ。それも、友香の真後ろに。
「――」
周囲を見渡しても、どこにも人の姿はない。だが、それでも。誰かに見られている。観察されている。そんな感覚だけが皮膚の上をちろちろと這い回る。
「…………」
友香は慎重に辺りに視線を配ると、たっと一気にかけ出した。助走を付け、隣のビルの屋上へと飛び降りる。そのまま、いくつかのビルを経由してから、今度は壁を蹴って地上を目指す。その間に、口の中で小さく呪を唱える。先程も使った、自分の存在を感知しにくくする術だ。しかし、先程のそれよりも一段効力を強くした呪を重ねて唱えても、誰かに見られているという感覚は体中にまとわりついて離れない。
――着いてきてる
容易には追えないようにルートを選んでいるはずなのに。気味の悪い感覚が、ずっと背中を追ってくる。
地上に出たところで、友香はさっと人混みに身体を滑り込ませた。特に人通りの多いところを選び、気配を殺して歩き出す。けれど、安心はできない。
――あの時、気づかされた……
最初に気配を感じたあの瞬間を思い返す。あれは、友香が相手の気配に気づいたのではない。そうではなく、おそらくは敢えて気づくように気配を発散させたのだ――友香が、先程の青年を誘き寄せたのと同じように。
今もそうだ。人混みに紛れ込んでもなお、どこかから見られているという感覚は消えることがない。これもまた、敢えて友香にその存在を感知させているのだろう。そう考えなければ説明がつかないほど、相手の気配は常に一定の強さで友香につきまとっている。
「……」
何とかして相手を撒いてしまいたい。けれど、下手に司令部に戻るゲートを開けば、正体の知れない敵を身内に呼び込んでしまう恐れがある。
友香はそっと鞄の中に手を伸ばした。指先が携帯電話に触れる。手探りで小さなボタンを見つけると、彼女はそれを一定のリズムで数回押した。司令部につながる緊急信号だ。これで、応援を呼ぶことはできるはず。あとは、何とか相手の目の届かないところに移動したい。
――やっぱり、屋内に入るしかないか
さっき、自分が青年の術を解呪した時と同じだ。これだけずっと視線がつきまとうのは、相手が視界の遮られない場所にいるからに違いない。友香はそっと上方を盗み見る。それらしき人影は見当たらない。遠く上空に、ほんの一瞬だけ大きな鳥のような影が見えた――気がしただけだ。
視線を前方に流す。大通りに沿っていくつもの商業施設が並んでいる。その中から、友香は逃げ込むのに適した店を吟味する。飲食店はだめだ、奥行きが限られている。同じく、服飾店も。相手の視界から外れ、なおかつ容易には追いつかれない様な場所。狙うべきは大型の複合型店舗だ。
前方に、デパートの看板を見つけ、友香は息を吐いた。その隣にも、別の大型店が並んでいる。おそらく相手は、友香があのどちらかに逃げ込むことまで読んでいる筈だ。けれど、地の利は友香にある。
――まだ。もう少し引きつけてから
デパートの入り口が迫る。いかにもそこに入る素振りを見せながら通り過ぎ、隣接する商業施設の入口――その手前にぽっかりと空いた小さな階段へと身を飛び込ませた。
ちょうど地下鉄が発車したところなのだろう。階段の下方からは沢山の人々が上がってくる。その間をするすると抜け、友香は走った。地下道に入り、奥へと向かう。先程とは別のデパートの地下入口がその先にある事を、友香は知っていた。
身体にまとわりついていた気配は予想通り断ち切れたが、得体の知れない相手に油断をするつもりはない。地下道などという狭い空間で対敵することだけは避けねばならない。周囲に気を配りながら、友香は目標のデパートに駆け込むと、そのまま階段を使ってフロアを駆け上がり、人の出入りの多い地上階を抜けたところで足を止めた。
「は………………っ」
バックヤードに続く通路の手前、客の視界を遮る様に作られた柱の裏に隠れて呼吸を整える。店内のざわめきを聞きながら、辺りの気配を探った。今のところ、おかしな気配は感じられない。
――今なら……
ゲートを開いても大丈夫だろうか。そう思いつつも逡巡するのは、先だっての「気づかされた」感覚が、あまりにも強烈だったからだ。他人よりも気配を察知する能力に長けている筈の自分に、気配を微塵も感じさせずに近づくことができるだけでなく、察知させる気配の強さまで自在に調整できる存在。今も、感じられないだけで、見られているのではないかという疑念がどうしても脳裏を過る。
不意に、店内のBGMが切り替わった。音楽と共に、閉店を知らせるアナウンスが鳴り始める。
「ああもう……!」
思わず小さく毒ついてしまう。何というタイミングの悪さだろう。今はまだ、外に出ることはおろか、地下道に戻るのも避けたいところなのに。
とりあえず、人目につかない所に隠れてやり過ごそうと、友香はそっと辺りを窺う。人目がないことを確認すると、再び階段を上り始めた。数階分を駆け上がると、そっと売り場を覗く。スポーツ用品売り場だろうか。客の引けたフロアで、従業員が片付けを始めている。今はフロアには出ない方が良さそうだと、大理石の壁に張り付くようにして身を隠した、その時。
カツン――と靴音が響いた。
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