3

 ゲートをくぐって出た先の公園に、見たところ異常はなさそうだった。人目を避けつつ、友香は肩にかけた鞄から反動の計測器を取り出す。計器の針がわずかに動くのを確かめながら、反応が強まる方へと友香は歩き出した。

「うわぁー……」

 公園からほど近い大通りに出た途端、思わず声が出た。辺り一面、目の焦点のずれた人間たちがふらふらと歩き回っている。この全てが操られているとなると、なるほどやっかいだ。

「ゾンビじゃあるまいし」

 人界演習をしていた候補生の頃は、人界の文化を学ぶためと称して、自由時間や休日に仲間たちとテレビを観たり映画館に行ったりしたものだ。その時に観たホラー映画を思い出し、友香は眉を寄せる。

「まあでも、朗報かな」

 おそらく睦月を襲った「闇の者」は、睦月が既に「ランブル」に逃げたことにはまだ気づいていないようだ。どこかに隠れているのではと探しているからこそ、これだけの人数に術をかけ続けているのだろうから。ならば、計器の針が大きく動く方へ行けば、首謀者が見つかる筈だ。

「そのまえに、と」

 建物の影に隠れて、小さく呪を唱える。これだけの人数に影響を及ぼしているということは、おそらく相手が使っている術式は、特定の範囲内に効果を及ぼすものなのだろう。万が一にも術に掛かってしまっては元も子もないし、操られた人々とは異なる動きをする友香の存在に気づかれたくはない。こちらの存在を感知しにくくした上で、他者の術の干渉を妨げる術式を身に纏う。

「じゃあ行きますか」

 素知らぬ顔をして雑踏に滑り込む。見たところ、ゾンビ――もとい、操られた人々の動きに一定の方向性はない。おそらく、睦月を見つけるために四方八方に動かしているのだろう。ならば、敵は全体の流れが見えやすい位置にいるはず。

「上ね」

 この辺りには高い建物が多い。そのどこかに潜んでいるのだろう。どこまで術の範囲を広げられるのかは知らないが、範囲を広げ、操る対象が増えれば、それだけ負担が掛かるはず。

「どうやってあぶり出そうかしら……」

 小さく呟いて、友香はちらりと周囲を見渡した。10階程度の高さの商業ビルがいくつも並んでいる。その中から上りやすそうなビルを見繕い、友香は非常階段を上り始める。所々、手すりを飛び越えてショートカットしながら屋上へと辿り着くと、身に纏った術のひとつを解除した。

 それから眼下を見下ろして、呪を紡ぐ。草木が根を伸ばすように、術がするすると地上へと伸び広がるのを感じながら、できるだけ広範囲に効果が行き渡るようにする。

「――浄化せよ」

 その言葉に反応して、術がぱあっと光を放つ。ほんの一瞬だが、その光に触れたところから、人の動きが変化する。ほんの一瞬立ち止まり、それからわずかに戸惑う雰囲気を残しつつ、ゆっくりとそれぞれの向かう方向へと明確な意志を持って動き出す。

 どこかで、薄氷が割れるような音が、パリィン……と鳴った。

「うん。解呪完了、かな」

 呟いた瞬間、頭上から降ってきた猛烈な怒りの波動を、友香は驚くこともなく受け止めた。

「てめえ何してくれてんだ!」

 声と共に、男が降ってくる。それを最小限の動きでひらりと交わし、友香は首を傾げた。攻撃と同時に叫ぶなど、予告しているようなものだ。それだけで相手が素人だと分かる。

「何って、解呪」

 首を傾げる友香に、着地した男が唸った。

「余計なことすんな!」

 そう言ったかと思えば、男は友香に向かって突進する。

「……」

 勢いはあるが、それだけだ。友香の見た目から、力押しで行けると判断したのかもしれないが、それにしても真正面から突っ込んでくるとは芸がないにも程がある。友香は軽くステップを踏んで、相手の攻撃を避ける。そのまま、振りかぶってきた拳を手でいなし、相手の勢いを借りて投げ飛ばした。

「…………ッ、なっ!?」

 自分よりも小柄な友香に投げられたことが意外だったのだろう。驚愕に満ちた表情を浮かべ、男が身を起こした。まだ若い。青年期に入ったばかりといったところだろうか。言動を見るに、どうやら少々、いやかなり短慮というか熱しやすい方らしい。

「……どうして戦闘訓練してない子どもを送ってくるのかしら」

 リンもそうだったが、戦闘慣れしていない若者を送り込んだところで「ランブル」の敵ではない。話を聞く限り、戦闘訓練を積んだ者がいないわけでもないようなのに、なぜ素人のような若者を前線に送ってくるのだろう。

「はあ?」

 子ども扱いされたのが気に入らなかったのか、青年が剣呑な声を出す。それには構わず、友香は溜息を吐いた。

「あなたも嵯峨に弱みを握られてるの? それとも心酔してるタイプ?」

「はあ? サガ? 誰だそれ」

 しかし、訝しげな青年の返答に友香は小さく目を瞠った。

「嵯峨に送られてきたんじゃないの?」

「知らねえよ」

「じゃあ、どうしてあんなに人を操って、睦月を襲ったの?」

「は? 誰だって?」

 眉を寄せ、男はぶっきらぼうに問い返す。律儀にいちいち返答する辺りも、いかにも素人だ。こちらが隙を伺っているだとか、情報収集されているなどとは微塵も考えないのだろう。ましてや、上で、彼の術を解呪したことなど。

「さっき、人界人を襲ったでしょう?」

「ああ、あいつ」

 得心がいった様子で、青年が頷く。

「頼まれたんだ。捕まえたら小遣いくれるって言うからさ」

「誰に?」

 訊ねながら、友香は内心苦笑する。素直に答えてくれるのはありがたいが、こんなに口が軽くて良いのだろうかと若干心配にすらなってくる。

「知らない男だよ」

「……」

 男と聞いて、友香の眉間に皺が寄った。

「もしかして、紫月って名前の? サングラスをした」

 最近しばしば遭遇する敵の名を挙げるが、青年は訝しげに首を傾げただけだった。

「いや? 何かスーツ着たおっさんだったけど」

「……?」

 推測がことごとく当たらない。聞き覚えのない人物像だ。また新たな人材が投入されたのだろうか。

「まあいいや、とにかく! 俺はあいつを捕まえないといけないんだから、邪魔すんな!」

 ようやく本来の目的を思い出したらしい青年が、友香に指を突きつける。宣言するよりも先に攻撃を仕掛ければ良いものを、もはやいっそ微笑ましいとさえ思う自分は、戦闘に慣れすぎているのだろう。ゴリラ呼ばわりされるのもむべなるかな、と友香は内心で苦笑した。

 だが、それはそれ、これはこれ。友香はほんの一瞬目を眇めると、地を蹴った。ほぼひと飛びで、青年の目前に一気に迫る。

「!?」

「はい、おとなしくしてね」

 予備動作のない唐突な動きに対応できずに固まっている隙に、友香は新たな呪を紡ぎ、相手を拘束した。

「なぁ!?」

 男はジタバタともがくものの、そう簡単に外れるようなやわな術ではない。

「はいはい、静かに」

 声をかけながら、携帯電話を取り出す。司令部に繋ぐと、すぐにアレクが出た。

「捕まえたわよ。今から監察に送ります」

 友香の言葉に、後ろで「監察!?」と頓狂な声が上がったが、気にしない。通話を切るや、次は監察部に通信を繋ぐ。

「――はい、それじゃ送りますね」

 必要な情報を伝えると、友香は転送用のゲートを開いた。監察への転送ゲートはセキュリティを厳しくするために特殊な術式で組まれているらしい。そのせいだろうか、開いた空間の穴が普通のゲートよりも少しおどろおどろしい。

「か、監察……まさか『ランブル』」

「今更? ほかにないでしょうに」

 苦笑しつつ、拘束したままの青年をゲートの方へと誘導する。相手はジタバタと抵抗するが、その程度で逃げられるようなら公安部の長官など務まらない。

「はい、行ってらっしゃい。細かいことは向こうで話してね」

 最後にトン、と背中を押すと、友香は男の恨み言は最後まで聞かず、ゲートを閉じる。同時に、電話の向こうから「到着」の報告が聞こえてくる。

「後はよろしく」

 ひと言そう応じて、通話を終える。携帯電話を鞄にしまった、その瞬間だった。

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