「あら、起きた?」

 ぱたぱたとコートに付いた雪を払いながら、友香はつま先立って少年を覗き込む。

「そりゃ、あれだけ揺らされればな」

 苦笑するアレクの背でうっすらと目を開いた少年は、状況が掴めていない様子できょとんと友香を眺めた。じっと彼女を見ている内に、はっと目を開いて辺りを見回す。

「…………! 暁は?」

「大丈夫だ。元気になるまで、しばらくは会えないけどな」

 彬を背負ったまま歩き出しながら、アレクが告げた。

「ほんとに?」

「本当よ」

 不安げな少年に、友香が頷く。

「…………僕のせい、なんでしょ?」

 ほっと、安堵の息を吐いたのも束の間、俯き、硬い声で彬は呟いた。

「――あぁ、そのことだがな」

 アレクはそう言うと少年を背中から降ろす。

「彬、だったな。よく聞けよ?」

 少年に正面から視線を合わせ、アレクは言った。

「お前がしたことは、悪い事じゃない。友達を元気付けようとしたお前の気持ちは間違ってない」

 そこで一度言葉を切り、彼は少年の目を見つめた。

「ただ――お前や俺達の力は、むやみに使っちゃいけないんだ」

「どうして?」

「この力は、この世界のものじゃないからだ――わかるか?」

「……わからない」

「だよな」

 アレクは呟くと、辺りの雪を集めて小さな小さな雪だるまを作る。

「この雪だるまに、そうだな……例えばお湯を撒いたら、どうなる?」

「……雪が溶けて、壊れちゃう?」

「じゃあ、少しだけだったら?」

「少しだけだったら、大丈夫……かも」

「だけどもし、その部分だけ、雪が柔らかかったら、どうなると思う?」

「……やっぱり溶けて、穴が空く?」

「そうだよな」

「賢いな」と彬の頭をなでて、アレクは微笑む。

「俺やお前の力はそのお湯みたいなもんだ。この世界で使うと、こんなふうに雪だるまを壊してしまう」

 と、指先で雪だるまの身体に小さな穴を空け、彼は続ける。

「少しなら問題はないが、もしそこに初めから弱ってる部分があったら、やっぱり壊してしまうかもしれない。だから、どうしようもない時以外、むやみに使っちゃいけないんだ。間違って大事なものを壊したくはないだろ?」

 諭すようなアレクの言葉に、弱々しく彬は頷いた。

「暁は――病気だったから?」

「……そうだな」

 優しく少年の頭を撫でてやりながらアレクは続ける。

「体力が落ちて弱ってたんだ。それは彼の責任じゃないし、お前の責任でもない。

 同じように、お前がその力を持って生まれたことも、彼にはその力の刺激が強すぎたことも、お前たちのどちらが悪いわけでもない。」

「でも――僕のせいで暁は」

「そうだな。お前の力の影響で、彼の具合は悪くなった。それは事実だし、お前はその事実から逃げちゃいけない」

 だけどな、とアレクは彼に微笑みかけた。

「そのために、お前が自分のことを化け物だとか、悪いものだとか、そんな風に思う必要はないんだ。二度と同じ間違いをしないように心がければ、それでいい――これはわかるだろ?」

 少年はこくりと頷いた。

「僕は、化け物じゃないの?」

「お前、角があったり変身したりするか? しないだろ?」

 そう言って笑うとアレクは立ち上がった。

「さて。で――どうする?」

「?」

 首を傾げた彬に、アレクは腰に手を当てる。

「お前さんは、俺たちと一緒で、この世界の人間じゃない。人界は日差しが強いから、夏なんかはかなりきついんじゃないか?

 この世界で普通に暮らしていこうとすれば、これからもかなりつらい思いをするかもしれない。だから、もしその気があるなら、ここを離れて俺たちの世界に来てもいい。

 ただ――お前はこっちで暮らした期間が長いからな。こっちの生活の方がいいというなら、無理強いはしない」


 夜が明けるまで、病院のロビーでアレクと友香は彬の処遇について話し合った。

 行き場のない幼子を放り出すわけにはいかない。このまま人界に置いておけば、辛い思いをさせることになるだろう。とはいえ、どうすることが彼にとって最も良い選択なのか。

 彼がどの道を選ぶにせよ、彬がこの先不幸にならないように、できる限りのことをしてやる必要がある。それが、二人の一致した見解だった。連れ帰るなら誰に身柄を任せるのか、人界に残るならどうするか。夜通し話しあい、引取先の見当もつけた。断られることは、まずないだろう。


 だから、後は少年の気持ち次第なのだ。


「彬――――精界にくるか?」

 少年はきょとんとした表情でアレクを見上げた。

「お兄さんたちのところに行くの?」

「いや、俺の所は今、子どもには刺激が強すぎるからな」

 彬は「闇の者」だ。「闇」との攻防が激しくなりつつある今の「ランブル」にいては、却って辛い思いをさせてしまいかねない。

 安心して暮らせるところでなくては、精界に連れ帰る意味がない。

「まあ――お前がどうしてもうちが良いんなら、何とかするが」

 アレクの言葉に、「そうね」と友香は頷いた。

「……別の所って?」

 不安げに尋ねた少年に、友香が微笑む。

「大丈夫。私の父のところよ」

 自分たち兄妹を拾って育ててくれた養父なら、彼のことも喜んで育ててくれるだろう。

「でも……行ったらもう、暁に会えないよね」

「大丈夫。精界に来ても来なくても、彼の病気が良くなったら、必ず会わせてあげる」

「本当?」

 頷いた友香とアレクを交互に見遣り、少年は首を傾げた。

「学校は?」

「あるわよ。こっちの学校とはちょっと違うけど……。

 どうしてもこっちの学校に通いたいなら、こっちで引取先を探すか……、うちからこっちに通うのは……できるかなぁ?」

「――-まあ、どうしてもって言うならなんとかするさ」

 肩を竦めて嘯いたアレクに、友香が笑う。

「随分太っ腹ね」

「ここまで世話やいといて、都合の悪いところだけ放り出すわけにもいかないだろ」

 そう言って、彼は再び少年を振り向いた。

「彬はどうしたい?

 どちらを選んでも、お前が辛くないように面倒見てやるよ。だから、お前の好きなようにしたらいい」

 自分を見つめる大人達を、少年は交互に見つめ返した。

 ややあって、彼は意を決したように頷く。

「…………行く」

「――そうか」

 そう言って、アレクはぽん、と彬の頭を撫でた。

「それじゃとりあえず、お前さんがいたっていう施設に行かないとな」

「施設に?」

「飛び出してきたんでしょ? あちらも探してるだろうし、ちゃんと手続きして荷物も取ってこなくちゃ」

 異世界の人間ではあるが――いやだからこそ、きちんと手順を踏まなければ、却ってややこしいことになってしまう。

「もしかしたら手続きが済むまで、少しだけ施設で暮らしてもらうかもしれないけど、大丈夫?」

 そう言うと、ほんの少し――彬の目が不安に曇る。

「……絶対、迎えに来てくれる?」

「もちろん。毎日会いに行くわ。約束する」

 不安そうな少年ににっこりと笑い、友香は彬の手を取る。そうして少年に微笑みかけると、歩幅を合わせて歩き出した。

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