第180話 始まり
ところ変わって紅魔族領。
そう、この世界における原点。紅魔族領である。
「よかった」
お出かけ用の黒ドレス姿に身を包んだ白銀髪の呟きが前方から聞こえた。彼女の視線の先にはポツンと一軒家、トランス家の実家があった。
懐かしき我が第二の故郷。出立時とさほど外観に変化は見られない。周囲の草木は少々の成長を遂げている。家屋自体は健在だ。荒らされた様子もない。
しかし逆に謎が浮かび上がる。周囲に魔物がウジャウジャいるのに荒らされぬ事があろうか。結界かそれに近い類を張っているのかもしれない。盲目当時にセレスが行ったことは何一つ知らない。
「ちょっと、お家の内外を掃除するから。その間は周りの魔物を間引いてくれる?」
「え?はい、分かりました」
なぜここへ連れてきたのかを確認する前に指令が出た。時間はある。断る理由は無い。
大人しく魔物を狩ろう。どのレベル帯の魔物が存在するか知らないが、覚醒前のセレスが難なく倒せていたので問題ないはずだ。
行こう。
★★★★
テキトーに魔物を狩って帰宅する。
「ただいまです」
「おかえり」
トランス邸へ入る。胸に去来するは懐かしさ。異世界転移してから盲目になるまでの期間が短かったため見慣れたとも言い切れないが、ああこんな内装だったなと思う程度には記憶に残っている。
ここから始まったんだな。
「ちょっと、待ってて。あと少しでお昼ごはんできるから」
「はい」
台所に立つセレスの背中を見つめる。
「できた。運ぶの手伝って」
料理が出来上がったらしい。配膳を手伝い共にちゃぶ台の前へ座る。
「いただきます」
「いただきます」
献立は基本形。パン、スープ、肉野菜料理だ。食材は全てフィモーシスから持ち込んでいる。
当然の如く美味しい。場所も相まって実家のような安心感を覚える。
大した会話も無く食事を終えた。
食器を水洗いする背中をボーっと見つめる。
「…………………」
なんか夫婦っぽいな。悪くない。
食器洗いを終えたセレスは、水魔法と火魔法で作ったお茶をちゃぶ台に置いた。
「ありがとうございます」
1つ受けとりズズーっと啜る。うまい。食後は温かいお茶が最高。
セレスも湯呑に口をつける。顔色は変わらない。フーフーもせず熱くないのだろうか。
「はー」
「……………」
一息ついた。
このあたりで実家に連れてこられた理由を聞いてみようか。俺の悩みが全て解決する件と繋がっているに違いない。
「あの、1つ確認したい事が」
「話がある」
「え、はい」
強い口調で言葉を遮られた。とりあえず聞く。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………あの」
「もう、後戻りできないと思ったから」
「えぇ、はぁ」
ちゃぶ台の向かい側の彼女に視線を向ける。
すると彼女は立ち上がり、部屋の奥へとスタスタ歩いていった。
「えーと」
と思えばすぐに戻ってきた。右手には分厚い本を持っている。
本をちゃぶ台に置き、再び着座した。
「これ、読める?」
「……いえ、読めませんね」
本をパラパラめくってみる。見た事の無い文字列だ。アラビア文字に近いだろうか。くねくねした字が紙いっぱいに綴られている。
もしかすると解読魔法が通用するかもしれない。だがあいにくスキルレベルは1だ。圧倒的に足りていない気がする。
「これは、トランス家の家伝魔法書」
「へぇ、これが。へぇ~」
家伝魔法か。たしかセレスの必殺技「ダークワールド」も家伝魔法だったはずだ。
「この分厚い内容、全てが家伝魔法に関することなのですか?」
「半分くらい。あとの半分は、初代様の日記のようなもの」
「なるほど」
どうやら家伝魔法書はトランス家の初代が作成したようだ。そもそも初代様にとっては全編日記なのかもしれない。特殊な魔法の記載があったため二代目以降の人間が魔法書として取り扱ったのが正解かも。知らないけど。
「それでこの家伝魔法書がどうかしましたか」
「…………………」
「…………………」
「まず、初めに。今更だけどごめんなさい」
「…………」
なんだろうか。既に思考が追い付いていないようだ。いきなりの謝罪に動揺を覚えつつ先を促す。
「どういうことでしょう」
「この書には、8つの魔法が記載されている。ダークワールドもそのうちの1つ」
純粋に家伝魔法が多い。普通は1つか2つだと思う。あくまで俺の異世界知識に当てはめた場合だが。
「ただ8つ全て使えるわけじゃない。どういう仕組みか分からないけど、2つまでしか習得できない。それ以上覚えようとしても無理らしい。私は試してないけど、お父さんが言ってたから。たぶん本当」
「2つ、ですか」
渋ちんだった。初代様が縛りを入れたのだろうか。もしくは単純に魔力量とかそういうものの問題かもしれない。
「セレスさんは2つ使えるのですか」
「うん。ダークワールドともう1つ」
「ほう」
なるほど。見えてきたぞ。目の前の魔法書、そして先程の謝罪。
つまりもう1つの家伝魔法が俺に災厄をもたらす、またはもたらしたのだろう。
「…………」
はて。セレスに何か嫌な事をされた記憶はない。ということはこれからになるのか。
一体何をされるんだ。
「あなたも知っていると思うけど、私はずっと1人だった」
「ええ」
「お父さんとお母さんが死んでから、この家で10年間」
「ええ」
「生きていくだけなら問題なかった。そう、何も問題はない。キッカケは何だったか。忘れちゃったけど、たぶんとっても小っちゃいことだった」
「ええ」
「ちょうど2年くらい前だったと思う」
「ええ」
「私は生まれてはじめて、寂しいと感じた」
「……………」
「だから、家伝魔法の召喚魔法に手を出した」
「………………ん?」
「私は、ずっとお父さんとお母さんと一緒にいたから。他人とどういう会話をすればいいか分からなかった。あと後から知ったけど、たぶん私は口下手だから。近くの街に買い出しに行っても、だれかと仲良くなったりはしなかった。だから、自力は無理だと思った」
「えーと」
「動物を飼ってみたけど。それでも寂しさは、止まらなくて。もうどうしたらいいか分からなくなった時に、家伝魔法を思い出したの」
「つまりその、自分がそのあれ、あれなんですかね」
少々先走って意味不明な指示詞を多用してしまった。何故なら動揺しているから。心が揺れに揺れ動いている。
「そうだね、うん。そういうことになる」
「なるほど。なるほど」
「あなたは、私が召喚した」
「マジ?」
思わず立ち上がる。話を聞いていくうちに薄々そうではないかと思っていたが。
まさかかよ。
心臓バグバグしてる。
「なるほど、じゃないの?」
「いえ、なるほどはなるほどなのですが。言葉にされると思わぬ驚きがあったと言いますか。とにかく、ええと、色々確認したい事があるのですが」
自分の感情が分からない。もちろん驚きが1番だが嬉しさと悲しさも共存している。
「なぜ、私だったのでしょう?」
「条件に合致したから。条件に当てはまる中から選ばれたのは偶然」
偶然かい。ちょっと寂しい。
「条件とは?」
「紅魔族に偏見がない。一定以上の優しさを備えている。執着心が薄い。この3つを設定して召喚魔法を行使した」
まぁ、当てはまると言えば当てはまる。どの条件も違うとは断言できない。ただ今挙げられた条件に合致する人物はたくさんいる気がする。
しかも俺は異世界人だ。いくつ世界があるか分からないが、抽出範囲が全世界だとしたら当選率はほぼ0%ではないだろうか。
まさかそんな低確率のビックイベントに当選するなんて誰が想像できる。
「その条件だと私がセレスティナさんの元から逃げ出す可能性もあったのでは?現に獣人国で離れましたし」
「魔法書に記載があった。召喚された者は一定期間、召喚した者から離れられないって。どういう原理か分からないけど。魔法書に嘘はないってお父さんが言ってたから、たぶん本当」
なにそれ。シークレット部分多すぎだろう。
「私にはその、魔法やらなんやらを使う力がある、というか芽生えたのですが」
「魔法書に記載があった。召喚された者には、この世界で生き抜く力が与えられるって。それが何か私には分からなかったけど、あなたの氷魔法を見て、そうなんだと思った」
トランス家の召喚魔法は謎が多すぎる。初代様の力が異常だ。ハッキリ言ってチート。こうなると初代様も異世界人の可能性が浮上してくる。
「他になにかある?」
あるような気はするが思いつかない。頭が完全にショートしている。
ええと、なんだ。あれか?いや、えー。
「寂しさ……寂しさは、無くなりましたか?」
彼女の願いはかなえられたのか。俺は期待に応えられたのか。
セレスの顔を見つめる。非常に美しく直視できない輝きがあった。しかし今だけは目を合わせねばなるまい。
彼女は1度視線を落とした後、噛み締めるかのように2度、3度頷き顔を上げた。
その表情はあまり見た事の無いものだった。
「寂しさは、無くなったよ。ありがとう。本当にありがとう。だから、そろそろ解放してあげなくちゃって」
「それは良かった……ん?」
突然、足元が光り始めた。なんだろうと思っているうちに範囲は大きくなり強さも増していく。
珍しく俺の本能が騒ぎ出した。この光はまずいと。
とにかく光源から逃れねばと立ち上がる。が、膝が上がらない。
「あ?え?」
パニック。近年稀に見る混乱を曝け出す。
いったいなんなのだ。セレスのカミングアウト中にいったい何が起こった。膝上がらんし。ええいと足を殴りつけようとするが、今度は腕が上がらない。どうなってる。
一方のセレスはいつも通りのポーカーフェイスだった。とはいえ流石の彼女でもいきなり足元が光りだしたら、驚きの1つや2つ見せるだろう。
つまり、そうなると、非常に厄介な現実と向き合う必要がある。
「動けないでしょ。お茶に麻痺薬混ぜたから」
「え」
やはり。ということはこの光も。
「召喚魔法の使い道は2つ。1つは、条件に合致したヒトを召喚すること。そしてもう1つは、召喚したヒトを送り返すこと」
「うえ」
分かった。理解した。これはあかん流れ。
何をどう思ったか知らないが、セレスは暴挙に出ようとしている。
なんとしてでも止めねばなるまい。しかし足は動かない。どうする。どうする。
「セレスさん、お待ち――」
「たぶん、無理やりだったと思うから。何もかも捨てさせられてここに来たと思うから。今更遅いかもしれないけど、やっぱりケジメは必要だから」
「いや、待って、待ってください。私の意思は」
足元の光が徐々に形あるものと成していく。既に見慣れたと言っていい魔法陣だ。例の幾化学模様がグイングイン唸っている。
そもそもの話。俺は日本の木造アパートで焼死寸前、もしくは焼死した後にこの世界へ転移している。つまり送り返されたところで俺の身体は存在するのか、という問題に直面する。
日本から紅魔族領に転移した際には池田ボディが存在した。紅魔族領から日本へ逆転移する際は、池田ボディが再構築されるのかもしれない。ただこれは楽観的な予想だ。転移した瞬間に死ぬかもしれないし、そもそも転移に成功しないかもしれない。
いや、いい。むしろ転移に失敗して欲しい。やっとひと段落着いて、これからという時だった。
俺はまだ、この世界にいたい。
「ありがとう。本当に、今までありがとう」
「いやだから、待ってください。待って、待てって!!」
この娘は聞く耳を持たない。強情すぎる。出会ったときからそうだった。美徳ではあるが今は厄介この上ない。
足は相変わらず動かない。というよりも活動可能なのは口だけだ。しかし俺の言葉は彼女に届かない。
「セレス、セレスティナ。聞け、俺の話を。俺はこの世界が好きなんだよ」
「分かってる。分かってるから。向こうに行っても、忘れないでね」
駄目だこいつ。挙句の果てに泣いてやがる。
両頬から伝う涙はあまりに美しく意識が持って行かれそうになるがここは我慢。涙に気を取られている場合ではない。
そうこうしているうちに足元の魔法陣が七色に点滅し始めた。
徐々に点滅する間隔が短くなっていく。
これはいけない。
「セレス!セレスぅ!お願いだからやめて。止めて!」
「うん……うん…………ありがとう」
「せれ、せれれ、ああ、うおー!!!!」
光の点滅に気が急いてどうしていいか分からなくなり叫び出す。改めて俺は俺の人生を悔いる。もう少し語彙力だったり話し方だったりを勉強しておけばよかった。肝心な時にどうにもできないまま終わってしまうから。
どうする。もう時間は無い。どうすればいい。声は届かない。言葉でどうこうできそうもない。ならばどうする。他にあるのは。身体が動かずとも出来ることはない。ないか。ない。いやある。あるぞ。魔法だ。使えそうなのはなんだ。氷魔法か、いや転移魔法か。魔法と向き合うか逃げるか。それともどちらとも選択するか。ええい、ままよ。
そして、七色の光に部屋中が埋め尽くされ、最後に見た彼女の顔は、とても笑顔でとても悲しそうに見えた。
「さよなら、池田」
パチッと。
目を覚まし。
ゆっくりと身を起こす。
「………………」
目前に広がるは鬱蒼とした森。見覚えがあるような無いような、ありきたりと言えばそこまでの景色だ。
「さむい」
何故だろう。周囲に冷気が立ち込めている。思わず両腕をさすると、これまた何故だか地肌の感覚である。長袖好きの俺がそう易々と半そで姿を晒すわけがない。そう思って腕から身体全身を見渡すと全裸ではないか。どおりで寒いわけだ。
「うぅ」
とりあえず歩こう。歩いて体を温めよう。そう決心した俺は震える身体に活を入れ、足裏を傷つけないよう恐る恐る歩き出す。
ここはどこだろう。今のところ判断はつかないが。
「さむ」
とりあえずは火が欲しい。そう切実に思うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます