第178話 敗北

 ブリュンヒルデの消失から2日が経過していた。


 総指揮官を失ったことにより明らかに士気は低下した。1人2人ではない。全軍の足取りが重い。当初は女だからと侮っていた面々が心痛な表情を見せている辺り、彼女のカリスマ性は比類なきモノだったのだろう。自分もその1人だとビッテンバーグは失ってはじめて気づいた。


 彼女を無くした弊害はそれだけではない。ブリュンヒルデに変わり全軍を指揮することとなったビッテンバーグだが、局地的な戦術を得意とする彼は全体の図を描いて局所局所で最善の一手を打つような戦略的側面は持ち合わせていなかった。いわゆる副官タイプだった。


 やることは決まっている。だが自信は無い。そういった意味でもレニウス軍に暗雲が立ち込めていた。


「ビッテンバーグ様、ご報告いたします。北北東並びに南南西の方角より襲撃がございました。敵兵少数こちらの被害は軽微です。戦闘は既に終了しております」


「分かった。引き続き警戒を怠るな」


 彼を悩ますものがもう1つ存在した。ダリヤ商業国の冒険者達によるゲリラ攻勢である。フィモーシスから後退して以降、日に何度も襲撃を食らっていた。被害は至って軽微。


 だが敵の迅速な撤退のため数を減らすことさえ出来ず、また昼夜構わず襲ってくるため心身ともに疲労が蓄積していた。つまりはここに至って一般的な対ダリヤ戦が始まっていた。


 このタイミングでのゲリラ投入は明らかに先の戦が関わっている。いわゆるブリュンヒルデの行方不明。生死は定かでないが、状況を鑑みて、帝国の中では死んだものとしてみなされている。


 ダリヤ商業国の総指揮官ロスゴールドが彼女の死を嗅ぎつけてレニウス軍に揺さぶりをかけてきた、とビッテンバーグは推測していた。そしてその揺さぶりは見事に効いている。


(やはりフィモーシスとマリスは連動していたか)


 もしもフィモーシス自体を無視していたら、という第三の選択を幾度となくシミュレーションしたビッテンバーグだったが、敵は鬼才のロスゴールド。恐らく失敗していたに違いないと彼は考えるのを控えた。


「ビッテンバーグ様、ブルクハルト様より"魔報"が届いております」


 部下の報告を受けてビッテンバーグは顔をこわばらせた。


 レニウス帝国のナンバー1にして今回の戦の立案者でもある男。そのような人物からの接触など良い知らせな訳がない。


 とはいえ無視するわけにもいかず、部下が持ってきた魔具を恐る恐る耳に当てる。


「ビッテンバーグです」


 魔力を込めることで遠くにいる人物と会話ができる不思議な道具。そこから聞こえてきたのは男性とも女性ともつかない中性的な声だった。


「ブルクハルトだ。初めに用件を伝える。今よりダリヤ商業国から全軍を撤退させろ」


「なっ…」


 予想はしていたが決して聞きたくなかった命令であった。


「理由を、お聞かせ願えますか」


「逆に問おう。ブリュンヒルデを失った貴殿らでロスゴールドを攻略できるのか」


 ブルクハルトの問いかけにビッテンバーグは黙らざるを得ない。事実、彼の頭の中ではロスゴールドを打ち負かす未来が想像できなかった。


 首都マリスを陥落させる。その1点においては少なからず自信がある。10万の兵士を率いることも問題なくこなせよう。だがこの戦は国と国との争いである。敵はマリスではなくダリヤ商業国だ。そうなった時、戦略という面でロスゴールドと渡り合えるのはブリュンヒルデしかいなかった。


「先日こちらより報告を差し上げた際、ブリュンヒルデ様の代わりとなる指揮官を要求いたしました。そちらを用意するのは難しいという事でしょうか」


「彼女の役をこなせる者など、ハイデンベルクか私しかいない。そしてハイデンベルクは未だボボン王国にいる」


「ブルクハルト様は――」


「ゴミ掃除をしなければならない」


 その一言で全てを察した。現皇帝となってからは抜本的な改革が実施される一方で、そのやり方は非情にして果断だった。そのため表面上は素直に従うふりをして裏では皇帝の退位を求めて暗躍する人物が後を絶たなかった。恐らくはその者たちが今回の敗戦を耳にして立ち上がったのだろうとビッテンバーグは予想した。


「クーデターですか」


「いつか片付けねばと思っていたが、ボボン王国の攻略中止とブリュンヒルデの殉職が引き金となったのだろう。分かり易く尻尾を見せてくれたよ。お陰で未然に防げた。ただ事後処理が残っている。加勢する余裕はない」


 ブルクハルトが無理と言うならば無理なのだろうとビッテンバーグは彼の参戦を諦めた。他にいないかと各将軍を思い浮かべるが、ブルクハルトの言う通り適当な人物は存在しない。


「もう1度問う。貴殿に首都マリスひいてはロスゴールドを攻略できるのか。更には帝国第二位を奪った謎の黒い生物を対処できるか。可能ならば根拠を示せ。納得行くものなら進軍の許可を与える」


 その問いかけ自体がブルクハルトの考えを露わにしている。いわゆる貴様らでは攻略不可能だと。その事に気づかないビッテンバーグではない。それと同時に反論できる材料も持ち合わせていなかった。


「承知いたしました。これより撤退を開始します。ただ1つ、1つだけ確認させてください」


「なんだ」


「ブリュンヒルデ様の死は無駄だったのでしょうか」


 らしくない言葉である。ビッテンバーグほどの傑物から発せられるほど彼女の死が堪えていた。慰めて欲しいわけではない。ただ一言、巨大な組織の頂点に立つ男から彼女を悼む言葉を頂きたかった。


 だがブルクハルトは常にブルクハルトだった。


「無駄ではない。彼女は身を挺してダリヤひいてはフィモーシスの危険性を知らせてくれた。無駄ではなかった。ただ、それだけだ」


「………はっ」


 それだけ言うとブルクハルトは魔報を切った。ビッテンバーグは未だ魔具を耳に当てた状態から動けなかった。


 ブリュンヒルデに対する様々な感情が胸を埋め尽くす。悲しさだけではない。怒り、嘆き、悔しみ。なぜどうしてという思いが暴れ回っていた。どうして彼女は。


「……っ」


 ビッテンバーグは眼を閉じる。10秒、20秒、30秒ほど経過して開眼し、近くの兵士を呼び出した。


「伝令だ。全軍撤退する。急ぎ準備を整えろ」


「はっ!」


 進むために今は退く。ビッテンバーグは首都マリスとは逆方向を見つめ、いつの日か雪辱を果たすことを誓った。

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