第173話 帝国第二位
神聖レニウス帝国。大陸の南に位置する巨大国家である。総面積、人口、全てにおいて他国の追随を許さない数字を誇っている。
帝国という名が示す通り、かの国の大半は侵略の歴史だった。攻めて攻められ、それを数百年にわたって繰り返した結果が今の帝国である。
そんなレニウス帝国が次に狙いを定めたのは北に位置する国々、ボボン王国とダリヤ商業国であった。
ダリヤ方面軍に属する将軍達は、占領した市長邸の一室で軍議を開いていた。
「やはりこの地ももぬけの殻だったな」
「人もいなければ物資もほぼ残されていない。徹底されている」
「1度油断させてからの奇襲かと思ったがそうでもなさそうだ」
「大規模な戦略と捉えるべきだろう」
「旗を振っているのは誰だ」
「七雄のいずれかなのは間違いない」
「ふむ。となると……」
『……………』
活発に意見が交わされる中、中央の席で一向に口を開かない女傑へと視線が集まりだした。
「………ん?あぁ、私のことは気にせずに続けてください」
「いえ、気にするなと言われても。この集団の長は貴女様なのですから。ダリヤ軍の動きについてどのようにお考えでしょうか」
室内において唯一の女性は1度全体を見渡した後、質問者に対して投げかけた。
「まずは貴方の考えを。マキシミリアン将軍」
話し合いを円滑に進める役目を仰せつかっていたマキシミリアンは、ぽりぽりと頬を掻きながら口を開いた。
「自分ですか。そうですね……今までの状況と斥候からの情報を鑑みて、恐らくは一転集中の短期決戦狙いかと思われます」
「戦場はどちらになるでしょう」
「首都マリス近郊の砦、もしくは大規模な戦闘が見込める平原。最終的には首都籠城も有り得るでしょう」
マキシミリアンの意見を受け小さく頷いた後、視点を大きくずらした。
「ではフリーゼン将軍。マキシミリアン将軍の言葉に対して反論、追随等ありますか」
総大将に名指しされたフリーゼンは自慢のカイゼル髭をひと撫でしながら悠然と答え始めた。
「敵が南地域のヒトモノを撤収した理由の一部に現地調達の阻止と兵站戦伸暢が考えられる。それによって我々は長期戦が困難となり得るだろう。つまりダリヤ軍は高確率で砦もしくはマリスでの籠城を選択し、我々の自滅を待つ策を採るのではあるまいか」
フリーゼンの発言に数人の将軍が同意を示す。その様子を見つつも視線をさらに隣へ移した。
「ビッテンバーグ将軍。他にありますか」
知将として名高い無精ひげの中年が頭に手を当てながら、面倒くさそうな表情で答えを返す。
「フリーゼン殿に概ね同意ですな。野戦を挑める戦力も統率も、向こうは持ち合わせていないでしょう。籠城に間違いない………と思うんですが。何と言いますか、妙なしこりがあるというか、違和感がぬぐえないというか。向こうの戦略立案者がこちらの想定通りなら、あまりにも簡単過ぎる」
「ビッテンバーグよ、結局何が言いたいのだ」
憮然とした態度で問い詰めるフリーゼンに対し、苦笑いを浮かべつつ答える。
「我々が思いつくことは敵も想定しうるということですよ」
「………………ナルホド」
閉眼しながらカイゼル髭を整えるフリーゼンに対し、お前絶対分かってないだろと言える猛者はこの場に存在しなかった。
ビッテンバーグの疑問に対して各々が考えを巡らす。だが一向に発言する者は現れない。その様子を見てそろそろかと口を開いた。
「そうですね。ダリヤ陣営の全体を指揮するのは十中八九、ロスゴールドでしょう。現状は彼以上の存在は認められません」
「奴ですか。それはそうですよね。ロスゴールドがダリヤで台頭して以後、かの国の情報が集めづらくなり、その結果開戦も引き延ばしとなった。言わばここまで待たされたのは彼の仕業と言えるでしょう」
マキシミリアンに頷きを返し言葉を続ける。
「相手の心理を読むのがとても上手な人です。そんな彼が用意した戦略を我々が容易に読み解けることがありましょうか」
「なるほど。いや分かった。先程も理解したが此度も十分に飲み込めたぞ」
わけのわからぬ発言をするフリーゼンに苦笑を返しつつビッテンバーグに視線を移す。
「要は籠城が終着点ではない。そういうことでしょう?」
「ええ、そうです。南地区の撤退や首都マリスへの物資搬送からダリヤ軍は首都近辺で待ち構えているに違いない、そのような考えに落ち着くことこそがロスゴールドの狙いです。今までの思考は彼に誘導されたと言っても過言ではないでしょう」
彼女の発言に室内の全員が納得の意を示す。ロスゴールドの鬼才を認めるからではない。彼女の口から出た言葉だからである。
「では真の狙いは何か。こちらは誰もが思いつき誰もが実行できない案です」
1度間を置き、再び言葉を紡ぐ。
「将軍暗殺。まず間違いないでしょう」
途端に軍議室がざわつき始める。自分たちの命が狙われると知って狼狽している者も少なからず存在した。
ただし彼らも歴戦の将。少しずつ落ち着きを取り戻し、中には疑問が表情に出始めた者もいた。代表するかのようにマキシミリアンが問いかける。
「貴女様のおっしゃる通り、誰もが思いつき、そして誰もが躊躇を覚える手段でしょう。何故ならば周囲を護衛や一般兵に囲まれた将を討取るなど容易な行為でないからです。更に言えば、我々は10万もの大軍を擁しています。将軍に近づくことさえ不可能かと」
「そうですね。これがボボン王国や獣人国相手ならば、話は変わってきます。ですが此度の相手はダリヤ商業国です。万に一があり得ます」
マキシミリアンは彼女の言葉に一瞬怪訝な表情を浮かべたが、何かを思い出したかのように、あっと声を上げた。
「そうか。高ランクの冒険者がいるんだ」
「ええ。冒険者の国は伊達でありません。冒険者ランクS以上が多数存在するでしょう。更には頂点と呼べるSSSまで数人在籍しているようです。絶対君主でも立憲君主でもなく、常備軍も存在せず国土を保てる理由は、緊急時の団結力と圧倒的な個に違いありません。彼らは、1人1人が軍隊に値するのです」
総大将の言葉を受けて誰もがその事実を認めざる得ないかのように苦い顔で頷いた。そして彼女の言葉に追従するようにビッテンバーグが続ける。
「思い返すと少々の油断と慢心を抱えておりましたな。何故ならダリヤに入って以後、1度も刃を交えることなく南地区を制圧出来てしまったゆえに。平素であれば、ヒトモノを後方に移動させてなお、少人数によるゲリラ攻撃を仕掛けてきたはずです。それもこれも、完全に弛緩した軍に一本の矢を突き刺すためとは、いやはやロスゴールドもやってくれますな」
ダリヤ商業国の戦は歴史が物語っている。攻め入った軍は高ランク冒険者のゲリラ攻勢によって心身に異常をきたし撤退せざる得ない状況まで持ち込まれていた。それがダリヤの普通だった。
しかし、ロスゴールドは敢えて今までのやり方を封印した。
「たしかに………先程までの精神状態であれば万が一も有り得ただろう。だが心構えが生まれた以上、もはや有効な手段たり得んな」
フリーゼンの発言は周囲に安心をもたらした。気付いてしまえばどうということはない。再び嫌な余裕を抱いてしまった。
そんな彼らに、彼女は釘をさす。
「私達が想像できる一般的な刺客なら問題ないでしょう。ですが今回はあのロスゴールドが送り込んでくるのです。最低でもS、下手をするとSSS級の個またはパーティに命を狙われる恐れがあります。彼らは多種多様な手段を持ち合わせており、慮外の角度から刃が出てくる事も有り得ない話ではありません。油断は禁物です」
彼女の戒めにより室内に流れていた緩やかな空気が一瞬にして緊張を帯びたものとなる。
この部屋に集まった将軍の平均年齢は30の後半。時の皇帝が軍の新陳代謝を活性化させてなお、この年齢に収まっている。その中で唯一の女性にして20代後半の最年少が年上の男共を諫める姿は帝国においても稀有な光景である。
そもそも男尊女卑が罷り通る組織において方面軍の総大将という位置に達すること自体が前例無き人事であった。軍の増強を図るため性別年齢を問わない採用を強制した皇帝の功績とも言える。
とはいえ帝国の歴史において初の試みということもあり、中には金や権力にモノを言わせて子女を祭り上げる親も存在した。そしてそのような子に限って、重要な場面で大変な失敗を犯すこともザラではなかった。
ただし。
彼女に限って言うと、決してお飾りでないことはここにいる誰もが知っていた。
「……とは言いましたが、1人1人が緊張と緩和のバランスを保ち、配下にも警戒心を覚えさせれば、難しい事態ではありません。斥候の数を倍にして早期発見さえ実現すれば、やり様は幾らでもあります。万が一に接近されたとしても、冒険者S以上に劣らぬ個を抱えるあなた方が簡単にやられるとは思いません。ですので、心掛けることは1つ。油断しないこと。いいですね」
ある者は尊敬を帯びた眼差しで、ある者は苦笑を浮かべつつ、ある者は神を崇めるが如く、ある者は異性として意識するような眼で、己の上官へ反応を返した。
『はっ!!』
「よろしい。ハイデンベルク将軍がボボン王国侵攻に失敗した以上、私達に敗北は許されません。勝利を我らのもとに。さぁ、参りましょう」
ここに集うはレニウス帝国所属ダリヤ方面軍。帝国の本気にして圧倒的軍団。
全てにおいて平均以上、どんな状況でも期待を裏切らない仕事人、マキシミリアン。
冒険者ランクSS以上に相当する武力を誇る帝国の矛、フリーゼン。
類い稀な指揮能力と比類なき先見の明を持つ軍略家、ビッテンバーグ。
そして女性でありながら実力のみで今の地位まで上り詰めた帝国ナンバー2、ブリュンヒルデ。
レニウス帝国は、間違いがなかった。
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