第171話 人質

 私、気づいてしまいました。


 彼をフィモーシスにギリギリまで閉じ込めて帝国軍と戦わせるという考えは、イケダさんが転移魔法を覚えた時点で崩壊していたのです。


 彼には私達経営陣と奴隷の子供たちをフィモーシスの外へ運ぶことなど容易に出来てしまうのです。つまりフィモーシスへ残る理由が無くなります。転移魔法による弾丸退避完了です。


「他に尋ねたいことは?あるか?なければ私の問いに答えてもらおう。イケダ相談役はどうした。どこへ行った」


 再び必死の形相で迫ってきました。聞きたい事は他にもありましたが、時間も差し迫っています。全てが終わってから確認しましょう。


 まずはイケダさんに関する件を片付けなければなりません。しかし事実を伝えても良いのか判断がつきかねます。転移魔法の存在は、こちらが戦争を回避するための切り札でもあるのです。


 シンクさんも同様の考えをお持ちのようでした。険しい表情で考え込んでいます。


 どうしたものか悩んでいると、残っている1人が声を上げました。


「彼はここにいない。ずっと遠くにいる。いつ戻ってくるのか分からない。そしてこっちから連絡を取る手段もない」


「なっ………どこへ行ったんだ」


「知ったとしてどうするの。帝国軍は明日にもフィモーシスに到着するんでしょ。普通のやり方だと絶対に連れ戻せない。つまりあなたと大臣の目論見は、もう潰えてる。諦めてマリスでの防衛を考えた方が良いと思う」


「………………」


 絶句しています。非常な現実を突きつけられて固まっています。しかしトランス氏の発言は事実です。確かに私達はイケダさんとの連絡手段がありません。どうすることもできないのです。


 心の中でホッと息を撫でおろします。ここに至ってはミラローマ氏もフィモーシスでの帝国軍撃退を諦めざる得ません。帝国軍がここに到着するのが明日という事なので、それまでに私達も逃げることが出来ます。誰も死なない。最高です。


 トランス氏に目配せします。素晴らしい切り返しでしたよと。しかし彼女はこちらに目もくれず、真っ直ぐにミラローマ氏を見つめていました。


 私も管理官へ視線を移します。何やら様子がおかしいです。


「明日までに相談役をフィモーシスに連れ戻せ」


「むり」


「奴隷共がどうなってもいいのか」


「…………」


 場に沈黙が生まれます。私は一瞬、ミラローマ氏が何と言ったか理解できませんでした。


 奴隷共。奴隷というのは恐らく、従業員として働いてもらっている彼らのことでしょう。どうなってもいいのか。どうなってもいい。


「……まさか、人質に取っているのか」


「今はまだ隔離しているだけだ。相談役の動向が不明だったゆえに。だがこうなっては質に取らざる得ない。果たして貴殿らは、相談役は、奴隷共を見捨てられるか?」


 何という事でしょう。驚愕せざるを得ません。危機管理とでもいうのでしょうか。ミラローマ氏の先を読む力はロスゴールド大臣に通ずるものがありそうです。


 そういえば朝から従業員を見かけないと思っていました。普段は就業前でも外を出歩いています。ミラローマ氏の部下に囚われていたのでしょう。もしくは宿泊客が大臣の息が掛かった者達ならば、彼らの力を利用したのかもしれません。


 そしてミラローマ氏の問い。奴隷共を見捨てられるか。答えは限りなく否だと思います。イケダさんは未だに甘えを抱えており、人身の命に対して敏感なところがあります。こと奴隷に関して言えば、私やトランス氏も同様です。


 共に過ごし関係性が生まれた以上、簡単に切り捨てることなど出来やしないのです。


「管理官。少しやり過ぎではありませんか?」


「大事の前の小事だ。帝国軍を撃退するためならば、私はなんだってやる」


 さすがのシンクさんも困惑を隠せないようです。どうしていいか分からない表情でミラローマ氏を見つめています。つい数時間前まで談笑していた相手が突如として裏切ったのですから、当然の反応でしょう。


「すまん。1度整理させてほしいんだが。えー、明日、帝国軍がフィモーシスへ攻め込んでくるのは、事実なのか」


「……………」


「……………」


「……………」


「えー…」


 全員から無視されました。酷いです。豚種差別です。まるでお前の仕事は終わったと言わんばかりの待遇です。


「管理官。疑問があります。ロスゴールド大臣ともあろう者が、国家戦争という一大事に、ぽっと出のイケダさんを頼る意味が分かりません。それはつまるところ、普通に戦ってしまえば敗北を喫するということでしょうか」


「否。何をもって勝利とするかによるが、少なくとも撃退する術はある。しかしながら敵の総指揮官は帝国第二位のブリュンヒルデ。多少の犠牲は免れない。イケダ相談役はダリヤの犠牲を最小限に抑えるためのキラークイーンなのだ。願わくばブリュンヒルデを仕留めて欲しいが、それが出来ずとも部隊に損害を与えることは可能なはずだ」


 ブリュンヒルデ。聞いたことがあります。若干20代の女性ながら帝国軍の次席を担う傑物。第三位のハイデンベルクが戦の天才ならば、ブリュンヒルデは全てにおいて秀才らしいです。オールマイティースペシャルウーマンとのこと。


 イケダさんがブリュンヒルデを仕留める。想像してみます。出来なくは無さそうです。ただ可能と実行には大きな隔たりがあります。


 そして彼が帝国軍第二位を仕留めてしまえば、生涯レニウス帝国に恨まれるのは間違いないです。戦争国家と関りを持つという事は、修羅の道を歩むことに他なりません。


 イケダさん風に言うなら、詰んでいます。前門のブリュンヒルデ、後門のロスゴールド大臣。幸いなのは彼がここにおらず、戻ってくる気配もないということでしょうか。残された私達は相当の窮地ですけど。


「分かりました。ただ先程トランスさんが申し上げた通り、こちらからイケダさんへ連絡を取る手段がありません。奴隷の子供達を人質に取られたところで、どうすることもできないのです」


「連絡を取る手段はあるはずだ」


「ありません」


「ある。あってもらわなければ、困る」


 再び緊張感が生まれます。私たち以上にミラローマ氏が追い詰められているように見えます。刃を交えることなくフィモーシスを放棄する事実は、ロスゴールド大臣の期待を大いに裏切る行為となるのかもしれません。


 だからと言って、出来ないことはできません。シンクさんへ視線を移しますが、彼も打開案は思い浮かんでいないようです。


 トランス氏はどうでしょうか。口数こそ少ないものの、いつも妙案が出るのは彼女からです。見ます。


「……ん?」


 いません。先程まで彼女が座っていた席はもぬけの殻となっています。相変わらずステルス行動が上手すぎます。


 こんな時にどこへ行ったのでしょうか。

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